明日発売のW現代のコピー。
大きく
「SNSで世界がゆがむ」緊急大特集。
社会心理学者が警告。
「いますぐ若者にSNSを禁じなさい」
オーストラリア、ベルギー、イタリア、フランスなどでは
そうなりつつあるようで・・
16歳位まではやめたほうがいい。
斎藤幸平が言った「ミクシィまで戻ればいい」もわかるな~
SNS、少しみるだけ。してない。
しなければ他の事に時間が使えるが、
若い人は仲間外れに?それは友人ではない。
みんな、一緒、はない。
明日発売のW現代のコピー。
大きく
「SNSで世界がゆがむ」緊急大特集。
社会心理学者が警告。
「いますぐ若者にSNSを禁じなさい」
オーストラリア、ベルギー、イタリア、フランスなどでは
そうなりつつあるようで・・
16歳位まではやめたほうがいい。
斎藤幸平が言った「ミクシィまで戻ればいい」もわかるな~
SNS、少しみるだけ。してない。
しなければ他の事に時間が使えるが、
若い人は仲間外れに?それは友人ではない。
みんな、一緒、はない。
キネマ旬報を、久しぶりに借りて読んだ。
背景が黒で小さい活字。読み辛い。
段組みも3段、4段があり段が多いと小さい字になる。
白い背景で薄い青緑?で線が細い字体で
読みにくく、夜はしっかり読めない。
太い字体にしてほしい。
目が悪いと言われれば、それまでだが。
高齢になると多いはず。
月刊誌になったのもうなずける。
内容は専門性も読め、悪くはなく映画紹介も多いが、
活字の見つらさで損な雑誌と感じた。
著者、79年東京生まれ。ノンフィクション作家、
初めて読んだ。前、NHKのドキュメントで見た
ハッピイドリームサーカスを書いた。
サーカス・・これはキグレサーカスの話し、知らなかったが、
70年代、東京後楽園で連日満席になる時代があったという。
著者は母が3歳で父と離婚、子供と一緒に働ける場所。
1年だけサーカスのまかないの仕事をした。
たった1年だがサーカスの現場で過ごした幼児期。
強烈に残っている体験だった。
記憶にある人々の事も多く書かれていた。
特に前半は興味を引く。
サーカスは血縁ではないが家族になる。
子供たちは一緒に遊び、他人の子の面倒を見てくれる。
食費、光熱費はいらないでの、貯金ができるという。
サーカスという特殊な世界での人間関係、生き方は
珍しさとともに、異世界読書経験になった。
日本のサーカスについても調べてみた。
前にドキュメントを見た、
ハッピイドリームサーカスはまだ健在だった。
このキグレサーカスは2010年盛岡公演で廃業、今はない。
一番有名な木下サーカス(これは子供の時見ている)は
阪急の経営なので健在。
あと1つあり、今は3つのサーカスしかないようだ。
サーカス人数も200人位か?
娯楽が少ない地域では、子供たちは喜ぶエンタメで
価格も5千円前後だった。
サーカスと少し違うが、シルクドソレイユは1回原宿で見た。
これは高額チケット。
サーカス、元はイタリアあたりから始まった。
TVがまだ普及していない戦後~50年代初めはサーカスは
まさに娯楽だった。非日常へのステージ。
47年に児童福祉法が施行、15歳未満は仕事ができなくなる。
原則禁止。各地を転々とする生活、旅芸人。
小学校を160回転校したとあるが、2週間で転校すればそうなる。
読んでいて、教育虐待ではと感じたが
子供たちは慣れてしまっている。親も一緒に生活がいいと語る。
中には小学校は祖父母に預ける家族もいた。
著者の母も小学校からはサーカスでは働かないと決め
1年間だけだった。
日本のサーカスと言えば、人さらい、酢を飲ませる、
と言われていたとある。
そうか~子だくさんで、サーカスに売りに来た親もいるとあるが
どこまで本当なのか・・お酢は体を柔らかくするためだろう。
転校が2か月位でも、子供にとっていいわけはない。
科目も増え小学生でも多々、学校により速度も違いので
ついていけないと不登校になりやすい。
サーカスがあれば、それが仕事になると安易に考えるのは
親の身勝手。一人、芸大、絵画系を卒業後、演劇をしようか?
