この1週間ほど、中国は上海に行っていた。結婚式に出席するためである。本当に素直に嬉しい結婚であったので、海を超えてみたわけだ。
結婚式の話もあるのだが、今回中国に行って感じたのは、兎にも角にも、中国人は精力的だという印象である。みんなよく働く。テレビで中国の問題として取り上げられていたことがある。寝そべり族ってやつだ。
結局中流階級の子弟が親の豊かさに寄生しているという話だが、その程度の寝そべり族の大きさなどというものは、どうも中国全土からすれば、ほんの一握り。大抵の中国人はよく働く。日本人のように生真面目ではないとしても、よく働く。彼らが中国を支えている。
それが人民。
さて、その話を次の機会にでもしようと思うが、今回は報道について。
中国の報道の自由度は、世界170位だったと記憶している。まあ政権批判は許さない風土であるから、近代社会の前提である権力の監視という視点はほぼない。でも、ちゃんと人民は不満は抱く。そこを政治は見ているようだ。不満が高じれば、易姓革命が待っている。中国はそういう部分で未だ近代ではない、近代以前の社会である。
とはいえ、テレビの報道番組を見ていると、ウクライナ問題もそうなのだが、イスラエルの暴挙をきちんと報道しているように見える。ちゃんと批判している。思わず、日本の報道姿勢と比較すると、米国追随の報道に終始し、イスラエルの虐殺暴挙にあまり触れない。
中国の報道は触れている。なんでしょうね。日本の報道自由度は70位でしたかね。政権批判、岸田批判も浅薄な水準で行われるだけで、真の変化は起きず、現状維持に終始しょうとする。それは権力の監視ではない。温存である。これは保守なのだとしたら、バカバカしい。
中国にいると、世界の中心は中国ということになるらしい。世界の中心が米国という意識よりはいいような気がしてしまうのは、中華料理食べ過ぎのせいだろうか。