子育てをする時の心がまえとして
よく喩えられる格言の一つに
『飢えている人がいたら、魚をあげますか?
それとも 魚の釣り方を教えますか?』
というのがあります。
ここでいう 『飢えている人』は 『子ども』です。
子どもが 何かを学びたがっていたり、
何かに挑戦しようとしている時
親の援助の仕方として
言い方を変えると、
すぐに 子どもに 魚(目的の物)を与えますか?
それとも 子どもに目的達成の為の方法を教えますか?
という訳です。
子どもの成長や、将来を考えすぎるあまり
あれやこれやと
子どもに考える時間も与えず
親が 先回りをして
やり易く 簡単に成功体験をさせてしまう。
これが、「魚を与える」という援助の仕方。
過干渉や、過保護 です。
次に、
子どもの本当の成長を願い
簡単に成功体験をさせるのでははなく、
成長や目標達成の為に
どうやったら いいのか 体験させて学ばせる。
この援助の仕方が
「魚の釣り方を教える」ということだそうです。
私は 「魚をあげる派」かな?
それとも 「釣り方を教える派」かな?
と 考えてみたのですが・・・
結果・・・
どちらも派でもありませんでした。
私の子育て感は、
子どもが 「学んでみたい!」
とまず自分自身で感じてもらいたい派です。
自分自身で
どうしたらいいのか?
試す体験や経験を
小さな頃から 失敗しても構わないから
積み重ねること。
親は、その様子を見守り
タイミング良く
そっと 子どものやる気スイッチを押す。
なので、もし飢えている人がいたら・・
私は、
飢える前に 何か自分で出来ることはないか?
考えられる力を育んで欲しいのです。
魚を与えるのも、
釣り方を教えるのも
どちらも、発信者は 親 大人です。
子どもが 発信していません。
何かを学ぶためには、
発信者は子どもでなければなりません。
親が 「子どものために」と思って
体験させたことや お金をかけたことから
子どもが 学ぶことは 非常に少ない気がします。
それよりも、
親が 「教えるつもりがなかった」とき。
親の言動や行動を
子ども自身が、子ども独特の視点で興味を持ち、
勝手に学びとることの方が多い気がします。
普段 子どもたちと接していると、
彼らの瞳は、見るものを
まるで スポンジが水を勢いよく吸い上げるように
あっと言う間に吸収し、
魂に刻んでいるのが伝わってきます。
言葉で 上手く自己表現することはまだ未熟だけれど、
物事の背後にある考え方や物の見方を
五感で感じとり、学んでいきます。
子ども達は、心に響いたものを土台にして、
彼らの人生を少しずつ築きあげていくのです。
あまり口出しせずに
ゆったりと 子どもの学びを 見守りたいですね^_^
よく喩えられる格言の一つに
『飢えている人がいたら、魚をあげますか?
それとも 魚の釣り方を教えますか?』
というのがあります。
ここでいう 『飢えている人』は 『子ども』です。
子どもが 何かを学びたがっていたり、
何かに挑戦しようとしている時
親の援助の仕方として
言い方を変えると、
すぐに 子どもに 魚(目的の物)を与えますか?
それとも 子どもに目的達成の為の方法を教えますか?
という訳です。
子どもの成長や、将来を考えすぎるあまり
あれやこれやと
子どもに考える時間も与えず
親が 先回りをして
やり易く 簡単に成功体験をさせてしまう。
これが、「魚を与える」という援助の仕方。
過干渉や、過保護 です。
次に、
子どもの本当の成長を願い
簡単に成功体験をさせるのでははなく、
成長や目標達成の為に
どうやったら いいのか 体験させて学ばせる。
この援助の仕方が
「魚の釣り方を教える」ということだそうです。
私は 「魚をあげる派」かな?
それとも 「釣り方を教える派」かな?
と 考えてみたのですが・・・
結果・・・
どちらも派でもありませんでした。
私の子育て感は、
子どもが 「学んでみたい!」
とまず自分自身で感じてもらいたい派です。
自分自身で
どうしたらいいのか?
試す体験や経験を
小さな頃から 失敗しても構わないから
積み重ねること。
親は、その様子を見守り
タイミング良く
そっと 子どものやる気スイッチを押す。
なので、もし飢えている人がいたら・・
私は、
飢える前に 何か自分で出来ることはないか?
考えられる力を育んで欲しいのです。
魚を与えるのも、
釣り方を教えるのも
どちらも、発信者は 親 大人です。
子どもが 発信していません。
何かを学ぶためには、
発信者は子どもでなければなりません。
親が 「子どものために」と思って
体験させたことや お金をかけたことから
子どもが 学ぶことは 非常に少ない気がします。
それよりも、
親が 「教えるつもりがなかった」とき。
親の言動や行動を
子ども自身が、子ども独特の視点で興味を持ち、
勝手に学びとることの方が多い気がします。
普段 子どもたちと接していると、
彼らの瞳は、見るものを
まるで スポンジが水を勢いよく吸い上げるように
あっと言う間に吸収し、
魂に刻んでいるのが伝わってきます。
言葉で 上手く自己表現することはまだ未熟だけれど、
物事の背後にある考え方や物の見方を
五感で感じとり、学んでいきます。
子ども達は、心に響いたものを土台にして、
彼らの人生を少しずつ築きあげていくのです。
あまり口出しせずに
ゆったりと 子どもの学びを 見守りたいですね^_^