タレントのマリエさんが、島田紳助氏に枕営業に誘われたという話がネットで話題になっていた。同席したタレントの出川哲朗さんにも煽られたという。
いわゆる女性蔑視発言、セクハラ、パワハラという問題であるが、そういう問題があまり前面に出ていないように思う。
ここでこの事例を考えるために、「#Me Too」いわゆるMe Too運動について、補助線として取り上げたい。SNSで、セクハラや性的暴行の被害を告白し、その告白が人々に共有され、まさに「私も同様の経験がある=Me Too」との告白が広がり、この被害を撲滅するべきとして、広がった運動である。ちなみに被害の撲滅を訴える運動を「Time’s Up」と分けることもある。
有名な事例は、映画のプロデューサーのワインシュタインが行っていた性的暴行疑いである。彼の名前を出さずにセクハラ被害を訴えていた女優のアシュレイ・ジャッドの訴えが広がり、彼からのセクハラを数十名が告発、それが広がり、被害を受けた女性が「Me Too」と声を上げるようになっていく。
なお欧米でも、一部の女性が「女性の売名行為」と「Me Too」運動を批判することもあったが、女性が声を上げること、つまり被害者自らが声を上げる事に対して、社会的弱者の声に耳を傾けることを女性差別乗り越えの重要な力として、この運動には積極的評価がなされている。もちろんその背景に人権意識、60年代以降の差別に抵抗する様々な運動や思想がある。ここには個別の事例の事実性の前に、歴史的事実性を問題にする社会的意識がある。
さて、先の日本でのマリエさんの告発はどうであろうか。
マリエさんに関する報道を見ると、まず大手メディアは無視している。さらに扱うネットメディアでも、彼女が性被害を受けたという地点で見ること以上に、事実確認ができないとして、事実確認を怠っている。双方に取材して、なおかつ裏を取ればいいのだが、そのような動きは見られない。
つまりマリエさんの告発、一部関連したタレントの事務所発表コメントを垂れ流すだけである。メディア自ら、この証拠を集めようとしていないのである。
しかしながら、先に取り上げた欧米の「Me Too」運動と構図は同じである。金と権力を武器にして、仕事を与える。もし言う事を聞かないなら、仕事は与えない。
仮にマリエさんの告発が虚偽であったとしても、歴史的事実性、つまり具体的には女性差別、ミソジニーの社会の中で、このような出来事があった場合、我々はどのように対峙すべきかとの姿勢がないのである。
そのため欧米では、まず告発者を全面支援する姿勢になっているのである。実はこのような姿勢ができている社会では、虚偽の告発はできないのである。なぜなら、女性差別を悪用するわけであるから、女性の敵でしかない事になる。
まだいっぱい言いたいこともあるのだが、日本が男女平等指数(世界経済フォーラム)で120位になる理由の一つだろうし、日本の「Me Too」運動が立ち上がらない理由である。勇気を持って告発する人は、このような社会的雰囲気に飲み込まれてさえしまう。
欧米基準など、僕は本当はどうでもいいのだ。「俺と寝たら、仕事をあげるよ」というのが気持ち悪いだけだ。当たり前ではないか。
メディアが裏どりしない、あるいは「まあ、まあ」「そういう時代だったよね」とは、女性差別への加担になっている。