【6】へ
「退屈そうだね」
ふと、そんな柴崎の後ろから声がした。
見ると、同じゼミだった山崎だ。たしか、ゼミのリーダーだったはず。
柴崎の正面、円卓の向こうの席だったはずなのに。グラス片手にわざわざ移動してきたみたいだった。
「そんなこと、ないわよ」
嫣然と首を横に振る。まずい、顔に出ていたか。とっさに顔の筋肉に力を込め、営業用のスマイルを浮かべた。
山崎は柴崎の斜め後ろの位置をキープしたままで、
「麻ちゃんは呼ばれないかと思ってた、今日」
と言ってグラスのふちに唇をつけた。
麻ちゃんという大学時代の呼び名がなんだか妙に気恥ずかしい。なんとも居心地が悪い。
名字呼びがすっかり定着してしまっている、今では。
「どうして?」
「花嫁より綺麗だから、主役を食っちゃうって警戒されてさ」
山崎はそっと反応を窺う目で柴崎を見やった。
……なるほど。
そういうことか。柴崎は瞬時に理解する。円卓の向こうに座るゼミの男子たちが、さりげなくこちらのやりとりを意識しているのが目線などで分かった。
しかしそれをおくびにも出さず、柴崎は明るく言った。
「そんな言い方、亜矢に失礼よ」
亜矢というのは、今日の主役。花嫁の名だ。
高砂にお酒を注ぎにきた人に、にこやかに応対している。
一段高いところにいる彼女を見ながら柴崎は続ける。
「そういう心狭いこと考える子じゃないもの。あなたも知ってるでしょ」
「まあね。でもほんと、ますます綺麗になったからあんましびっくりしてさ。高橋や河野とも噂してたんだ。
今、武蔵野の図書館なんだっけ?」
「うん。基地付属のね」
「君目当てで本を借りにくる輩もいるんじゃないのか? 捌ききれないんじゃないの? なんてね」
「まさかあ」
義理だとは分からないような上等な笑みを作って、柴崎はほほほ、と返す。
あたしがレファレンス捌き切れないなんて、よくも冗談でも口にしたわね。覚えてらっしゃい、と心のうち、山崎をぶった斬る。
……うんざり。
ああほんと面倒くさい。この手合いの男の相手をするのは、心底うざい。
しかもゼミが一緒だったから、無下にすげなくもできない。
本当に参加するんじゃなかったわ。そんな、泣きたい思いで、でも表面上はにこやかに応対する。
「麻ちゃんは、今フリーなの?」
柴崎の笑みにつられて、頬のラインを緩めながら山崎が訊いた。
ぐいと勢いをつけるようにグラスを傾ける。
いきなり核心を突いてきたか。柴崎は心の中で身構える。
「どうして?」
「どうしてって、興味あるだろう。元ミス○○大だぜ」
「あら、あたしはエントリーされてなかったはずよ。ミスコンには」
「辞退したんだろ? 興味ないって。裏の女王だったんだよ。大学に通う男連中の人気は、君のほうがダントツ、上だったんだ」
「それはどうも」
柴崎は苦笑する。
大学時代もずっとでかい猫をかぶっていた。猫をかぶった自分を、男たちはもてはやし、下にも置かない扱いをした。女友達にやっかまれないよう細心の注意を払ってそういった連中と距離を置きながら、四年間過ごした。
誰にも素顔なんか見せてなかった。見せてやるもんか、って陰で舌を出してた。
そんな風に、子供のころからかぶり続け、既に身体の一部と化していた猫の着ぐるみは、武蔵野に勤務し、郁と出会い、気の置けない同僚たちと知り合うことでようやく脱ぐことができた。
完全に、とまではいかないが、ときおり素の自分を見せられるくらいには、柔らかくなったという自覚はある。
相手は限られるけれども。
そこで、ふっとまた例の男の顔が浮かんで、思考が停まる。
柴崎は無理に意識を目の前の男に移した。すると、それを待っていたかのように質問が差し出された。
「で、麻ちゃんは今は誰かいい人、いるのかい」
いい人! 柴崎は椅子の上、仰け反りそうになる。
いつの時代の尋ね文句よそれ!