サーカスにひかれ、入った女性の話もあった。
著者は、10人位の元団員に取材し、実際に会い話を聞いた。
かつては花形スターの40過ぎ男性、
他の仕事を懸命に覚え生活する家族もいた。
離婚しているカップルが多かった。
大人はともかく、子供を転校という変化に、
知らぬ間になじませ慣れさせる。
そのあたりは変えていかないといけない・・
サーカス団も増えることはないだろうから・・
米の州図鑑を買った。
州の情報がイラストでわかりやすい。
小学生でも読める。肥満度。貧しい州に多い。炭水化物、
それも冷凍加工品ばかり食べているせいもある。
日本、保育士から聞いたが、ごはん多く食べ
おかず、タンパク質が少ないと肥満気味になる。そう思う。
米では昔から冷凍加工品で1食は映画でも出てくる。
40%が肥満は、ウェストバージニア州、ルイジアナ州、
オクラホマ州・・
35~40%が19州もある。10年前は35%越は0州。
このままだと30年には、
国民の半分が肥満という研究が出ている。
肥満の原因は身体的、経済的、文化的など、
調査は続いている。
25%は0州。唯一、ワシントンDCが24%。
ここは州ではなく政府の独立行政区。
数十万の公務員が住んでいる。
写真がある加工品は、冷凍でカロリーが超高そう。
タンパク質はあまりなさそう。野菜も食べず、
コーラと安価なスナック菓子が好き。
日々食べていれば肥満になる。
M文藝春秋から。月間はあまり読まない、久しぶり。
昭和100年の100人、タイトルで。
クロネコヤマトの創業者、小倉昌男。1924~2005年。
76年、郵便局しかない、個人宅配を開始した。
当時は長距離輸送が花形でヤマトは出遅れていた。
そんな中で個人の荷物を運ぶサービスを始めた。
私も留守のお隣の荷物をヤマトから受け取り、
後で渡したことを思い出す。お隣に渡す、は普通だった。
宅急便、関東圏からサービス開始。
大企業に成長するが、初めは運輸省が路線免許の許可をださず、
提訴したこともある。
小倉は創業者の次男として誕生。
物流では珍しい経歴のエリート。
東大経済学部卒。学徒出陣した。入社後には経営スキルを研究した。
米国へ行き視察。離島を除く全国ネットワークを完成後、
会長退任は95年。その後・・
スワンベーカリーという名前を知っている人?
障碍者雇用のパンやさん。
小倉は私財を投じヤマト福祉財団を、93年にたちあげた。
93年、とても早い時期の障碍者の雇用組織に驚く。
このパン屋は知っていた。98年銀座店からスタート。
先を見る視点。30年以上前から、障碍者雇用を考えていた。
政治家たちは、驚いただろう。
赤坂店オープンには小泉もかけつけたという。
立派な業績。今このパン屋はどのくらいあるか?
なぜ障碍者かは、疾患がある家族がいたと、これを読み知った。
そうか~働く場を作ろうだったんだ。
気が弱く、穏やかな方が裁判を起こし成功させた宅配便。
運送業主と障碍者雇用のパン屋、日本では珍しい。
調べた。関東圏、大阪、西日本にも店舗がある。
本も出版、読んでみよう。
〇スワンベーカリー
一部では軽食も提供する喫茶店を併設している店舗もある。
株式会社スワンが運営する。
一部のフランチャイズ店(十条、赤羽、霞ヶ関)は、「ANAウィングフェローズ・ヴイ王子株式会社」が運営する。
(霞が関は販売のみで、製造は十条で対応[2]。)
運営目的の主旨は、障害者の雇用と自立支援(従業員の過半数は軽度の障害がある)。
健常者の得る最低賃金支給額より、大幅に安く賃金を支払われることの多い障害者雇用の現状を憂いた
「公益財団法人ヤマト福祉財団」理事長に就任していた小倉昌男が、障害者が適正な収入の確保を得られる技術や、環境を得られるように
ヤマト運輸(現在のヤマトホールディングス)とヤマト福祉財団に働きかけ、「株式会社スワン」を設立。1998年、スワンカフェ銀座店を第1号店として開店した。
1999年、王子養護学校の教員であった小島靖子と卒業生の親の会により「ヴィ王子」が設立され、
十条店としてオープンした。2013年、「ヴィ王子」の一部がANAの特例会社(エーエヌエー・ウィング・フェローズ)と合併し2024年現在
「ANAウィングフェローズ・ヴイ王子株式会社 ベーカリー事業部」となった。(一部は障害者B型支援施設「スワンカフェ&パン工房」として存在。)
~~
2010年6月からローソンと提携し、都内一部店舗のナチュラルローソンでスワンベーカリーのパンを販売している。
また2011年には、ナチュラルローソン芝浦海岸通店内に「スワンベーカリー共働店」をオープンし、障害者スタッフにより焼き立てパンを販売している。
23年、中央公論新社。読売新聞連載小説の書籍化。
川上、48歳、08年に「乳と卵」で芥川賞受賞、綿矢りさとW受賞。
若い女性二人、出版界の戦略だろう。
川上本は読むの初めて。
大阪生まれ。小説舞台は都内と埼玉だが
西の感じはしっかりあった。2000年頃の物語。
600ページ。1年3か月連載は長くなるよ。
初め新聞事件記事から、少しミステリアス?
