Drマサ非公認ブログ

ナショナリズムに関して少しばかり13

 自民党総裁が決まりました。ずいぶん注目を浴びていました。いわゆるメディア政治の典型です。テレビが煽りに煽っていました。電通も頑張ったのでしょう。メディアを利用して政治をする。それは政治でしょうか。

 ここで政治がすることは、国民の物質的生活を十分に満たす程度のことでしかないと言ってきました。人間が希求する真理に関わるようなことではないということです。どうしてか?

 何が真実であるのか、何が真の正義なのか、何が真の友愛(社交)なのかという問いは哲学であり、真実・正義・友愛という言葉が存在する以上、形式的には存在するとしか言いようがありませんが、その内容についてはそう簡単に決めることはできません。

 僕はこの真理問題を次のように言ったりします。ドーナツの穴のようなものだと。ドーナツの穴は存在するだろうか、穴なのだから何もないわけで、その意味で無です。ところがドーナツの穴がないと、ドーナツではありません。「ある」のに「ない」そういう矛盾した存在です。ここで存在というのですから「ある」わけですが。まあこの場合は真ん中に穴のあるドーナツで説明しているわけで、ミスドのエンゼルクリームはどうすると言われても、困りますが(笑)

 ですから人類の目的などと言われても、それはドーナツの穴問題。そんな感じでしょうか。少し微分すると「世界にアメリカの民主主義を広げる」ことを目的とすることなんかでしょうか。完全にイデオロギーですから。

 そうすると、政治は人々が普通に生活できていれば、気になることもない。そういう存在であれば、大変よろしいのでしょう。ところが、そのように思う僕が政治を気にかけ気にかけ、政治由来の生きづらさがあると思っているのですから、政治に問題があるわけです。

 その普通に生活が、社会が変化するので、変化してきますが、衣食住にまあ困らない、子育てに経済的問題を感じない、教育費が気にならない、老後の生活に心配ない、病気しても医療費に心配がない、そんなことでしょう。ほか色々。

 胃痛になれば、胃が気になります。僕も2ヶ月ほど前に困ったことがあって、胃が痛くなりました。おかげさまで、先が見えてきました。僕が健康であれば、胃のことなんか気になることもないでしょう。病気だから、胃が気になるわけです。政治も真っ当に機能してくれていれば、政治のことは気になりません。

 僕はそもそも政治にさほど関心なんかない人間です。実際の日本の政治は、昔立川談志が言っていたように「政治ってのは、政治家が飯を食うためにある」との趣旨の発言をしていた記憶があるのですが(正確な発言は忘れました)、その程度の実態なのでしょう。「国民のため」なんて、そりゃ嘘でしょうと皆知っているじゃないですか。

 そうだとしても、国民の物質的生活に問題がなければ、「勝手にやってくれ」と思うのですが、いまそうじゃないと知っていますから。そうすると、物質的生活以上に大切なこと(ドーナツの穴)がねえ・・・

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