Drマサ非公認ブログ

ハロウィン どうでもいいだろう

 ハロウィンで渋谷に集まらないようにって。

 そもそもハロウィンなど、どうでもいい。子供達が楽しみにしている?大人がそうしたから、子供が楽しみってことになっただけ。

 ハロウィンにはハロウィンを生み出してきた伝統歴史があって、今現在欧米で続いている、そういうことでしょ。日本では日本の伝統歴史とは無関係に、若者が馬鹿騒ぎするイベントになっている。

 欧米では子供達が仮装して、地域共同体を巡ってお菓子をもらう。これは地域共同体が子供を見守り、子供は見守られているという共同体の凝集性を高める社会的に意義のある行事だ。

 この伝統歴史には人々が気づかないけれども、共同性が重要な要素というか、共同性を目的とする。現代日本のハロウィンは共同性が欠落した社会の中で、ストレス解消の機会、騒ぐことを喜ぶ、その程度でしょう。

 いやいや、日本にもありましたよね。同じような共同体に根ざすイベントが。七夕です。

 僕は北海道の人間ですが、子供の頃、七夕(8月8日)になると、子供達が集まって、近所の家の前で、歌を歌う。歌はこれ、「七夕さま」。

 そうすると、家の人が出てきて、お菓子をくれる。子供達は4〜5人で一つの集まりを構成し、そのような集まりがいっぱいあるので、一件の家に何回も来る。何件も回って、お菓子がいっぱいになって、子供達は大喜び。そもそもみんなで色々な家に回ること自体が、非日常なので、楽しみだ。

 時代もあって、10円ずつもらうっていうこともあった。50円もあった。100円はちょっと高すぎ。それはお菓子を用意していなかったとか、忘れていたとかなんだろうと思う。

 これ欧米のハロウィンと同じじゃないですか。子供達のためにあり、そこで共同体が子供達を見守る儀礼空間。そこで子供は大人の顔を見て、大人は子供の顔を見る。

 ハロウィンと七夕。伝統的な年中行事には大切なものが組み込まれていたんじゃないかなあ。

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