50ページ位は、読めるか、と、だんだんと退屈になる。
斜めよみ。
セリフが多い。水商売の女性たち、数人がワイワイと話す。
10代で飲酒。賭博、闇バイトなどヤクザも登場。
参考文献にそれ系の本があった。
ほとんど貧しい家の女性。文化住宅に住み
お金がギリギリ。何をして生きていくのか
何となく、スナック、キャバクラ勤務。
一緒に住んだり、急に出て行ったり。
ラスト著者がまとめられなくなった感じがしたが
こんな人生を書きたかった?
詩集も出している。ファンタジーとして読めばいいのか・・
これは現実なのか・・というラスト。
家族、血縁、生活、貧困、お金、犯罪など、つめつめ感があった。
「夏物語」は40か国で翻訳されている。
漢字が少なく、多分翻訳はしやすいだろう。
川上は同じ芥川賞をとった阿部~と同じく再婚同士結婚。
話題になった。息子がいる。
初めは歌手、モデルもしていた。
奇麗なので女優狙いだった?
他の短め小説を読んでみてもいいと思った。
24年刊、幻冬舎。この社の本は進んで読みたくはない。
これは書評にあり借りた。
フィクションだが、半分以上ノンフィクション。
日時、実名もかなりある。
著者も知らなかった、ノンフィクションライター。65歳位。
半分はまあ良かったが、残りはそれほどではない。
87年、5月。朝日新聞社阪神支局で、
二人が銃撃される事件からはじまる。
一人死亡。一人は重症だが命は助かる。
犯人は逃げ未解決のまま捜査は終了。
事件後「赤報隊」からメッセージが届く。
時は流れ、安倍元総理暗殺事件へ飛ぶ。
犯人は単独か?他にスナイパーがいたのでは?
ケネディ暗殺のオズワルドのように。
政治家、記者、警察、自衛隊などが登場。
推理ものになる。
安倍暗殺時、ネット、SNSでは画像など多々、陰謀説が流れたという。
私は全く見ていない。
著者は、それらも調べ取り入れている。
確かに一人であの銃で暗殺完了は、あまりに唐突感もある。
マジで!レベル(^^)/
さらに元統一教会も絡んでくる。
銃好きな方は詳細に書かれているので、読みごたえがあるか・・
著者は自衛隊関連にいたのでは、と感じるくらいだった。
銃マニアか?
昔は買っていた時期もあったが、もう数年は買っていない。
区の中央図書館にしかないので、久々、借りた。
24年11月号。1320円。
追悼「ジーナローランズという奇跡」
「アランドロンという永遠」と表紙に。
今トレンド?「奇跡」を入れるの(^^)/
ページは黒背景に小さい字。
老眼鏡をかけても、夜は読めなかった。
黒背景は、「ナンバー」もそう。
キネ旬は全体に小さい。どちらかというと、30代以上が
読む雑誌では。もう少し大きくがいい。
07年にどこかの完全子会社に。
月間になったのはいつから?
