経済思想の巨人・宇沢弘文先生から。
「大切なものはお金に換えなさない。お金に換えておけば、価値を保存して、必要な時にそれを支えることができる」という考えを根本から批判している。
僕はこのカギカッコの中の文章の中身を「シン・プロテスタンティズムの倫理」と名付けている。この「倫理」はエートス、つまりは人々に共有されている態度姿勢である。いわゆる新自由主義ってやつだ。
プロテスタンティズムの倫理は、資本主義が西欧において構築された理由である。キリスト教が強いる道徳あるいは予定説が労働を肯定し、偶像崇拝の禁止つまりは禁欲を加速させ、資本の蓄積へ。詳しいことは省略するけれど、宗教的情熱が資本主義を産んだということだ。
古典的な資本主義では以上の経緯であったが、現代ではそれが変異していると思われる。それが市場原理主義、新自由主義である。このイデオロギーはあらゆるものをお金に換えることことを目指す。人間の持っている大切なものすべてを変えようとする。
だからお金に換算するといくらになるのか、そういう頭に支配される。宇沢先生の言う社会的共通資本から人間の愛情まで交換可能なものとして観念化してしまう。ちなみに宇沢先生はこういう考えを似非経済学とさえ指摘している。
そして最初に引用した文章の内実を子供達に教え、株取引の面白さやお金を学ぶ授業やコースを学校に設置しようとお目論む。人生最大の目的な儲けであると。これがシン・プロテスタンティズムの倫理である。子供はそれに適応してしまう。
このイデオロギーが学問的には無内容で支離滅裂であるとは、心ある経済学者の言葉であるが、世間一般は載せられていく。うまく立ちまらないと損すると。
そこに人間の心やそれぞれの社会的事情への配慮もなく、突き進む。
その行き着いた先がどうなるのか。いまの日本はそういうひとつの表れではないか。