3年位前、ベトナム戦争と調べようと、本を何冊か読んだ。
とても複雑な戦争。誰が敵か味方か、わからないこともあった。
ベトナム南、北、米軍、僧侶、ゲリラ隊、市民隊など。
映画は何本か見ているが、実際どうだったかを知りたかった。
これは復習となった。映像、ここまでフィルムが残っていたのかと
驚いた。
NHKで放映。録画。
モノクロ部分もある。わかりやすく、よいドキュメントだった。
国民の力で勝利した戦争と感じた。粘り強くあきらめない。
アジアの湿度、雨が多い気候も有利に働いた。
米兵士は、耐えられなかった。
加古隆の音楽が効果的。
西側で唯一撮影許可を得た、日本電波ニュース社(下記)からの映像。
ベトナム戦争終結から50年経過。
初めに10代の少女の叫びから。
「父は米軍に殺された」何回も町で叫ぶシーン。
ホーチミンの経歴から始まる。
1922年、彼は植民地政策の仏へ、
捕虜を解放するよう小さい新聞を出していた。
うまくいかず、モスクワへ移動、ベトナムの独立をめざし
地下活動を続けていく。
ベトナムへ戻り51歳でベトミン結成。
皆と共同生活をし、独立のために生きる。
共産主義ということではない。ホーチミン主席と名を変えた。
CIAとも接触し兵器の使用方法、ゲリラ戦のノウハウを学ぶ。
ベトナム国民は民族主義。死を恐れない集団だった。
1945年9月、仏から独立宣言をする、
ホーは「人は生まれながらにして自由である」(これは誰かの言葉)
46年、すぐにインドシナ戦争勃発。対仏。
ベトナムとの差は歴然、トラと象の戦争と言われた。
8年闘い勝利を確信した。
ザップ司令官がホーチミンの右腕になった。
500キロの輸送路を計画、トラックで物資、大砲を輸送。
100人の手で作る。自転車も使った。
400キロの塹壕を掘った。
1954年、仏は休みを知らないアリのような国民だという。
仏はたった一部隊。ベトナムは犠牲を払ったが南北に分断され
北はホーチミンが率いる社会主義国になった。
南は反共。
米はアジアが共産主義に覆われてしまうことを恐れた。
次は米が相手になると、ホーチミンは語る。
南ベトナム解放民族戦線が誕生。
1千キロの山を切り開くという、途方もない計画を実行。
これは生命線となった、ホーチミンルート。
ガソリン輸送のパイプラインも作った。
う回路を入れれば2万キロ。すべて機械は使わず、手作業だった。
映像ではっきりわかる。
64年米は北からの爆撃、トンキン湾事件をきっかけとして参戦。
2回目は米の捏造だった。
米軍は北へB52で北爆開始。初の実戦での使用戦闘機。
一気に空爆し、ホーチミンルートを破壊することだけが使命。
ベトナムの負傷者は地下で治療、水も電気もない。
医師が汗を垂らし手術している。
全国からの青年突撃隊ができた。
半数は女性。ホーチミンルートを守るため。
月に小型地雷を1300万投下した米。
女性は地雷を探す作業をし、地雷の場所に旗を立てる。命がけ。
何回空爆しても、ベトナム側は立ち上がる。
米兵士は意味がないのでは、疑問がわき、
ストレスがたまった。
66年、電波社制作「ハノイは戦う」のドキュメントが映る。
人々は、朝5時に出勤、デパートは5時から、閉店は8時。
その後、町に小店を出す。小さいリヤカーに商品を入れて売る。
一人用防空壕が100万設置された。タコつぼ。
6キロの武器を抱え走る、武装マラソンで体を鍛えた。
農村でのゲリラ戦に米を巻き込んだ。
250キロある地下トンネルを使用、ゲリラは中で待ち戦った。
米はすぐ終わる戦争と思っていたが、もう限界。
最悪の闘いになった。
ベトナムは米の8倍の死者が出ていた。
市民は先々、よい仕事をうるため、北でも軍へ入る人が増えた。
南へ行き戦ったが、脱走兵もいて、自殺者も出ていた。
68年、テト攻勢。サイゴンで米と激突した。
32万のうち半数は死傷。
米国民も自宅TVでみていた。
ベトナムの血が流れている。作戦は失敗だった。
米に反戦運動がおこり、反対が賛成を上回る。
69年、ホーチミン79歳で死去。
最後の言葉は、必ず勝利を。国葬に。
73年米軍完全撤退決定。兵士に笑みがあった。
75年、ベトナムは100年の祈願だった独立を果たす。
死者は米6万、ベトナム300万。
枯葉剤での死者があり、もっと多い。
76年、サイゴンはホーチミン市と変更された。
ラスト、電波社のドキュメント。
何でも話せるようになった。
女性がこれまでの闘い、生活がどうだったかなどを語る。
国土を立て直すため、青年国民隊が再結成される。
1950年、ベトナムは平均で26%の経済成長を遂げた。
300万の命を代償に独立した国。
〇電波ニュース社。
1950年の
レッドパージで職場を追われた
柳澤恭雄が、テレビ局に共産圏・東欧諸国を含む海外ニュースを配信する目的で設立。
〇株日本電波ニュース社(
英:
Nihon Denpa News Co., Ltd.、略称: NDN)は、
テレビ番組とビデオ・パッケージを制作する
日本の
企業。
日本で初めてのテレビニュース通信社
[1]として創立。
在京キー局や
準キー局を中心にニュースを提供。かつては自主上映向けや劇場向けの
映画も製作した。