前から、到底月2冊は無理と思っていた。
で、ローランズ好きでもないので、奇跡、ではない。
ドロン。昔大好きだった。何で?軽薄男と40代からは思う。
監督との相性、ルイマルはダメだったとある。
「~誠実さと才能にも疑問~たえず口論~」
マルは仏の富豪の息子だから合わないのわかるな。
ヴィスコンティはゲイだから、スタッフもほぼゲイ。
ドロンとは関係を持ったか・・
彼は里子にだされ軍に入り、職を転々、スターになった。
1度犯罪の容疑者になり取り調べを受けているが、
そこまでで終わる。三角関係。
ロバート・ワグナーも、Nウッド殺害容疑がかかり、
調べを受けたが、終わった。
海外芸能界、お金で解決なのか・・
先日みたアレンの映画、スペインのサンセバスチャン映画祭の
記事があった。
「マザーテレサ」の映画化。
パンクロック調で主演ノオミ・ラパスだって!
X、に人魚関連本が載った。草思社。
イラスト、かわいくない人魚だね・・私は食べられないよ。
このブログの「人魚」は何回か書いているが。
ジャズのタイトルから。銀、SILVERも。
〇探検家が「人魚のモデル」とされる動物の諸説を徹底検証
遠い昔、若狭湾に臨む小浜(おばま)で人魚の肉を食べ、
永遠の若さを手にした少女がいたという。
彼女は尼となり日本各地を遊行して800年生き、
「八百比丘尼」(やおびくに)と呼ばれた。
彼女が食べた「人魚」とは一体何なのか──?
ジュゴン、アザラシ、アシカ、リュウグウノツカイから
オオサンショウウオ、サメまで、
人魚のモデルとされる動物の諸説を徹底検証し、
「日本の人魚」の正体に迫る異色のノンフィクション!
第一章 人魚を食べた少女の故郷――小浜
第二章 南海の人魚 ジュゴン――沖縄
第三章 淡水の人魚 オオサンショウウオ――石川・和歌山・滋賀・岡山・福島
第四章 北洋の人魚 アザラシ・アシカ――隠岐島
第五章 深海の人魚 リュウグウノツカイ――富山・福岡・新潟
第六章 検証から新たな仮説へ――小浜・美浜町
第七章 ドキュメンタリー番組――内外海(うちとみ)半島
第八章 伝説を読み解くコード――小浜・出雲
24年刊、河出書房新社。
青木が9人と対談した本。3人読んだ。
本も読みドキュメントも見た、斎藤幸平との対談もあり借りた。
斎藤のベストセラー「人新生」は未読。
ウーバーイーツなどの実践体験談本を読んだ。
「資本主義でない世界を徹底的に考える」と初めにある。
「人新生」は難解本、この対談で少し彼の考えが理解できた。
20年、当時大阪市立大准教授か。33歳。
ざっとこんなことが書かれている。
脱成長の社会、スローダウンさせる。
GDPだけの物差しはやめる。
ファストフードはいつでも食べられるが、そうでなくていい~賛成。
コンビニも24時間など必要ない。マック的消費文化を改める。
気候変動問題。SDGSを考え直す。
~SDGSもはじめは、いいかと考えたが、今はそう思わない。
レジ袋なし、でも企業のロゴのマイバックを売る、
プレゼントするようになりキャンペーン化した。意味がない。
企業のやってる感を出し、利用されてしまう。
Amazonは膨大な利益を生んでいるが、本屋はなしなってしまう。
~わが町も1件もなくなった。
米で、バーニー・サンダースが若者に支持された理由について。
大胆な改革の必要性を説いき、50年先を見て考える。
今、30代位の子供の時代がどうなるかとつかむ。
共産、社会主義は、皆が同じで貧しいと考えがち。
そうではなく共同所有の領域を広げる。
コモンと呼ぶ。この概念を提唱している。
国営、市営ではなく市民営化。
電気、水などを市民が管理する。
マルクス研究をしているがマルクスを守りたいわけではなく
マルクスがイマジネーションの根源になっている。
このままでは資本主義は必ず行き詰る。
バルセロナ、アムステルダムが先駆的な取り組みを開始している
~バルセロナか、意外。アムステルダムについては
他の学者も書いていた、次のページに。
食物を地球の裏から運ぶことをやめ、
できる限り現地で生産する。
斎藤も都心育ち、都市の便利さはわかる。
地方の閉鎖性が嫌で若者が都市へ移住もある。
でも災害が起これば、人口が多い都市部、コンビニも使えない。
