メンザシン menzashin0213 報恩謝徳 

日本で生まれ、日本で育てられた事に感謝し、日本の伝統と伝承を学び、後世の世代へと繋がる事、それが私の希望です。

人生の時間軸と陰徳

2013年04月16日 | 日記











数字(寿命)にまつわる事について、何かしら思い浮かぶ事はありますで

しょうか?

現在は、Time is money(時は金なり)で、時間と仕事をこなしていく事に

日々追われている方々も少なく

ないのではないかと思われます。

限られた時間の中で、成果と経済性を両立していかなければ成らない時

代背景の中で、乗り遅れない様にするだけでも精一杯の生活をされてい

る方々もいらっしゃるかと思います。

人生の時間軸は、百年生きれば長寿の人と呼ばれ、日本人の平均寿命

は現在、男性81才、女性86才、と最近のデータで知られていますが、濃く

短い人生を過ごされた方、のんびりと自然の色と音を聞きながら過

ごされた方、思わぬ形で災難に巻き込まれてしまわれた方、等の様に各

自色んな人生観があろうかとは思います。

地球の時間軸、宇宙の時間軸、に比べますと、光陰矢の如く の人生の中

で、何かを残せたのか?悔いの残る人生だったのではないか?はその方

の胸中は各自の覚悟次第なのではないかと思います。

いつ何時天命を全うしようとも、その時々の今起きている現実が、自分の

人生の縮図であり、子孫の事等を考えますと心残りの感はあるかなとは

思ってみても、今の自分自身の置かれている現状では、これで精一

杯生きている状況なので、諸行無常を受け入れると。何の悔いも無念も

無く旅立てるのだと思います。

日本人の考え方として、例え生前に悪党だった人だった人でも、亡くなっ

てしまえば、仏 であり、菩薩(修行者)に精進されている方は、残せされた

親族もこの世の世界からも、そのお方の菩薩行を応援する為に、供

養や各法要を行なわれると言う考えが心情と信仰心のベースにありま

す。

死を恐れる人は、この現世で、他人に慈悲を持って対応せず、横柄な態

度をとってきてしまった自分が、あ

の世でどの様な場所に行くのか?を恐れるあまり、長生きしていたいと余

生に思いを寄せ、長生きすれば

するほど、その人にとっての現世は修羅場であり、他人に言えない大きな

寂しさを抱えながら生かされ続けます。それは、この世に少しでも反省と

自責の念を持ち、気持ちを整理する時間を神仏が与えて下さってい

るのですが、それさえも気付かない方がいらっしゃるケースは、とてもお気

の毒の事かと存じるほかありません。

輪廻転生を繰り返し、清廉した魂になる為に、修羅場の人間世界で修行

をして魂を磨く事、今世の課題が見えずに再度、来世でトライをされる方、

前世とは反対の立場となり、理解する様に努められる状況に置か

れる方、等色んな宿命がありますが、今置かれている現状が下降気味だ

なと思っている方は、今の状況が苦しくても、乗り超えていきなさいとの試

練を、神仏が与えているのです。子供達が相談も出来ずに、袋小

路に入ってしまっている子供であっても、必ずや救いの手があるのです。

いや、身近では見つけらるれないと思っていても、自分の知りうる限りの

環境を飛び超えて探してみますと、必ずや出会って、納得できる光明

があります。逆から言いますと、それがその方の運命なのです。

以前のブログの内容で、宿命、運命、使命、三命について投稿しました。

日本人の数字、8は横にすれば無限大と言う意味もありますが、8は末広

がりの意味で、8はマイナス、陰の方向に-4と、プラス、正の方向にブラス

4の領域を使うことで 8です。4(幸せ)、-4(不幸せ)でバランスを取

り、白でも黒でも、昼でも夜でも、光でも闇でも、荒魂も和魂も、幸魂も奇

魂、も末広がりで 8 と成り、八百万の神となるのです。

つまり、正も負も必要な数であり、真ん中の 0 を含めて、三宝との三方に

伏すとなるのです。

よって、悪いと思われる経験も、良い経験を取り入れる為に必要な事なの

