「え、Rien?」「そうだ、Rien(何もいらない)」
「わかりました。いらないのですね」と、びっくりはされたが不機嫌な様子を見せることもなく、店の人は戻って行った。
日本と違って水が出てくるわけでもないので、何も飲まず、ただ座っているだけだ。
日本だと、「おひとりさま、必ず1点のご注文をお願いします」という店もあるが、そういうことはない。
まだ私にぶつぶつ言う。「こんなふうに歩き回って本当に疲れた。こういう大きな町はだから嫌なんだ」と。
「だから、小さな村に行こうと言ったのよ。小さな村に行く?」
「いつだ?」
「今からよ。まだいけるわ」
「コーラスがあるんだ。子どもが船の上で歌うんだ。夕方。村には行けない」
コーラスのためにアルザスへ一緒に来たのかもしれない。それくらい、コーラス、コーラスと言っている。
そして、ギャルソンが注文品を持ってくるたび、話しかける。
つまり、自分の態度が恥ずかしいことはわかっていて、関係を修復しようとしているのだった。
ランチの時もそうだった。アルザスはフランスではないと言いながら、にこにこしながら話しかけていた。
そういえば、注文するときもギャルソンに「フランス語が話せるか?」と聞いていたが(アルザスだから?)、これは別に悪気があってではないこととはいえ、フランス人にこんな質問をされるとは、驚いたことだろう。
そして、このカフェで、お勘定になった時、何も頼んでいないのに、「私が払う」と、言ったのだった。
つまり、「ケチで頼まなかったのではないよ」というアピールであろう。
こういうフランス人の高齢者も少なくないのか、お店の人は、上手に扱っているように見えた。日本では、むっとされることが多いと思う。
出口のあたりでも、まだしきりにさっきのギャルソンに話しかけている。
よほどばつが悪かったのであろう。
またてくてく歩き始め、エスカレーターがコルマールで一番願ったもの、子どものコーラスがある運河を目指す。