フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

久しぶりに懐かしいビストロ「シャルティエ」

2021-08-20 09:06:03 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

今日は、エスカレーターがディジョンからパリにやってくる。

彼はSNCFに勤めていたので、無料でフランス国鉄に乗れるのだ。(奥さんも)

しかもパリまで1時間半もかからないくらいなので、よく出てくるそうだ。ただしこれはコロナの前までの話。

 

ディジョンに行けないときは、このように彼らとパリで会うことも何度かあった。

今回は、中世美術館とパンテオンに行くことになっているので、待ち合わせをどうするか、

連絡しあった。よくリヨン駅で待ち合わせをしていたが、今回は、RERのリュクサンブールの駅とかいろいろ候補が上がったが、結局中世美術館前にしようということになった。

 

少し時間があったので、ミッシェルさん宅から11号線のピレネー駅まで歩き、そこから一本で市役所前で降りて、歩くことにした。

ストリートアート↓

 

ほぼ時間通りに、中世美術館に着くことができた。彼らも到着していた。

ニースでテロがあったことを受けてか、パリでも美術館に入る際、チェックを受けた。

しかし、だいたいわかるのか、日本人にはチェックが甘い気がした。

エスカレーターは美術館がとても好きで作品にも詳しい。

だから今回のコースはお気に入りだ。今回までこのとても有名な美術館に来れてなかったのは、エスカレーターも意外だったようだ。

難しい説明はよくわからないが、一生懸命説明してくれるのだ。

青海波を思い出させる↓

この後のランチも決まっていた。

そこへ向けて、バスに乗ることになった。エスカレーターとバスに乗るのは初めてだった。何でもうれしそうに見える。



彼は最初息子のジャンピエールと一緒に最近行った日本料理店はどうかと写真を送ってきたが、その店の内装を見るとどう見ても日本料理店ではなく、中国人の店だったので、遠慮することにしたのだ。

このように中国人などの経営する「日本料理店」と日本人が経営する日本料理店と区別ができていない人はとても多い。

 

私のリクエストは、昔ながらのギャルソンがいることで有名なビストロ、シャルティエだった。2003年に個人旅行で初めて来たとき行って以来だったが、その時からとてもパリらしいお店で、気に入っていた。だが、エスカレーターが知らないことに驚いた。

予約を入れることができないので、列ができていることもあるらしいが、時間が少し遅かったからか、意外とすんなり入ることができた。

ギャルソンがテーブルに案内してくれた。

人気店なので相席になることも多いが、今回は私たちだけのテーブルだった。

前回はサーモンを頼んだが、やはりビストロの定番のステーキを頼むことにした。

 

料理が来るまで、エスカレーターはブルゴーニュから持ってきたお土産を披露した。

ディジョンのマスタードにフォアグラ、クレームドカシス、そしてもちろん赤ワインなど、「ザ・ブルゴーニュ!」のお土産だった。

 

お返しにここは私が招待するしかない。

 

エスカレーターはギャルソンを捕まえてはいろいろ尋ねる。ギャルソンの方は「田舎者のおじいさんがパリに出てきた」という感じで軽くあしらっているように見えた。

ステーキは日本人には決して柔らかいとは言えないものだったが、奥さんは「柔らかいわ。びっくりね。」とたいそうご満悦だった。デザートも頼むことにして、私とエスカレーターは、ババオラムを頼んだ。こういうビストロは何もかもボリュームがいっぱいなのだが、それを楽しむのもたまにはいい。

 

このビストロは、メニューのオーダー、そして会計もテーブルの上の紙の上ですることで知られている↓

さて、お腹も膨れたところで、パンテオンへ向かう。

 


日本から来ている友人とポルト・ド・ヴァンヴの蚤の市へ。

2021-08-18 09:46:01 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ミッシェルさんの家はビュットショーモン公園の向かい、つまり北東の端、待ち合わせの場所のポルトドヴァンヴは南西の端なので、パリを斜めに縦断する感じになる。

このメトロ、乗っていると最初はアフリカやアラブなど移民系が多く、セーヌ川(つまり中心部)から南の方になると客層がガラッと変わり、いわゆる日本人がイメージするフランス人が多くなるのも興味深い。

 

治安もよくないと言われる北駅・東駅を通る。最初はわからなかったが、逆方向に走るとき、北駅・東駅付近を過ぎてミッシェルさんの家に近いところへ向かうと、移民系と言ってもちゃんと生活している人たちが多く、また観光客がほとんどいないこともあり、落ち着いた雰囲気であり、意外と安心かもしれないと思えるようになってきた。

 

さて、日本人の友人とはポルトドヴァンヴの駅を出たところの交差点で待ち合わせという大雑把なものだった。

彼女も度々ひとり旅でフランスに来ているのでパリ滞在にも慣れているし、少しフランス人ぽい感覚もある人なので、そう言うことができるのだ。

メトロを降りて出口に向かう通路で、後ろからぽんと肩をたたかれ簡単に出会った。

同じメトロに乗ってきたのかもしれない。

 