です。

災い転じて福と成す とは、マイナスの負の陰の経験をすれば、プラスの

正の陽が理解出来る、感じとれる筈の試練なのです。私の個人的な感覚

では、負の連鎖が続いてしまう時期は、それだけ業が深いんだな、

と解釈する様に心掛ける様にしています。陽徳だけではなく、陰徳(誰か

の為だけではなく、陰の力となって

支える慈悲行為)の実行こそが、人間世界の中では一番大切な事なのだ

と思います。

小さな事かも知れませんが、母が市政便りの参加で、被災地に花を植樹

するのに、ボランティアのバスで来週行って来ますと言っていましたが、これも身近の中での一つの陰徳の行為かとは思います。


春になって訪れたい場所

2013年04月16日 | 日記







春になり、桜便りが北上中で、田園に田植え作業が開始されると、各地の

霊山も山開きをして、その年々の参拝者が、本地、本山、聖地、パワース

ポット?を目指して訪れる様になります。

とりわけ、山岳部にある大社、神社などは、五月になっても雪が残る中

で、開山をする形となり、月山神社本宮では7月から9月の期間だけに一

般参拝者を受け入れるなどの、短い夏を迎える季節へと近づいて来

ています。

上記一枚目の写真は、宮城県石巻市金華山島の金華山黄金山神社の

境内でありますが、一年中、御参拝が出来るお山であり、新年の元旦よ

り、七朝祭りが祭行されておりまして、山頂まで登山する道中で、

の島が明治時代になる迄、女人禁制の神仏習合、神仏合体の信仰地

であった事が各所で見受けられます。

二枚目から四枚目の写真は、山形県出羽三山の湯殿山の奥之院へ参拝

する入口の五月の最初の時期の写真です。

湯殿山への参拝は、5月から10月の期間だけでありますが、月山より期

間がある事と、月山の様に八号目手前下にある月山レストハウスから、

登山で3時間以上歩かないと、月山神社本宮に辿りつけない形での

参拝方法ではなく、湯殿山は、湯殿山レストハウスから庄内交通のバスで

10分程登って行き、到着したバス停留所から徒歩で10分程歩いて行きま

すと、御神体がある奥之院の入口に辿り着けます。

特段、五月連休頃の出羽三山は、正に霊峰である景色が、山沿いの一

般道路からも見えますし、月山への春スキーから夏スキーをする方も来山

します。

一年中参拝できる場所としては、羽黒山頂上の出羽三山神社が開山をし

ていますが、12月から2月迄は豪雪時期なので、車での御参拝には、冬

支度の準備が必要です。羽黒山山頂からは、日本海と酒田市の港

が見えます。

里と街場に開かれた神社とは、鳥居があり、御神木がありますが、本来、

森 自体が御神域であり、つまり山 そのものが崇敬の対象であった事に

由来して、人々が参拝し易い場所に分霊して、御神体を勧誘して

開かれたのが、一般的な神社の始まりです。

人間が亡くなりますと、故郷のお山に魂の御霊が帰ると言われますが、明

治時代に入ってから、一般庶民の方々もお寺の境内や墓地に埋葬する風

習になりましたが、その以前の一般庶民の方々の埋葬方法は、

故郷のお山に墓標や墓石を建立せず、埋葬する事が一般的な埋葬方法

でした。

そんな歴史背景もありまして、故郷の山を仰ぎみる と言う風習は、先祖、

祖霊に感謝の念を伝えた霊統が、人々の山岳信仰の対象の根底になっ

ているからです。

出羽三山の月山、羽黒山、湯殿山、も明治時代迄は、神仏習合、神仏合

体のお山であり、奉行様(神社で言わている大宮司)のお話しを伺います

と、廃仏毀釈後に、三山は神社に変更になりましたが、それでも現在迄

150年間にも満たしてはおらず、それまでの開山以来、仏教と、先祖祖霊

の供養するお山であった歴史が1200年以上もあり、現在でも脈々と受け

継がれているのです。とおっしゃられています。

故に、先祖の御供養(自分の過去生も)と現世利益と来世安穏(自分の将

来と来世)の祈願が出来る霊山が、出羽三山なのであります。

和歌山県熊野三山も同様の歴史と御利益があります。