ジャニー喜多川の児童虐待をBBCが報じた。日本の大手メディアはいつも通り沈黙。なんんどか週刊誌でも取り上げられていたが、いつも沈黙。
最近話題のChatGPTを利用して、この問題にアクセスしている記事があったので貼っておこう。
自分で考えないで、AIに答えを与えてもらえる社会になるのではないかと感じてしまうが、僕なりの意見を。
実はジャニー喜多川に会ったことがある。話したというわけではなく、ちょっと対面で対応しただけだが。もう20年前だと思う。見るからに高価なコートを着ていた。あまりファッションに関心がない僕でさえ、高価なコートと思えるほどであった品のある紳士という感じであった。
まあそれはどうでもいい。さて、このジャニー喜多川問題、つまりは児童虐待問題であるが、たまたまこの話題を話していた。そこに一人、嵐の桜井くんのファンがいたのだが、全く何も話さなかった。どうも触れて欲しくないという感じである。そして問題のことは知ってもいるようだ。しかし、触れようとしない。公然の秘密のような扱いである。
児童虐待問題ということの何が問題のなのか。いわゆる人権問題。ところが人権というと抽象的になり、そもそも人権意識を持ちづらい僕たちでは、ピンとこないのではないだろうか。
児童に対する性的虐待は、虐待を受けた者の人生を壊す。この事実を確認してほしい。児童、あるいは思春期の青少年の性は不安定である。そこに自らの意志とは無関係に、あるいは意志を押し殺すなかで、いわゆる行為に及べば、精神的傷、いわゆるトラウマを抱えることになる。
トラウマは人生を左右する。トラウマは一般化通俗化しているが、理由が不明であるにもかかわらず、急激なストレスを訴え、異常な行動を起こし、そのせいで人生を歩むことが難しくなる、そんな人々が増えていくことで与えられた概念である。
フロイトが精神分析で数年かかって調べた結果、彼らに共通する体験があったことを突き止める。第一次世界大戦に従軍していた軍人が帰還し、戦争で悲惨な目に遭っていた。例えば、友人である軍人が撃たれて死んでいくのが当たり前の日常。この時の思いを押し殺し、心の奥にしまう。本人はそのような事実を意識さえしていない。ところが無意識に押し込んでおり、時に現れてしまう。これがトラウマ。
そして、児童虐待もまたトラウマになり、心の奥にしまいこんでしまう。子供を傷つければ、彼の魂が傷つく。そういう人物は他人を傷つけることを気にしない。なぜならかつて自分が味わった屈辱を他人に味わわせたいという欲望を持つから。これは精神分析からの知見。
それだけではない。他人は自分でもいいので、つまり他人と自分を交換し、自分を傷つけるようにさえなる。魂が傷つくというのは、そういうことである。それらは衝動になる。将来誰かと恋をしても、恋の身体的接触、つまりは性行為の時、トラウマが露わになってしまう。だから人を愛することさえできない。
精神分析のA・ミラーの言葉を援用すれば、魂の殺人である。いつでも虐待された苦しみに対する復讐心を抱えた生を作りだす。人の人生を破壊する、それが性的虐待。ところが、虐待をしてくる人物がいつもは優しい、利益を与えてくれる。分裂した精神状態を作る。優しいのに苦しみを与える、まさにダブルバインドの状態に。
だから許してはいけない。社会はこの事実を受け取らなければならない。僕の知り合いの桜井君のファンは、この事実を受け取ることができない。知っているけど知らないという風に。
ジャニー喜多川の児童虐待の問題が報じられるだけではいけない。僕たち社会の方が、この事実を受容する。これがコミュニケーションである。