このメトロ駅のすぐ近くにも友人のエリック夫妻が住んでていて、よくお世話になっているが、今回は来ることを告げずに来たので、ばったり出会ったらどうしようと思ったりもする。初めて彼らのアパルトマンに滞在したとき、近くの蚤の市にも一緒に来て、忘れられない思い出がある。

 

そんなことを思いながら日本の友人とその蚤の市を歩いた。

彼女は骨董にも目が効き、私の目線とは違っていてとても参考になる。

持って生まれたセンスというのは大きいといつも感じる。

彼女の好きなお皿を私も真似して、数枚買うことにした。飾っておくだけでも味のあるお皿である。

 

今日はとても寒い日になった。

お昼は彼女が時々行くというお魚の美味しいお店に行くことにした。

そう言う彼女のアンテナも素晴らしいのだ。

 

思った通り、新鮮な魚が食べられる店だった。

私はカニの前菜の様なものとエビフライを頼んだが、本当に美味しかった。

そしてここで、デザートも頼んだ。いつものように好きなタルトタタンと頼んだのだが、彼女はカフェ・グルマンという小さなコーヒーと小さなデザートの盛り合わせセットを頼んだ、私はその時初めて、そのカフェ・グルマンという存在を知ったのだった。↓

それ以来私も、時々カフェ・グルマンやテ・グルマンを頼むことがある。フランスらしくて好きになった。

 

そのあと一緒にマレ地区を散策した。彼女について行くとやはりいつも私が見る店や場所とは違うので、とても新鮮な街歩きだった。

疲れてきたので、休憩を使用と言うことになった。また彼女がお気に入りのカフェというか、サロンドテだっかに行ってみると満席だった。そこで彼女はもうアパートに戻るというので、ここで別れることにした。

 

私はそのあとも少しブラブラして、BHVの屋上へ行き、カフェテラスでのどを潤して帰宅した。

 

ミッシェルさん宅での夕食↓

明日は、いよいよエスカレーター夫妻がパリにやってくる日だ。

 


ソフィー宅のおもてなしに感激し、ブランシュニュイも見ることが出来た。

2021-08-15 12:00:10 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ミッシェルさんの車で送ってもらい、ソフィーの家に着いたのは、約束の時刻より遅れてであったが、笑顔で迎えてくれた。

 

今は二人の子供の親になっているソフィーとガブリエルだが、この時はまだ第一子のラファエルがお腹にいた。

イタリア人のご主人の作るパスタもさすがに美味しいが、ソフィーの料理もいつもとても美味しい。

来日して以来、日本に影響されたと思われる鉄瓶なども飾ってあった。

デザートはソフィー手作りのフォンダンショコラだったが、これは絶品だった。

あまりに美味しいと言ったからか、「どうぞ」と帰りに残りを全部持たせてくれた。

しかし、この後も外食が続くので、私の口に入ることはなかった。チョコレート好きのミッシェルさんは、「最高だ」と大喜びしていたので、良しとしよう!!

 

この日は、確か、ブランシュニュイの日で、夜通し何かの催しが行われていた。

東駅にも近く、メトロの隣駅のすぐそばのソフィー宅から帰るのはちょっと物騒な気もしたが、彼らはミッシェルさん宅まで同行してくれるという。

 

ありがたい申し出だし、満腹のお腹を減らすにもいい運動になった。

彼らの家からミッシェルさんの家まで徒歩で30分くらいだろうか。

ビュットショーモン公園の反対側からミッシェルさんの家に到着した。

この辺りは夜はやはり危険だともいわれているが、彼らといっしょだったので、全くそんなことを感じず、むしろブランシュニュイの雰囲気を少し感じることもできた。

若者が沢山集まっていた。けれど大騒ぎしているわけではない。夜を楽しんでいる感じだった。

 

夜遅く帰っても鍵を貸してもらっているので、ミッシェル夫妻を起こすことなく帰宅できる。



さて、明日は、パリで日本人の友人と会う日。

ポルトドヴァンヴの骨董市へ一緒に行くことになっている。


来たかったジェルブロア(GERBEROY)という村

2021-08-14 10:15:53 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

小さな中世の村が大好きなのは、ブログでもいつも書いているが、今日はパリ近郊にあって車がないと簡単にはいけない村へ行く。パリの北西120kmとある。

 

ジェルブロワ(Gerberoy)は、思っていた通りの素敵な村だった。

本当はバラの美しい季節が最高なのだが、バラがなくても十分満足できた。

17世紀に建てられた家↓

 

道路も舗装されているが石畳も残っていて、私好みの家が並んでいた。

まずアトリエでいきなりびっくりしたのが、入り口の看板に日本語でフランス人の絵画の個展の紹介がされていたことだ。

「日本の観光客が来るの?」と聞いたら、「ええ、たくさん」とアトリエの女性は話してくれた。私はこの二年前、日本に来たナタリー夫妻に聞くまで全く知らず、こんなアクセスが良くないところにと驚いた。どうやら、パリからの小旅行のツアーがあるらしい。

