今日はさすがにWBCをテレビ観戦。感動しました。僕のようなひねくれ者でも(大したひねくれ方じゃあないけど)感動して、自分の中にこういう野球での成功というか栄光というか、夢というか、そういうものに感動する力が残っているのかと驚きもしていました。
と同時に、野球は世界一になって日本人の力も捨てたものではないのかなあと思いながら、政治は5流、経済3流かあとも。でも野球に見られる変化もまた、社会の変化の現れ、先鞭ではないかと考えれば、捨てたもんじゃないのかとも。
閉塞した日本社会のガス抜きではなく、変化の兆しであったとなってくれればと。そういえば力道山のプロレスを思い出したりして。昭和20年の敗戦、そして8年後の力道山のプロレス。それに勇気をもらって日本は高度経済成長。こんな単純ではないにしても、今回のWBC優勝がそんな意味に解釈される日が来るのかなと。
とはいえ、テレビをつけていると、報道情報番組が全部WBC。この間も問題は社会にいくらでもあった。高市大臣の捏造発言、岸田首相ウクライナ(微妙だけれど)電撃訪問とか。
僕が一番気なったニュースは、袴田さんの再審開始決定。冤罪は許してはいけないことだが、どうもそういう意識が日本には希薄である。もっとメディアは、この問題を取り上げて、深掘りをして、その問題を、その意味を考えさせる機会を作らなければならない。
袴田さんは元プロボクサー。WBC優勝のプロ野球選手も、袴田さんと同様プロスポーツの選手である。関係ないわけではない。そもそも関係をプロスポーツに従事しているということで、関係あるとしなければならないとさえあえて言ってみたい。
こんなtwitter。
死刑判決が最高裁で確定(1980年)し絶望と恐怖に襲われていた袴田巌さんがその三年後の1983年、離婚した妻との間の息子(事件当時2歳)に宛てて書いた日記(原文)。この日記を読んでもまだあなたは袴田さんが犯人だと思うだろうか。ぜひ最後まで読んでほしい。 pic.twitter.com/jmzTy3IcLy
— さよなら昨日の私 (@SaYoNaRaKiNo) March 19, 2023
なんと知的でやさしく、矜持のある文章。袴田さんの人柄を想像させる。
野球はあくまで娯楽。しかしながら娯楽とはいえ、我々の生活に組み込まれているので、スポーツであることの可能性や限界がありながらも、そこに我々の生きる意味や価値が反映されたり、作り出したり、そういう価値がある。少なくとも、そういう意味を考えさせるテクストだ。
袴田さんの再審開始のニュースもまた人生の意味を考えさせるという点でなんら変わらない。WBC優勝の喜びを日本人が共有するように、袴田さんのこれまでの人生の苦しみや悲しさも共有したいと強く思う。WBC優勝がそういう共苦から目を外らすことにことになってはいけない。