ジャニー喜多川の性加害問題で色々議論されている。
僕も少しばかり感じたことを。正確になんと言っていたのか忘れたが、「ジャニーズにプライドがある」「エンターテイメントは特別」という感じのことを言っていたように思う。ちゃんと調べればいいのだけど、いい加減なブログなので省略。
さて、「ジャニー喜多川が行なった性加害は許せない」しかしながらというか同時に「ジャニー喜多川に恩がある」という分裂した考えが、彼らタレント(芸能人、有名人)の中に棲みついているようだ。
そこで僕が思ったことは、ダブルバインド状態。これはかつて分裂症(今はあまり言わない)を起こす原因として、グレゴリー・ベイトソンが扱った概念。
いつも母親に暴力を加えられる子供。しかし母親は子供に「お前を愛している」と口で言う。子供は精神が未発達なので、オーラルで「愛している」、行動で暴力だから「愛していない」、この2つのメッセージを処理できずにいて、母親との関係を築けない。そういう時、精神に問題が生じるって理論(物語)だ。
この図式をジャニー喜多川に当てはめる。2つのメッセージを抽出可能。「やさしいおじさん」というメッセージと「自身の欲望を利用する」という「鬼畜のおじさん」。この2つのメッセージで分裂である。これは性加害を実際に受けた人々。やっと「鬼畜のおじさん」と言葉にできるようになった状況。
性加害を受けた人も、特にそうではない人であれば、どうなるだろう。この「鬼畜のおじさん」と「やさしいおじさん」のメッセージ間で混乱する。それを「やさしいおじさん」の方を選ばせてしまうのは、「芸能人・有名人」という「夢」である。「夢」を叶えてもらった人。指摘する必要もないが、それがジャニー喜多川。
だからジャニーさんには恩がある。この思いを強くするのは、「ジャニーズにプライドがある」「エンターテイメントは特別」という「芸能人・有名人」に対する特別な位置づけ。「芸能人・有名人」に威光効果を受けているので、社会全般に共有されている。
こういう職業の歴史的経緯もあるのだが、ここで「芸能人・タレント」を労働一般と位置づけてみれば、この意識は後退する。特別であるというより、それ以前に、僕は労働として位置づけていき、労働者としての基本的人権を守るとなれば、少しは変化するのかも・・・と思ったりする。