「普段使う分には、支障はないんだけどね。長い時間だとまずいのよ」
柴崎が問わず語りに話し出したのは、閉じ込められてから十五分も経った頃だろうか。
「?」
「エレヴェータの話よ」
手塚はああ、と唸った。隣を気遣いながら、声をかける。
「無理して説明しなくていいぞ」
「いいのよ、話してるほうが気が紛れるの」
柴崎は手塚の肩に額をくっつけて、話の合間に深く息を吸った。
「子どもの頃ね、閉じ込められたことあんのよね。蔵に」
「くら」
日常会話では滅多に耳にしない単語が出てきて、手塚は面食らう。
「ほら、あたし出身金沢じゃない。旧家には大概あんのよね、蔵」
「ああ、あの【蔵】か」
そこでようやく合点がいく。柴崎は続けた。
「近所の子と、かくれんぼしてたんだと思うんだけど。古い蔵にね、長いこと一人で閉じ込められたんだ。で、夜中になってようやく発見されたの。脱水症状起こして、病院に担ぎ込まれたわ」
手塚は眉間に皺を寄せた。
「大変だったな」
柴崎はかぶりを振ったようだ。無意識かもしれない。
「あたしは記憶、ないんだけどね。親がことあるごとに言うからね。半死半生って言ったら大げさだけど、てんやわんやだったみたい」
「そりゃトラウマになるよな」
納得していると、柴崎が何かを言いよどむ気配がした。
「どうした?」
「うん……。なんでもないわ」
柴崎は重石を呑み込むように言葉を呑んだ。
手塚は無理強いは出来ないと思いつつも、柴崎が何を言おうとしたのか気にかかった。
「あんたは子どもの頃、かくれんぼとかした?」
急に話を振られ、柴崎が話題を替えたがっていると分かったので、手塚は乗ってやることにした。
「俺か? 俺は近所の友達ってより、身内とやったな」
「身内?」
柴崎が首を巡らして顔を見る。しまった、と思ったが一度言葉にしたものは引っ込められない。
苦虫をうっかり口にしてしまったような顔をこしらえて、手塚は言った。
「クソ兄貴」
たまらず柴崎は吹き出した。
「なにそれ。あんたたち兄弟もかくれんぼとかしたんだ。あはは。おっかしい。似合わなーい」
腹を押さえて笑う。手塚はいきり立った。
「笑うな。俺たちだってはじめからこの図体で母親から生まれたんじゃない。子どもの頃だってちゃんとあったんだ」
「あ、当たり前じゃない。そんな怒らなくたって」
ぶぶ、と、堪えかねてまた吹く。手で押さえようとするも不発に終わる。
手塚は完全に煮立った。
「もーいい!」
腕組みしてそっぽを向く。
「あーごめんごめん。思わずツボっちゃって。なんかさー、あんたはともかく、あんたの兄上? あの人がかくれんぼとかあんまし不似合いだったもんでつい遠慮なく」
「少しは遠慮しろ!」
親しき仲にも礼儀ありだぞ、と言いかけて、俺たちって親しいんだよなと疑念が生ずる。
だって、キスだってした。そんな言い訳めいた思いが湧き上がって来て、手塚は焦る。
何もこのシチュで思い出さなくたってよかろうに。キスのこととか。
柴崎の、予想以上に柔らかい唇のこととか。
視線がそこへ行ってしまいそうになるのを、理性で辛うじて抑える。手塚は壁を睨んだ。
「ごめん、怒んないでよ。ほんと悪かったって」
すとんと声のトーンが落ちて、窺うようなニュアンスが混じる。
「……笑ったおかげでなんだかもやもやしてたのが、すっとなくなった。って言うと、またむっとする?」
これには依怙地になって壁にガンくれていた手塚も懐柔される。わざと横目でじろっと睨んでやりながら、
「なんなら、ここを出たら兄貴とやって見せてやろうか、リアルで。かくれんぼ」
と言うと、柴崎は笑みを噛み殺した。
「ぜひ、お願い」
屈託なく笑っているところを見ると、何でもしてやりたくなるし、何だって許してもいいと思ってしまうのは、紛れもなく惚れた弱みだと、手塚本人が一番よく分かっていた。
