フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

2023-04-20 08:37:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

PCR検査で陽性がわかったその翌日、私たちはホテルのチェックアウトをする。

マリーアンジュには、彼女がネットで今のホテル2泊分を彼女の支払いで予約を入れているので(部屋は私の名前)、お金は現金で彼女にすでに支払い済みだったが、フロントに領収書を書いてもらえるよう交渉してほしいと頼み、うまくいった。



チェックアウトも済み、バスに乗って、パリの中心部にあるホテルへと移動した。

しょぼいホテルは2泊で切り上げ、自分で見つけたホテルに移動した。

あー、本来なら帰国の予定だったのに、などと思う気持ちには、まったくならなかった。が、屋根裏部屋のような部屋から小さいながらキッチンもある少し広い部屋になり、落ち着いた。

 

 

しかもスーツケースを置かせてもらっているイザベル宅とは目と鼻の先だった。

本来なら昨日スーツケースを取りに行き、小児科医宅で一泊し、翌日(今日)の帰国に備えるはずであったが、事情を説明し、あと数日置かせてもらえるようにお願いをした。

彼女は「大丈夫?荷物のことは心配しないで。また何か必要なものがあったら言って」と申し出てくれた。

 

私は数日前から薬も飲んでいないが、この日を境にまったく普段通りと言ってもいいほどになっていた。連れ合いは少し咳をしていて、薬のせいか眠気が襲って、買い物以外は、ここでも横になっていることが多かった。

 

フランスでは陽性でも平熱状態なら外食をすることも可能だと聞いてはいたが、さすがに陽性の状態では無謀だと判断した。

 

いつ日本に帰れるのか。もちろん急がなければいつかは帰ることができる。

仕事先には、連絡を入れたが、シフト制の仕事のため、気にならないわけではなかった。(後日、「ところで、いつ帰国予定ですか」というメールが来た時には「こっちが知りたいよ!!」状態だったが)

連れ合いも仕事の関係先等にメールで事情を伝えていたが、それほどの支障はないようだった。

 

数日後、もう一度抗原検査をしてみようと思った。その旨を小児科医にも告げ、ここで3泊することにした。

小児科医は、このアパートに3泊したのち、自分のところに泊まりに来るように言ってくれた。何しろ現役のお医者さんが自宅に来るように言ってくれたのだから、これほど心強い助け舟はない。もちろんその申し出に縋りつくような思いで甘えることにした。





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