ダウンタウンの松本人志に”性加害”の問題が浮上した。文春砲である。
今年は日本の闇の部分があらわになってきた。通常人権意識の欠如などと、左翼的には位置付けられるだろう。確かに日本人はやさしい民族のように思われる。ところが、やさしさがパターナリズムに根ざすものも多く、温情として現れるので、表裏一体として、上位の者が下位の者を見下すという意識を持ち合わせている。
この社会的意識が意識に登りやすい、そんな年であったと感じている。最後に、松本人志の問題。
明確にミソジニー(女性蔑視)である。ちょうど自衛隊のセクハラ問題の判決が出たところである。
女性を男に従属する存在であるかのように考えている。だから、女性の人格や想いに至る事もなく、「俺の子供産めや!」などという言葉が出てくるし、自身の性欲を満たす道具として観念化している。酔うと、このような差別的な観念が前面に出てくる。
なんとイヤらしい。この人のようなお笑いを目指す事が常態となっている。そこで排除されているのは、このような男性文化がもつイヤらしさを可視化し笑いに昇華する事である。だから政治を対象とする笑いが日本では排除されているのだ。
欧米では、政治やエスタブリッシュメントを茶化す事は笑いの王道だが、彼のお笑いでは、そのような風刺はつまらない事に見えるだろう。そこに至る社会的知性が獲得されていないからである。そのため、日本のお笑いは非常に面白いのだが、その範囲を狭めていると思う。
さて、ジャニーズ、宝塚、自衛隊などのセクハラパワハラの中にある差別があらわになってきた。この問題とつながる松本問題にテレビは対応できるだろうか。