フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ニースからオルリー空港へ着くと、フランソワ夫妻の笑顔が待っていた。

2021-08-09 09:15:34 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ニースからパリへ。

 

陸路、つまりTGVでパリへ戻ることも考えはしたが、やはり空路を選んだ。

TJVでも3時間半を超えると、陸路より空路かなと考える。

アンリは「帰りはTGVがいいよ」と何度も言っていたが。それでも無理を言って、ニース空港まで送ってもらった。

パリの到着がシャルルドゴールなら、パリ市内まで遠いので、飛行機にしなかっただろうが今回はオルリー空港到着だ。オルリー空港近郊に住むフランソワ夫妻のところで一泊するので、彼らが迎えに来てくれることになっていた。

 

アニエスは「アパートの片付けがあるから、ここでね」とアパートでお別れをした。

手を振るアニエス↓

 

アンリに送ってもらい、無事空港に着いた。お礼にコーヒーをとぎりぎりまで一緒に過ごした。

ありがとう!!アンリ、アニエス!!

空路、一時間くらいでパリに到着。

オルリー空港はシャルルドゴール空港ができるまで、メインの空港だった。

つまり1980年に初めてパリに行ったとき、この空港だったわけだ。

それ以来ということになる。もちろんずいぶん変わっているだろう。

しかし昔の空港はもう覚えていない。

そして、フランソワ夫妻の笑顔が待っていた。

お昼は彼らのテラスで、フランソワーズの手料理。

キッシュ、キャロットラペ、2010年に訪問した夏も頂いたことを思い出す。

南仏に比べると少し寒いパリ。

すっかり秋の気配になっていた。

 

今日は疲れも出てきているので、ゆっくり家で過ごさせてもらうことになった。

夜も日本人だと思ってか、サーモンがメインだった。

 

前菜にはまだメロンもあって、食欲をそそられた。

ポルトで乾杯↓

ここはここでゆっくりできる。親戚関係レベルの友人なのだ。




とうとうシャガールも眠るサンポールドヴァンスへ来た。

2021-08-07 21:56:18 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

サンポールドヴァンスは、小さな中世の村好きの私が、コートダジュールの旅で、一番行きたいところだった。。

 

フランス人のゆったりした時間の過ごし方は憧れではあるが、悲しい日本人の性で、やはり時間を気にしてしまう。

だから今日はこちらを先にして、時間があればヴァロリスでよかったのだが、連れてきてもらっているので、わがままは言えない。

 

駐車場からもすたこらさっさと、ゆっくりしているアンリ夫妻を置いて、先に先にと急ぐ私。何しろすでに15時を過ぎているのだ。

広場から少し進むと、門がありそこから一気に景色が変わる。

いつもこのような村に来ると、何も見なくてもただ歩いてるだけで、幸せな気分になれる。

しいて言えば、観光客用のお土産店がこんな小さな村でもあるのが気になるが、まあそれを見ながら散歩するのも、楽しいと言えば楽しい。

 

あれ、アンリ夫妻はどこ?どうやらかなり先を急いでしまったようで、後ろからついてくると思っていたが、姿が見えない。

と思っていたら、電話が鳴った。「どこにいるの?そこでじっとしていて」と言われてしまった。



うまく合流でき、またゆっくりと歩を進める。

小さなカフェのある広場も、こんなに素敵なのだ。

 

 

盆栽のようなものも見られる↓

少し歩いたところで、イタリアンジェラートの美味しそうな店があって、休憩することになった。

ああ、この二人のおかげでこんなところに来ることができて、本当に幸せだと思った。

彼らとは一番古い付き合いなので、何も気兼ねがないのが嬉しい。

日本人の友人となら、私の場合こんなふうに旅行は出来ないだろう。

そんなことを、美味しいジェラートを食べながら思うひとときだった。

そして、シャガールが眠る丘のほうまで上がっていく。

ここからの景色も絶景だった。

 

帰り道も夕日がきれいで、この旅の締めくくりに本当に素晴らしい場所だった。

有名なレストランらしいところも通った。

 

メニューが出ていて、星がついているレストランだが、もちろんパリに比べるとずいぶんリーズナブルで、「頑張れば手が出る」とアンリたちもチェックしていた。

いつか再訪することがあれば、予算を残しておきたいと、ちらっと私も思った。

そんなサンポールドヴァンスを後にして、またアンチーブへと戻ってきた。

振り返ると↓

そして彼らとの最後の夕食だった。

いよいよ、明日はパリへ戻る日だ。名残を惜しみながら、彼らとの時間を楽しむことにする。

 


ヴァロリスのアトリエ、ここでピカソは描いていたのだ。

2021-08-07 15:13:32 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

今日は、南仏観光最終日で、念願のサンポールドヴァンスに行ける。

午前中は、ピカソゆかりのヴァロリスという町に行くらしい。陶器の町としても知られている。

 

街を歩きながら、ピカソのアトリエまで行く。

まず、その前にピカソ美術館に立ち寄った。三度目の正直で?さすがに、開館していた!!

