Drマサ非公認ブログ

日本は貧しくなったと実感

 日本が貧しくなったという認識が広がり始めている。日本が先進国から脱落するとか、すでに先進国ではないとの指摘もあるぐらいだ。実際1人あたりの名目GDPが韓国に負けているとか、台湾にも近い将来負けるだろうとも言われ、日本の凋落を意識せざるを得ない。

 ただ僕が知っている若い人たちは、そのような実感を持ってはいない。というのは、20歳前後であれば、物心ついた以降のこの10年余りの期間デフレであったので、10年前も今も変わらないということになると思う。だから実感が湧くということもないようだ。

 で、僕はこんなことで、日本社会が貧しくなったと感じたことがあるので、そんな話を。

 初孫ができたので、妻が世話するためにしばらくの間家を留守にしている。そのため外食する機会が多い。朝食はよく松屋に行って朝定を頂いている。その時、思うのだ。松屋に来ている客自体が貧しい人になってしまったと感じてしまう。

 もう上京して40年近くになるが、当時からよく松屋には通っていた。当時大学生の僕としては、本当に手頃な食事ができるところで重宝した。結婚する頃までは本当によく行っていたものだ。結婚後も月に1回ぐらいは行っていたと思う。

 そりゃ当時の僕だって、松屋が安い牛丼やカレー、そして定食(朝定含む)チェーン店だということは知っていた。特に安いということも意識していた。だから手頃なわけだ。

 だからといって、松屋を利用する客が貧乏であると感じたことはなかった。普通の人が当たり前のように行く場所、そんな感じだった。そういえば15年ほど前だったか、知り合いの30歳ぐらいの資産家令嬢が松屋や吉野家に行ったことがなくて、友人と始めて行って、美味しいと言って喜んでいたのを思い出した。

 だから松屋に行かない金持ちというのもいるのだろうが、貧乏人の場所などと感じたことはなかった。ところが、今朝定を食べに寄ると、客層から貧しさを感じてしまう。まず髪型や服装から感じる部分がある。見るからに人目を気にしていないようだ。

 そして、かつてなら余りいなかった年寄りが多いのだ。かつては若い人向けであったと思う。かつて若かった人が、昔の習慣で行っているという感じではない。なぜなら、松屋で顔見知りの老人同士がばったり出くわしたりしている。

 さらにかつては女性客はいなかったが、普通にいる。それは女性に対する敷居が低くなったこともあるが、その女性からもファッションに気を使う様子がないのである。

 今日は昼に10年ぶりになか卯に入ったが、同じような印象を持ってしまった。なんとなく階層がわかってしまう。いや、かつては人の服装や髪型、振る舞いなどから階層が読み解けないのが、日本らしいところではなかったかとも思い出す。今ではちゃんとしたサラリーマンであることが目立つようにさえ感じた。特に朝だからかもしれない。

 日本社会の変質を、僕たちが当たり前のように利用する手頃な飲食チェーン店にも現れているのかと思うと、本当に貧しくなったと思わざるを得ない。牛丼屋が貧乏人用のビジネスとの印象にならないよう、一人暮らしの人たちを助けてくれる日本的な身近な店であって欲しいものだ。

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