前回のブログで、芦原さん原作『セクシー田中さん』から、日本ではファウンダー(創始者)を大切にしないという話をした。で、僕が好きなプロレスの方でも同様だ。
2022年10月1日アントニオ猪木が逝去した。その後、猪木の名前を冠してイベントが行われたりしたが、猪木が創設した新日本プロレスが協力的であったかというと、そうは見えなかった。
その後、映画『猪木をさがして』が上映された。この映画では、新日本プロレスの意向が反映されているとされているが、どうも僕のようなリアルタイムの猪木ファンからは評判は良くなかったようだ。それは猪木の実像に迫るというより、現在の新日本プロレスの”イデオロギー”とズレがあったのではないかと思う。まあ商売だからってことなんだろう。
このようにどうも現在の新日本プロレスは猪木に敬意を払う度合いが低いように、僕のような”古き”ファンには見えてしまう。もちろん猪木は新日本プロレスのファウンダーである。日本のプロレスのファウンダーである力道山への敬意が今のプロレス界には希薄すぎる。猪木は事あるごとに師匠の力道山に言及したものだ。
現在のプロレス自体が多様なスタイルの極彩色にあふれたレスラーになっている。「えっ、これプロレスラー?」てのもいるように思えるが、この末端のレスラーがファウンダー力道山に思いを馳せることなどあるだろうか。そんなことを考えてしまう。
猪木の弟子に初代タイガーマスクの佐山聡がいる。プロレスから総合格闘技を作り上げることに尽力した人物である。修斗(シュート)という総合格闘技を築き上げた。もちろんファウンダー(創始者)であるが、彼はその修斗協会から離れていくことになる。今現在も関係性がないようである。
あるいはパンクラス。これもまた総合格闘技を試行錯誤の末作り上げた団体である。その創始者はプロレス出身の船木誠勝。もう一方鈴木みのるがいるが、彼は現在もプロレスで世界各地を転戦するほど活躍している。
船木の方は、大一番のヒクソンに敗れて以降、パンクラスとの関係は切れているようだ。どうして、創始者として敬意を払って待遇など考えないのだろう。一時は日雇い労働していたとも言われている。今はプロレス復帰して活躍している。
どうして創始者を軽視するのだろうか。おそらく日本人は歴史を重視する精神を持たないのではないか。口では重視するというかもしれないが。日本人は歴史ではなく流行で生きているといつも思ってしまう。日本人の大衆性(Mass)がこういうところに表れていると考えてしまう。