く、苦しい……。笑いたい。
リミットがきそう。口許をぴくつかせながら、柴崎は、「さあ、どうかしらね」と必死に取り繕った。
「気を持たせるなあ」
「だって自分のほうは隠してこっちばかり探ろうって言うのはどうかと思うわけ」
「俺? 俺はもちろんフリーに決まってる。だからこうしてあいつらの先陣切って君にアタックかけに来たんだろ」
アタック! その言葉を聞いて柴崎は更に悶絶した。
お、お腹が……捩れちゃうわ。
わ、笑ってしまいそう。誰か助けて。
「嘘だぞー、麻ちゃん、真に受けるな」
テーブルの向こうから、声が飛ぶ。
「そいつもう5年以上も付き合ってる彼女いるんだぞ」
野次を飛ばしているのは、河野だ。
この山崎と仲がよかった男だ。
「うるさいな、あいつとはこないだ別れたって言ってんだろ、足引っ張るなよ」
山崎は焦って目を見交わして笑っているゼミ仲間に牙を向いた。
「狙ってるのミエミエだぞー。麻ちゃん、気をつけろ」
河野が冷やかす。
柴崎の隣、今日の披露宴はアタリと言って気合を入れていた友達のさやかが、ついと柴崎に身を寄せて耳打ちした。
「相変わらずもてもてね、麻子」
きっちりカールして、マスカラで増量したまつげが間近でしばたたかれた。
意味深な目つきで掬い上げられる。
……あーもう。
ほんと、うざいんだったら。
作り笑いにも限界がある。柴崎はそっと天井を仰いだ。
手塚は迷っていた。
柴崎が出席する披露宴は17時から。たぶん3時間ぐらいで終わるだろう。
すると、ホテルに迎えにいくのは、20時くらいでいいということになる。
その後、どうするか。
20時というのが、微妙だった。
まっすぐ寮に連れて帰るなんて無粋な真似はする気は、無論はなからない。
いくら国を挙げての浮かれた風潮が苦手だとはいえ、今日はイブなのだ。
イブといったら、一般には、男だったら勝負をかける日だろう。
そんな偏った固定観念に縛られ、柴崎と約束を取り交わしていることの高揚感もあいまって、手塚は彼の明晰な頭脳をもってしても、なかなかプランを組み立てられないでいた。
どっかのちょっといい店で夕食、なんてのは、……パスだな。
だって柴崎は披露宴でしこたま食っている。フルコース制覇の宣言をして行ったのだ。腹は減っていないだろう。
じゃあ飲みにでも誘うか。居酒屋ではなく、洒落た感じのバーにでも。
柴崎はドレスアップしているはずだから、それに相応しい雰囲気の店でなければ彼女が浮いてしまう。
そういうところを割と気にしそうなんだよな。あいつ……。
柴崎の性向を知っているだけに、手塚は悩んだ。
あのホテルの側、あるいは駅にそんなグレードの店、あったかな……。
今夜迎えに行くのは、手塚の【庭】ではない場所だ。仕事では結構足を向けるが、遊びにちょくちょく出かけるような街ではない。行き慣れていないという不安は少しだけある。
まあ、とにかく酒だ。その線でいこう。アルコールを入れるとなったら、車では迎えにいけない。
実は実家に電話をかけて、父親に今夜車を借りに行くかもしれないとは連絡しておいた。
けれども作戦が変わってくると、車はただの荷物になる。
酒が入って運転できないと、駐車場だの、代行だの、酔いを醒ましてから取りに行くだの足かせとなってしまって面倒くさい。
じゃあ、電車で行くか。で、帰りはタクシーでも拾って……。
そこまで考えて、ふと手塚は思考の途中でぴたりと立ち止まった。
……帰るのか、俺たち、寮に。
そう自問して、どっと全身の毛穴から汗が噴き出る。
か、帰らなくてもいいんなら、俺は大歓迎なんだが。外出届に加えて、外泊届けを追加すればいいだけで。手続きはなんら問題ない。
……でもそれはもちろん双方の同意の上でなければらならないことだよな。
でも、柴崎が……あいつが、初めから泊まりの方向で物事を考えてくれるだろうか。
淡い期待をもって想像をめぐらしても、手塚の想いはわずか数秒でぺしゃんと潰れる。
いや、あいつに限ってそんな甘いこと期待しちゃだめだ。
あいつは武蔵野基地きっての現実主義者なんだぞ。クリスマスのムードだの、その場の雰囲気だのに流されるような女じゃない。断じて!
