Drマサ非公認ブログ

大谷メディア騒ぎすぎ

 メジャーリーグの韓国シリーズで大谷翔平の報道が仰々しい。当の本人が自然体であるところが、これは素晴らしいと感じる。ついでに新婚の嫁さんの報道も仰々しい。ほっといてあげたらいいのにと思う。

 マスメディアというのは、どうしようもない存在だ。そして、それらの報道に歓喜する輩ってなんだろう。この日本のマスメディアの在り方、集中砲火的な報道をするのは、多くの人がそれらを見るからであり、結局日本人の傾向なんだろう。

 世界中そういう傾向はあるとはいえ、なんだか日本のマスメディアはそういう傾向が強いようだ。ちなみにこれは外国人の友人の印象である。

 スポーツ自体を楽しむというより、英雄譚を望む人々の欲望に応えるように見える。ゆえに、その周りのヒューマンインタレストは格好の話題ということになる。英雄のお嫁さんがどのような人かというのは、最高のヒューマンインタレストである。

 よって、救いは大谷の自然体。本当に野球が好きなんだろう。その一点のみで、有名になることへの欲望を感じさせないところだ。

 現代のメディア社会にあっては、兎にも角にも人々の欲望は有名であることに向かう。これはあまり指摘されないのだが、有名になりたいとの欲望は最近作られた欲望である。ましてやSNSの時代である。承認とSNSが重層して、人々の欲望は有名性へと向かう。

 そのような時代的雰囲気を横目に、大谷は野球に専心する。立派だと思う。多くの野球選手が野球をビジネス(つまり経済活動)と一般的承認(つまりは有名性)への欲望を肥大化させているのと比較して、ただ野球へと向かう。

 実は多くの人々は気づいているのではないかと思う。それは有名になることを欲望することは下品なことであることを。ただあまりにこの欲望が肥大化していくプロセスを通ることによって、デフォルトになってしまい、トートロジー的表現だが、一般化してしてしまっている。

 だから下品な社会であれば、下品の閾値が上がってしまい、下品と感じなくなるのではないかと思う。

 大谷は結果的に有名になっただけで、それゆえ僕は自然体と見えるのだろうと思う。ところが、有名性を欲望としてデフォルト化している者たちからすれば、その英雄譚として、有名性や金に目が奪われる。

 有名性なんて、その程度のもの、そういうことだ。

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