 

お昼に選んでくれたのも、とても趣のある店だった。こういう感覚はミッシェル夫妻と私とでとても合う。レストランの庭↓

郊外なので、もちろんパリと比べてリーズナブルだ。

10月1日だが、暖炉には火が入っていた。

この日の夜はソフィー夫妻宅での夕食招待が待っているので、控えめにしたいところではあったが、ボリュームたっぷりの昼食にデザートまで食べてしまったのである。しかもミッシェルさんに御馳走になってしまった。

そしてまた村を散策し、帰るのかなと思っていたら、別の村へ行くという。

ジェルブロワには他にもサロンドテや有名なレストランもあるらしい↓

小さな村でぐるっと一周しても1時間くらい。↓

 

そして、ノルマンディーの入り口、リヨン・ラ・フォレという村までまた車を走らせた。

ノルマンディーは雨が多いそうだが、案の定?雨が降り出してきた。

木組みの家が見えてきて、とても可愛らしい街のようだったが、夜の夕食の時間も迫ってきていたので、ちょっと歩いただけになった。

この広場、どこかで見たような景色だった。そうだ!!マリーエメがずーっと前に彼らが持っていたセカンドハウスに行く途中に立ち寄ったと写真を送ってくれたのが、ここだったのか、と、気づいたのだ。↓

時間があれば、もう一度行きたいと思わせるところだ。

 

ジェルブロワもいつかバラの季節に再訪したいが、もうミッシェルさんはパリにいない。

今、ニースに引っ越してパリを恋しがっていると聞く。

パリ生まれのミッシェルさんだもの、よく理解できる。

それでも奥さんが息子のそばにいるために選んだニースでの暮らし。

今度の家はパリより大きいから、いつでも受け入れられるよと言ってくれているが、その新居を訪れるのは何時になるだろうか。




パリで日本の着物の型紙の膨大なコレクションに出会った。

2021-08-13 10:54:17 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

南仏からパリ郊外に戻り、少し寒かったのと疲れが出てきたようでもあったので、休息日にして、この町の近くの公園に散歩に出かけた。

 

散歩と言っても公園まではフランソワの車で出かけた。フランソワーズは留守番?昼食準備だった。

 

車を降りて、まず公園の入り口の教会を見て、その後公園へ。

小動物たちがのんびり仲良くしている。

歩いていくと、遠くにお城も見えてきた。フランスにはこうして一般的には名も知られぬお城がたくさんあるらしい。たぶんヨーロッパには、もっと沢山あるのだろう。

今回はフランソワーズ夫妻宅には一泊しかできないのだが、「一泊?てっきり二泊だと思っていた。これから、チェックアウトの日も言ってよ。」と笑っていた。

もし何泊かするなら、予約を入れてこのようなお城を見学もできたのにと言っていた。



簡単に昼を済ませ、休憩したのちパリへ向かう。

おしゃれな内務省の建物↓

まず向かったのは、パリまでの途中にある彼らの友人宅だった。

絵画が趣味でアトリエのある家だったが、ここで興味深いものを見せられた。

それは、日本の着物の型紙で、かなりの数でびっくりしたが、彼らによるとヨーロッパでは二番目に多く持っているとかで、一番はドイツにあるそうだ。江戸小紋など言われるたぐいのものだった。

そう言えば、以前スカフの型紙のコレクションを見せてもらったことがある。その数も多かったが、こちらにははるか及ばない。

立てて並べてあったが、幅は1メートル以上あったと思う。2メートルくらいあったかも知れない。一枚一枚丁寧に包装されていた。

でも彼らにはこの型紙の価値は解っているものの、こうして保管しているだけでは意味がないので、日本の美術館に寄贈したいということだった。それを試みたこともあるようだが、日本の美術館でもどこでもいいというわけでもないだろうし、手続きも複雑なのか、うまくいかなかったらしい。

私にも何か方法があれば、と言われたが、このような貴重なものはほしいところはきっとあるに違いないが、それを探すことは簡単ではない。

このようなファイリングが何冊もあった↓

ともあれ、素晴らしいものだった。



その後、今日から6泊お世話になるビュットショーモン公園前のミッシェル夫妻の家まで送り届けてもらった。アパルトマンの前でフランソワズ達とお別れした。

ミッシェル宅に泊まるときはいつもドゴール空港まで送迎してもらっていたので、このような形で「来たよ」と挨拶するのは、初めての事だった。

 

いつもの私の部屋へ(彼らの寝室)荷物を置いて、夕食をいただいた。

この時びっくりしたのが、なんと!!何時もあったテーブルがなくなっていて、ソファについている低いテーブルで食べたのだった。

どうやら彼らも身の回りを整理しているのか、テーブルは売ってしまったということだった。

 

なじみのあるテーブルだったので、何となく寂しい気がした。

 

明日はパリ近郊へミッシェル夫妻とドライブの予定だ。奈良を案内した別の夫妻のご主人がおすすめだと言っていたところなので、私がリクエストした村だ。名前をジェルブロア(GERBEROY)という。


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