資本主義で救われるのは
結局お金持ちだけ、持ってない人には残酷。
コモンでは、面倒なこともでてくる。スポーツも練習する。
民主主義を守るためには、走りこみ、トレーニングも必要。
〇青木の聞き手で、わかりやすかった。
コモン、という考え。日本は長寿、都市部に異常に人口集中国。
どこまで可能かはわからない。コンビニ、ファストフードなど
24時間など必要はない。リニアも当然いらない。
必要ないものを無くし、ゆるめ、その中で生活する習慣をつくる。
少し昔に戻ればいい。
NHKドキュメントでは「ミクシィ」に戻るくらいと言っていた。(^^)/
IT機器もよいものだけを残す。
斎藤は二人子供がいる。先を見て考えている。
〇ロシア文学者、以前読んだ奈倉有理との対談も読んだ。
ロシアゴーリキー国立文学大を08年、
日本人で初めて卒業した女性。ロシアとウクライナの関係。
当時の緊迫した状況などが語られた。
米の図鑑から。米の北東、カナダに近い小さい州。
州都は米で一番人口が少ない。マクドナルドがない。
メープルシロップの産地。
映画「サウンドオブミュージック」のトラップ一家は、実在。
映画とは少し違うが、亡命後、50年からこの州でロッジを開いた。
現在も営業中。
日航123便、御巣鷹山事故、著者は元CA。
ノンフィクション作家。事故で寮にいた同僚が亡くなり、
事故を知ろうと純粋に思い書いた1冊。
大卒後CAになり数年以内で辞職。東大院で博士課程を取得。
人材教育プログラムにかかわる。
この事故は理系の知識が必要だと勉強し始める。
大学院など研究機関で墜落に関した資料
35年間の調査をする。これまでに6冊出版。
1冊がベストセラーに。本書も24年8月刊、11月には5刷。
森永卓郎も、書いてはいけない、でこの事故をとりあげ、
著者とも話している。私も3冊は読んでいる。
年齢はわからないが、事故当時20代後半として、もう60代後半だろう。
仙台出身。2010年にこの事故の初めての本を出した。
遺族が裁判中の資料公開も23年却下され、
これが最後の本になるか。
この事故直後、私は出産で入院中、予定日を過ぎ
当時は高齢で帝王切開の可能性もあった。
2日位個室でTVをみられ、今でも記憶にしっかり残っている。
生と死の時を過ごした。
本書は事故ですでに書いた事もある。
遺族が資料開示裁判を起こし
昨年、それが却下されたなど、内容は濃い。
中でも2章。「看護婦が見た隠された遺体」が今回
初めて書かれたと思う。
86歳になる元看護士、当時、遺体搬送された病院に
ボランティアでかけつけていた。
藤岡市の病院、外科のM看護師。ベテラン。
14日、仕事が終わり遺体搬送の体育館に17時頃に着くと
大混乱だった。暑く、息苦しい、40度を超えていた。
遺体からの異臭もあった。
次々来る遺体を医師が診ていく。
水道は外だけ。運び汚れを落とし、一人2,3時間
かかる作業を延々とした。
深夜、裏の入口から一人の遺体が搬送。
機長だった。事故では、可能な限り
機長が一番早く遺体検死を行うのが鉄則。
病気、アルコール、薬物などをすぐに診る。
機長は全裸で、となりに身長ほどある、アルミ?のような
棒が・・刺さっていた?全身がそろった完全遺体。
炭化はなかった。
大手各新聞は、どこも8月30日頃機長遺体が発見の記事が載った。
491人目に発見とある。
14日に機長を診たと書かれているのに・・
著者はM看護師の15年に出した、事故の文集を読み
おかしいと感じ、訪問し話をきいた。
当時をしっかり記憶していた。
機長は一般とは違う、厚い毛布で丁寧にくるまれ、
機長がするはずはない
一般と同じ酸素マスク、黄色、だった。これもあり得ない。
コックピットにあるマスクは形色が全く違うもの。
いくつかの疑問がわき、著者は資料を再見した。
機長は14日深夜、100人目位に検死をされた。
自衛隊機と日航機衝突事故として、著者は長年書いている。
機長は自衛隊からJALに入社、そういう経歴のパイロットは多かった。
米軍の支援を断り、場所の特定も遅かった。
もっと早ければ、助かった人も多かった。
遺族の一人は親族5名を亡くし、資料開示の裁判へも参加。
