農のある暮らしから得られるものは、
安全で美味しい食材だけではない。
それ以上に大切なことがある。
自然のなかに身を置いて、
作物や、草花、生き物と向き合うなかで、
自分自身が育てられること。
野菜の種も、お米の種も、本当に小さいけれど、
そのひとつひとつが、いのちを宿している。
いのちある作物を健やかに育てられるかどうかは、
私の手の貸し方にかかっている。
作物が生きるために必要な、
水、養分、太陽、空気、空間、温度…、
そして、時期を見極める。
天候や、草や虫との関係にも応じられるよう、
見守りながら、察知力や智慧を働かせる。
必要なことをして、余計なことはしないように。
失敗を繰り返しながら、自分も逞しく育っていく。
鎌や鍬、スコップなどの道具を使うのは、私の身体。
私もまた、この肉体にいのちを宿している。
いのちを大切にする身体の使い方も、本当に大切だと思う。
生きていくためにお金は必要だけれど、
価値の中心には、お金ではなく、いのちを据える。
いのちが観えたら、心は安らいで、今を大切にできる。
私たち人間は社会においても、
逞しく生き抜いていかなければならない。
社会では常に、他者と関係している。
自分の根っこがしっかりしていれば、
社会の中でも一人でしっかり立っていられる。
人に依存したり、簡単に左右されない。
人を自分のほうに引っ張ったりもしない。
確かな足取りで、自分の道を切り開いていける。
自然のなかで育むことができるのは、
そんな太い根っこのようなもの。
▼田畑で自分も育つということ🥒