小さな美術館だが、日本にインスピレーションを感じたと思われる作品があり、実際に直島のオブジェで人気がある作家・草間彌生の作品もあった。

アンリ夫妻は知らなかったようなので、少し説明をした。

フランス人は本当に直島が好きだが、こんな小さなところにも、と私は驚いた。

アニエスは、実際絵を描いたり粘土でオブジェを作ったりもするので、興味深くみていた。

出口を出て帰ろうとしたとき、この館の職員?掃除とか?の人?、と話をした。

彼は少しイタリア人ぽい感じがしないでもなかった。とても陽気で、明るく、こちらがフランス語がわかるかどうかなど全く気にせずフランス語で話しかけてくる。

こういうこと、実はフランスで今までも結構ある。フランス人は英語で話してくれないと嘆く日本人もいるが、これは差別どころか、まさしく、フランス人と思って話しかけてくれているということなのだ。

このような人に出会った時、会話の中身が理解できなくても、一気に距離が近くなり、とても嬉しいことである。

そして、ピカソのアトリエの方へと向かう。

休憩時間に重なってしまったため、先にお昼を食べることにした。学校の食堂の様なセルフの店だったが、なかなか美味しかった。

ここで、「タルタルステーキ」という牛肉のたたきを頼んだアニエスは、なんと、焼いてほしいとリクエストしていた。生が好きで食べるものだと思っていたが、中が半生のように焼いてもらっていた。こんなリクエストができることにも驚いた。

アトリエは、なるほどここでピカソが作品を画いていたのかという感動があった。建物が古いが良く保存されていて当時のことが実感された。

帰り道に骨董店をのぞいた。

その店主と話をしていると、なんと、かなり前らしいが彼は東京に住んでいたことがあると言い、話が盛り上がった。

何も買わなくてもこんな話ができて、本当に貴重な思い出だ。

 

フランス人は話を始めると本当に長い。

最初の美術館もアトリエも骨董店も、楽しい時だったものの、内心少し心配していた。

 

サンポールドヴァンスに行けなくなったらどうしようと思い始めていた。

アンリに正直に言うと、「大丈夫。心配ないよ。」という。

そうは言ったが、その時すでに15時を過ぎていた。

本当に大丈夫かな。

 

 


えー!!またニースでも休館日!??

2021-08-04 07:39:27 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

そのあと、ニースで有名なマティス美術館に向かった。

またまたまさかの、休館日だった。シャガール美術館も休館。国の美術館は火曜日、市?の美術館は月曜日ということだが、昨日のうっかりミスがあった後に、普通は調べると思うのだが、やっぱりフランス人はこんな感じである。

 

もっとも普通の日本人観光客はちゃんと下調べをしているはずであるので、私も今やフランス人のように行き当たりばったりということか。

 

ニースは旧市街もまた新しい地区も思っていたより庶民的な店も多く、観光客用のお店も多い感じがした。

ただ、やはり一角には豪華なホテルを思わせるような高級アパルトマンも突然現れたりもする。

眺望のいいところへ行き、散策を楽しみ、ニースを後にした。

修道院↓

大きな事件を?乗り越えて、仲良しの二人を見るとほっとする↓

ローマの遺跡のようなところもあった。フランスの中でもやはり南仏には特に多い気がする。

その前に、有名なネグレスコホテルの前を通ってみようということになった。

見るだけでよかったのだが、アンリはものおじすることなく、「中へ入れるよ」と私を促す。テロの後だったのでことのほか厳重な警戒をしており、実際はアンリが考えていたほどたやすい状態ではなかった。

ちょっとだけのぞいて、ガードマンに追い出される前にさっさと退散した。

 

このホテルの前の海岸通りで痛ましいテロがあったのはこの日の二カ月前だった。テロのあった海岸の堤防の所に、驚くほどたくさんの花が手向けられていた。それを見て、本当に胸が痛むのだった。

 

いよいよ、明日はコートダジュール観光の最終日。ヴァロリスとサンポールドヴァンスだ。


ニースの広場の ある「大道芸人」のことが印象に残った。       

2021-08-03 13:20:26 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ニース観光の日。

 ニースではまず、有名だということで花市場へ行く。

花だけでなく、もちろんいろいろなものが売られていた。

私は蜂蜜を買うことにした。何でもコンクールで入賞したとかいう農家のものらしい。

それでも1000円もしないので、重さも気にしつつ、二瓶買うことにした。

 マルシェで、フランスに住んでいるという日本人女性に出会った。

少し話をして、彼女らがレンタカーで旅をしていることがわかったので、アンリに彼女たちにアンリのアパートを紹介しようか?と聞いてみたが、こういうときアンリはなぜかとてもシャイになるのだった。日本人に紹介してほしいとか借りてほしいと言っていたのに。

彼女らならレンタカーだし、あの立地でも大丈夫そうだったのに、それこそ言葉は社交辞令だったのか?

 

さて、今日のお昼はニースの名物料理のソッカというものを食べることになっていた。

旧市街を歩きながら賑やかそうな店を見つけて、食べた。ボリュームいっぱいだ。

ひよこ豆の生地で出来ているソッカ

手前は、ニース風サラダ。↓

広場に面したそのレストランは、店の外の席だったので、大道芸?の様なものをしている人が数人いるのが見えた。その内の1人をよく見ると知的障害者のようだった。彼女がしているのは2個のボールをお手玉のように交互に少し投げ上げているだけだった。

それなら誰でも出来るではないか。

 

ところが彼女にしてみれば、お手玉のように最低3個でするような難しい高等技術をしているつもりなのだろう。

 

1回だけ失敗してころころとボールが転げたが、落ち着いてボールを自分で拾い、また平然と続けていた。

でも誰も笑わないし、からかったりなどもしない。

彼女がそこでそうしていることを、まわりの人は優しく受け入れているという感じだった。

 

彼女の前にはいくらかのお金が置かれていた。しばらくすると彼女は店じまいしてどこかに帰って行った。今日の仕事はこれで終りですといった感じだった。

 

他にも芸人さんがいたけれど、彼女の印象が強く残った。

 

 


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