帰国の朝を迎えた。
ミッシェル夫妻宅に泊まるとき、今まで全日空だったので、夜便で少しゆっくりして帰ることができたのだが、今回はエールフランスなので、午前中にパリを出発しなくてはならない。
出発ターミナルもエールフランスと全日空とでは違う。
その時は、それほど、気にもしていなかった。ただゆっくりできなくて残念だなと思ったくらいだった。
支度もできていたので、余裕を見て少し早めに出発することにした。
あっという間にパリを出ていた。
意外と道路も空いていたので、「早くつけるね」と言ったら、「空港近辺で混むかもしれないけどね」とミッシェルさんは言っていたが、それでも十分余裕があった。
そして、いよいよ飛行場に近づいた、と思ったその時だった!!!
ミッシェルさんが「あっ!」と言った。
一瞬何が起こったかわからなかった。
しかし、すぐに「高速を降りなければいけないところで、降り損ねた」ことがわかった。
でも地理もよくわからない私は、「次の降りるところで降りればいい。時間もあるし」と全く心配していなかった。
ミッシェルさんに「大丈夫。時間はあるから、気にしないで」言うと、ミッシェルさんは、苦笑いをしていた。
しかしジャンヌクロードがぴしゃりと無口になり窓の外を向き始めた。
そして走れど走れど、降り口の表示は現れない。それどころかアミアンまで何キロみたいな表示が現れだした。
さすがの私も「あーずいぶん走ってきた。降り口があってもまたUターンして戻ると、飛行機に乗れないかもしれない」と思えてきた。
しかし、こういう時、そんなことを言っても何の解決にもならないとすぐに思いなおした。
乗れなければ乗れなかった時の事。それこそフランス人がよく使う「セ・ラ・ヴィ」(直訳は「それもまた人生」だが、憂いても仕方がないという意味だろう)だ。
30分以上走ったところで(時速100キロ以上出ていたであろう)、やっと降り口の表示が見えた。ほーっとミッシェルさんと私は微笑んだ。相変わらずジャンヌクロードの表情は硬いままだ。何も話さない。
こういう彼女を見たのは、オランジュリー美術館を探していた時以来だ。その時方向音痴のミッシェルさんが、反対側の同じ形の美術館を見て、「閉館だ」と言い、向かいにオランジュリーがあったことが分かった時、ジャンヌクロードは呆れて、無口になったのだ。
とにかく、引き返す。今来たスピード以上で。
そして、奇跡的に何とか、出発までに空港に到着することができた。
荷物のチェックインもスムーズにできて、あとは手荷物検査の方へ行くばかりだ。
しかし、時間が迫っているとはいえ、何もなしにサヨナラするのは申し訳ないと思った。
そこで「コーヒーを一緒に」と持ちかけた。ジャンヌクロードは、「時間がないでしょ」と言ったが、「少しだけでも」と、15分くらいだったろうか、一緒にコーヒーを飲んで、再びジャンヌクロードの笑顔を見てから、お別れすることができたのだった。
そこからの私は、ダッシュ、ダッシュ、空港でこれだけ走ったのはもちろん初めて。
まさかのターミナル移動の電車にも乗らないといけなかった。焦る焦る!!!
免税店も駆け抜けた。
そして、搭乗前にトイレにと思って行ったら、3基あるところの二つが水浸し。
よって、少し並ぶことになった。
そして、やっとのことで、搭乗ゲートまで来た。
エールフランスの地上係員に「マダム、遅すぎます!」としっかりお叱りを受けたが、ギリギリのところで名誉(不名誉?)の「最終搭乗者」としてゲートが閉まる直前に滑り込めた。(出発時間は遅れず)
こんなふうに私はフランスに来るたびに、強くなっていく。
だからこの翌年に予定のTGVに乗り損ねたとき、またこの二年後に、搭乗予定の飛行機が日本を発って少しして落雷に遭い、無事パリについたものの点検を要することになり、結局その日は搭乗できなかったときにも、驚きはするものの、なんとか、気持ちを切り変えることができるようになったのだ。
しかしコロナのせいで、かねてから計画していた夢のフランス短期滞在ができていないことについては、「セ・ラ・ヴィ」と簡単に切り替えることができず、今でもずーっと悔しい思いをひきずっている。