遠藤の『結婚』の概略を述べておきたいと思います。
結婚に関するいくつかの話が出てきます。1つの話が10〜20ページの短編で、オムニバス形式なっています。そこで様々な結婚のありよう、結婚観が描かれています。
だいたい登場する男女のカップルは、今からみれば、男尊女卑丸出しという感じです。金さえ入れておけば問題ないだろうという男。それをありがたがって生活する女。しかしながら理想的と言われる夫に対して、特別な不満があるわけでもないけれど、なんだか物足りなさを感じる妻の様子。
あるいは不倫して恋に萌えている友人を羨ましいという思いを持ちながら、自分は幸せと納得しようとする妻の姿などが描かれています。
もう少し羅列してみましょう。うだつの上がらない作家志望の夫を「うだつの上がらない男」と心の中で思いながらも、なんだか支えてしまっている妻。
浮気一歩手前の妻が、息子のためのオルゴールの音で、我に返る姿。
妻が先に死んでしまったのに、どこかホッとしている公務員の夫。
一生懸命節約して頑張っている妻に、贅沢したいと思っている夫との対比。
という感じで、結婚生活は決して良いものとしては描かれていないのです。結婚して、好きな人と一緒で、甘い生活が待っているというのは、遠藤の『結婚』には描かれていません。甘い生活というのは一瞬は起きるかもしれませんが、それは結婚の意味としては、重要なわけではないでしょう。甘い生活があってもいいのですが。
これでは、結婚について疑問を持ち、『結婚』を読んで、僕に問いかけてきた大学院生も、そりゃ結婚になんの価値があるのかと思ってしまいます。
さて、作品の最終盤に遠藤は作品の出演者の口を借りて、以下のように語りかけます。
「私は今日のお二人に、こう申しあげたい。どんなに仲の良い夫婦にもある日、ほんの一寸した間ちがいや危険は起るものだと思います。私たちだけは大丈夫とお思いになる自信は結構ですが、その自信があまりに強すぎると相手が一寸した間ちがいを起した時、ゆるせなくなります。大切なことは相手も弱い人間であることをいつも考えて、その人間的な面でゆるし合う点が夫婦生活のテクニックだと思います。……ある程度の妥協でも使えるものは何でも使って夫婦の結合を守ることです。夫婦が一生、結ばれていくことに比べれば、それらの妥協もウソも不純ではないと思います。」
「夫婦が一生、結ばれていくこと」とは夫婦の歴史性です。人間が歴史を紡ぐ事が夫婦に現れるという事であり、「甘い生活」などはその一瞬の出来事ではあるが、現象でしかありません。
もちろん現象は大切ですが、それは歴史の上に現れるのですから、歴史の方が本質的なわけです。
次回からは、この夫婦の意味により接近できたらと思っています。