成人した慧と、ガチでかくれんぼはさすがにごめんだが。
閉じ込められて、二十五分経過。
まだエレヴェータが復旧する兆しは見えない。
「実は、後日談があってさー。蔵の話」
柴崎が手塚に寄りかかったまま、脚を伸ばした。暗いので、パンストを履いてはいるものの、素足を投げ出したように見える。
小さい足だな。頭の片隅でそんなことを思いながら、手塚は相槌を打つ。
「後日談?」
「ん。実はね、あの時かくれんぼで一緒に遊んだ子がね、……あたしが中に居るって分かってて、わざと蔵の戸の鍵を外からかけたみたいだって、そういううわさが後から地元でまことしやかに流れましたとさ」
これには手塚はさすがに目を瞠った。
言葉を発せずにいると、
「なんか、リアクションしてよ」
と不満そうに唇を尖らす。
「あ、うん」
迂闊なことは言えない。気の利いたことも言えそうにない。
だからごもごもと唸り声ともつかぬものを、口の中で転がすしか出来なかった。
そこでふと閃く。
「もしかして、お前を中に入れたまま鍵をかけたのって。男か?」
口に出して、その生々しさに自分でびっくりする。
柴崎は抑揚のない声で、ぴんぽーん、とだけ言った。
「当時はまだ男の子、だったけどね」
「……」
とたんに不機嫌になって口を引き結ぶ。その横顔を掬い見て、柴崎が片目をすがめた。
「何か言いたそうね?」
「別に」
心のうちを見透かされていると思うと、癪にさわる。それ以上何も言うまいと思ったけれども、白旗を揚げ
たのは手塚だった。
「そういううわさが流れて、どうだったんだ?」
「どうって何が? あたしが何を思ったかってこと? それとも真相はどうだったかってこと?」
訊き返されて、手塚は言葉に窮する。
自分は何を知りたくて尋ねたのだろう。気持ちが見えなくて揺らぐ。
手塚の答えを待たずに、柴崎は話し出す。天井を見上げて。
「うちの両親がそれ以上騒ぎ立てたりしなかったからね。男の子とはその後直接話すこともなくなったし。うわさが本当だったかどうかは分からずじまいだけど。でも
もしもそれが本当だったとしても、驚きはしなかったかもね」
「……そうか」
ほかに何と言えばいいのだろう。適当な言葉がどうしても思い浮かばない。
この、忌々しいほど無表情な正方形の天井のせいかもしれない。
手塚が責任転嫁をしていると、柴崎が言葉を継いだ。
「今でも帰省して電車の窓から蔵とかが立ち並んでるの見ると、不思議な気持ちになる。苦しいって言うか、切ないって言うか」
それは。と言いかけて、言葉が喉に絡みつく。
代わりに、手塚は全く別の台詞を口にしていた。
「お前、今でもその男の子、――今はれっきとした男か。そいつと田舎で会ったりすることあるのか」
柴崎は珍しく虚を衝かれた顔を見せた。
「まさか。もう何年も音信不通よ。っていうか。なに? あんた、もしかして」
この女が必要以上に察しがいいのは知っている。
知りたくないけど、身をもって嫌というほど知っている。
けれど。
今ぐらい、気がつかない振りしてくれ。手塚は心の中でそう祈った。
柴崎が何か不穏なことを言い出す前に、手塚は先手を打った。
「そいつ、きっとお前のこと好きだったんだよ。でもなんで自分が蔵に鍵を掛けて、お前を閉じ込めたのかは、きっとそいつ自身もよく分かってなかったと思うぜ」
柴崎は鼻を鳴らした。肩透かしを食ったような、安堵したような、複雑な心理が練りこまれた密度の高い吐息が漏れた。
そして、
「そんなの、とっくの昔に知ってるわ」
とだけ言った。
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