それとなく誘っても、泊まりの準備なんかしてないからダメ、とかあっさりきっぱり言いそうなんだよ!
自問自答して、ぐるぐる頭の中だけで考えたおかげで、手塚は消耗した。
ぐったりとなる。
……だいたい、柴崎にとって、俺って何なんだ?
泊まりだ何だとひとり舞い上がる以前に、そもそも、そこを一番先に考えておくべきところに、手塚はようやく気がつく。
むかし三回、キスはした。でもそれだけだ。
キス以上には進んでいない。進んでいいような素振りも柴崎は見せない。
あれは、なんだったんだろう。柴崎に奪われた、はじめのキス。
親愛の情を込めたキスではなかったような気がする。今となっては唇の記憶も曖昧だが。
だとしたら、……一番考えたくないことだが、目を逸らしておくのもこの辺が限界なのだとしたら。
あれはやっぱり【同情】のキス、だったのかな……。
そんな答えに、手塚は行き着いてしまい、悄然とした。
当麻事件の時の記憶が、奔流となって思考になだれ込んでくる。否応なしに。
……あの時、俺は確保した相手に兄貴のことを引き合いに出され、詰られて。
柴崎の前ひどく取り乱し、暴力を振るった。
拳は相手に叩き込まれたけど、痛みは全て自分に返ってきていた。
やり切れず、一人にしてくれと言った。涙が出るのを我慢できなかったし、見られたくなかった。
そこに、居合わせた柴崎。だから、彼女は……。
……あーあ。
やっぱり、そうなのかよ。
手塚は落ち込む。モチベーションががたんと下がる。
まあ、仕方がないか。
あんなところを見せられちゃあな。柴崎ほどの鉄の女でも、ほだされて、ついつい優しくしてしまったんだろうな。
……違う。
手塚はかぶりを振る。
失言だった。ひどく失礼なことを、自分は今柴崎に対して考えた。
それを、恥じる。
優しい女なんだ、柴崎は。鉄の仮面を被っているのは、あくまでも営業用で。
本当の素顔は、えらく優しい。こういう言われ方をするのは、本人は喜ばないかもしれないし、誤解を与えるかもしれないが、根っこのところは女らしい女だ。
だから、惹かれる。こんなにも。
手塚は遅まきながら、そんな想いにたどり着いた。
ふと、肩から力が抜けて行くのが分かった。
……まあ、いいか。迎えにいった先のことは、そのときに考えよう。
どうするか、どこに行くか。予定はあくまでも予定であって、柴崎の顔を見たら、急に変更したくなるかもしれない。あいつが行きたいってところがあるかもしれない。
まっすぐ帰りたいって言うなら、それもいいさ。
まずは、顔が見たい。着飾ってお姫様みたいになってるていう、お前に逢いたい。
いや、笠原が言うには女優だったか。
どちらにせよ、俺が想像してるよりもっとずっと綺麗だろう。
手塚は迷いを吹っ切って、図書隊の詰め所の玄関のドアを勢いよく開けた。
「うわっ!?」
【8】へ
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疲れきった柴崎をかっさらってくれ~~~~~~
お願いいたしまする~~~~(T^T)ウック!
柴崎が可哀相になってきた(くくく…)
自分で書いておきながら。
東京方面の結婚式の流れは分からないので、こっちの相場で? 書いてます。ちなみに当地では会費制(15000円)3時間コース引き出物つき、が普通です。