もう30年。私も上記したように、記憶が残っている。
71年頃、岩手雫石で、自衛隊機とこれはANAだったかが
衝突し、160名位が亡くなった飛行機事故。
それ以外にも、米などでも軍機とは少なくはない。
仏でもあり、隠ぺいされたが、50年後くらいに機長が証言し
国が謝罪。賠償金を払った。
日本ではボーイング社が間に入り、国からの賠償は1円も出ていない。
各自の示談交渉だけ。
当時、金額を推測し、お金が入るならマンションを買ってほしい、
土地がある、遺族への勧誘もひどかったという。
これは知らなかった。単独では世界一の大飛行機時期は
これで、もう幕を閉じてしまうのだろうか・・
24年元旦の能登地震、2日の海保とJAL機の衝突爆破事故についても
書かれている。
JALは半官半民会社、他の航空会社を傘下などで、
混乱時期が長かったとある。
羽田の過密ダイヤ問題。まだ増えそうな本数。
インバウンド加熱でどうなるのだろう。
飛行機は長く乗っていない。
また著者の本を読みなおしてみようと思う。
選挙がありイラスト入り図鑑を買った。
米映画は多数見ているが、どのあたりの州かわからないことが
多いので、参考に。イラストがたのしい。
元祖ゾンビ映画ロメロ監督、
この州の海岸よりピッツバーグでロケをした。
79年にはスリーマイル島、原発事故発生。
主要都市はフィラデルフィア。
X。トレンドに元フジアナ、長谷川豊が載っていた。
特ダネのMCだったか?
米へ家族と転勤?そこで局のお金を着服かの罪で
解雇だった?
良くしらないが、フジらしい。
今週のW文春の記事。
09年にフジが出したDVD付豪華社史。
「フジTVジョン開局50周年史」は、
一般の人は読むことができないとある。
すべての本を読める国会図書館でも、
まれな指定がかけられ閲覧不可。
フジが自ら閲覧不可を申請したという、奇妙な事実。
後から不都合な記載に気づき、隠ぺいしたかとあった。
先ほどアップした本、ラストの対談が似鳥氏。
彼は70歳でADHDと診断された、と話している。
調べた、以下に。
対談では小学生から闇米配達なども手伝った。
勉強が全くできない長男。6年で自分の名を漢字で書けないのは
彼だけ。
父母に言われできることだけをした。
漫画が好きで絵をかきこっそりうるなど。
当時、引揚者、北海道、子供を診る医師などはいない。
発達障害という言葉もない。仕方がないとは思うが、
父母は勉強より、仕事を優先しさせていた。
今なら児童虐待だろう。
寝るときだけが楽しかったとある。
他の社2つで解雇され、23歳でお見合い結婚。
ニトリ創業は父母、妻の大きな支援もあってのことだが、
家で仕事をさせられるって貧しい北の日本、普通だったのか・・
私と9歳差でこうかと驚いた。
妻が社交的で営業、社員とのコミュニケーションを任せられた。
これがニトリ発展の大きな力となった。
昭雄の発達障害は、どこまでが真実かはわからない。
大げさかもしれない。日経の履歴書は、概してその感じはある。
二人、子供がいるが息子は他のメーカー勤務。
継いではいない。父の死後、相続でもめているとのこと。
〇2015年、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載を開始。大きな反響があり、それをまとめた本も出版された[7]。
その著述の内容の一部について、実母から事実誤認のクレームを受けている
2018年頃、テレビ番組での発達障害に関する特集が切っ掛けで専門医などによる診断を経て、
注意欠陥・多動性障害(ADHD)であることが判明したことを公表している[11]。ただし、先述の実母から指摘された事実誤認とADHDとの関連については不明である。
〇私は昭和19年(1944年)に樺太で生まれた。
父・義雄の先祖は南部藩で家老を務めていたと聞くが、戊辰戦争で敗れ、
岩手県から北海道の花畔(ばんなぐろ)村(現在の石狩市)に
開拓民として移ってきた。私は開拓民の4代目に当たる。
似鳥という名前は、今も岩手県に残る「にたどり」という地名だ。
似鳥一族のうち、本家筋が「にたとり」の名前のまま札幌に入植し、
分家の当家は「にとり」という名前で入植した。