先日、札幌高裁で同性婚を認めないのは違憲であると。以下ニュースを貼ります。
基本、法の下の平等から、「婚姻の自由」「個人の尊厳」に関して、同性の婚姻を認めないのは、違憲であると、これまでの立場を変えてきました。僕は当然であると考えます。
それらについて、議論することはここでは行いませんが、このような判決に日本社会の変化が読み取れるのではないかと、少しばかりの私見を。
自民党が揺れています。政治資金のいい加減な運営が今注目ですが、自民党的なものの考え方が日本社会を覆っていたと思います。それが揺れているのでしょう。もう何年前になりますかね。日本会議が話題になったこともありました。
そして、森友加計の問題。統一教会の問題。これらに共通するのは、自民党の特に右寄りの人たちの考え方に親和的であったということだと思います。それらが「なんだかおかしい」ということが世間の人々の認識に上がるようになった、そういうことなんだと。
で、何が一緒かというと、家父長制的世界観。パターナリズムが正しいという価値観が土台にあることです。自民党はliberalなわけですが、よく知られるように、その実、戦前の価値観を保持した政党で、それが日本的な価値観でもあったのでしょう。
彼らが当然とみなしているのは、家制度です。もちろん戦後民主主義では否定されたわけですが、それを温存し続けている。そこで邪魔になるのは、憲法24条の婚姻の規定です。もうアナクロニズムにしか見えないのですが、婚姻を個人間の自由意志で行う行為としてではなく、婚姻は家で行う行為であるという考えをどこかに抱いているのでしょう。
そして、僕たち一般の日本人もまた婚姻から家を排除して考えることはしません。これは人々の慣習であれば、時の経過とともに微妙な変化も許容できるというものです。
ところが、彼らは憲法24条の文言の「両性の合意のみに基づいて」を「家の合意に基づいて」に変えたいように見えるのです。これによって、婚姻(それ以外の権利も)は「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を無効化しようとしている、そういう抵抗をしているのです。
「家族が大事」というのも、このような論理の元に言われる家主義なのでしょう。この考えに基づく人々、例えば日本会議、神社本庁、ついでに、統一協会が連なり、元締めとして、自民党右派が存在している、そんな構図です。
このような旧態依然の価値意識、それらは自然と日本人に身についているかもしれないのですが、憲法、つまりは人権の観点から、”否”を突きつけたといっていいので、日本もやっと、近代的な世界に参入するかのような印象を持ちます。
もちろん近代をただ受容すればいいというものではありませんから、単純化してはいけませんけれど。
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