【13】へ
「今晩は、夜分すいません。いきなり押しかけて」
「いいや。大変だったなあ。災難だよ、まったく。とんだイブだっての。
すっかり冷えただろ。ヒーターついてるから、さ、まずは中へ入った入った」
「すいません。お世話になります」
店長は手塚の後から入ってきた柴崎を見て、思わず動きを止めた。
一瞬だけ、手塚の顔を窺う。が、何も言わず奥へ通してくれた。
柴崎はその対応だけで、この40がらみの店長に好感を抱いた。たとえ外見がイエティもかくやという山男風大男であってもだ。
二人が通されたのは、従業員用の休憩室のような狭い部屋だった。
ローテーブルに二人がけのソファが向かい合わせで置かれている。更衣室によく置かれる形のロッカーが壁に八つ。ネームプレートに名字がマジックペンで書かれてある。どれもこの店の従業員の名前だろう。反対の壁際には小さなクリーム色の冷蔵庫と、電子レンジがあった。使い込まれた型の古いコーヒーメーカーも。
きっとこの部屋で従業員が昼食を採ったりするのだろうな、と手塚は思った。
店長は、二人が所在無く立っているのを見て、さ、当たって、とヒーターを勧めた。
「有難うございます」
手塚は恐縮しきりだ。
無理もない。23時になろうかという常識破りの時間に電話をして「これから泊めてくれませんか」とお願いしたのだ。
しかし、事情を聞いた店長は二つ返事で快諾してくれた。いいよ、すぐに来なよと。
あまりにもあっけなくOKをもらえたので、正直肩透かしを食った。手塚は、
「世話になりたいのは、俺だけじゃないんです。その、……連れがいるんですが」
柴崎のことをどう呼ぶべきか迷った末、そう言った。
「いいって、誰と一緒でも。何人だって同じだよ、うちの部屋に入る数なら。まずはこっちに来るんだな。あ、足元に気をつけてな」
携帯越しに聞く声はいつも以上にガラガラの蛮声だったが、どこか温かく、冷え切った手も身体も緩やかに溶かされていく気がした。まさに地獄に仏、乾いた砂漠の真ん中で命のオアシスに巡り合った気分だった。
駆け込み寺さながら、ここにたどり着いた。
手塚は柴崎の背を促した。
ヒーターの前に立たせる。そして、
「柴崎。俺、ちょっと出てくる。ここにいて。いいな」
「え……どこに」
不安そうな表情が冷えた頬の上を過ぎる。
「コンビニ。買出ししてくる。要り用なもの」
答えながら手塚はもうドアのほうに向かっている。
「すいません、少し外します」
店長の方へ声をかけてから、
「すぐ戻る」
とこっちの台詞は柴崎に。
うん、と頷くよりも先に、手塚はドアから出て行った。
律動的な足音が、遠ざかる。
柴崎は初対面の店長と二人、部屋に取り残された気まずさを払拭するように、彼ににっこりと笑顔を向けた。先手必勝とばかりに。
「改めまして、柴崎麻子です。今晩はお世話になります」
丁寧に頭を下げると、店長はにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。
「そう硬くならなくても、誰も取って食いやしないよ、お嬢さん」
あら。
柴崎はその言葉で、山男店長の人物像、初対面で抱いた印象に多少修正を加えざるを得なくなる。
案外、落ち着いてるんだ。洞察力もある。あたしと夜中、いきなり二人きりになって舞い上がらない男のほうが珍しいってのに。
そんな風に、彼のイメージにおける針のふり幅を正しながら、
「硬くなってるように見えます?」と探ってみた。
「見えるねえ。がちがちだね」
もっとも、寒さのせいかもしれねえけどね。店長はそう嘯いた。
どこから用意したのかロッカーの足下に用意していたくたびれた感のある毛布をソファの上にほうって、
「一枚しかないけど、よければ使いな」
ぞんざいに言う。粗雑な口調はとても客商売に身をおいている者とは思えなかった。
でも不思議と不快感はない。あっけらかんとしすぎているせいだろうか。
柴崎が頭の中、この人物への応対の仕方をあれこれ分析している間に、店長は保温状態のコーヒーメーカーから黒い煮詰まった液体をコーヒーカップに注いだ。こと、とカップをローテーブルに置く。
「コーヒー、良かったら。あったまるよ」
この液体をコーヒーと言ったらブラジル人が気を悪くするわ……。内心そう思ったが、柴崎は露ほども顔に出さず「ありがとうございます」と微笑んだ。
「手塚君もすぐに帰って来るから、まあ、楽にしてなよ。自分ちだと思ってさ」
調子っぱずれの鼻歌。なぜかというかやはりと言うべきか、聞こえてくるのはド演歌だった。
「……お名前を伺っても?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ? てっきり手塚君から聞いてると思ってたんだけど」
笑うなよ。――って言っても、大概のやつが笑うんだよな、決まって。
店長はそう言って眉を顰め、天井の方をちょっとだけ睨む目線で言った。
「俺は熊谷っての。この本屋の不肖の店長です」
山男、――熊谷はそう自己紹介した。
柴崎は、「クマ……」と言ったきり絶句した。
笑みを押し殺すのに全精力を傾けなければならなかった。【名は体を表す。】
店長は苦虫を噛み潰したような顔を彼女に捻り出した。
「無理に堪えなくていい。笑いたきゃ笑っていい。
とにかく、クマだ。よろしくな。おじょうさん。
――で、あんた何? 手塚君のコレかい?」
店長は柴崎の目の前に自分の右の小指を突き立てて掬い上げるような視線を送って寄越した。
それは普通の人間では親指ほどのぶっといサイズで、柴崎は彼の失礼な問いに憤慨する間もなくついしげしげと見入ってしまった。
今夜は泊まる。
そう決まってすぐに泊まれる場所が見つかる訳もなく。
例の駅で手塚と柴崎は雪隠詰めに遭っていた。
携帯で駅周りのホテルを検索し、空きがないかとあたっても色よい返事は当然もらえず。逆にこんな天候の日、しかもイブに飛び入りで泊まれるかどうか打診するほうが奇特だといわんばかりの応対にあうことも度々。
駅構内の宿泊案内情報の場所に電話してはみたものの、見事空振りに終わった。
これはさっきの屋台のおっさんたちの言うとおり、ラブホテル探しに方向性を変えたほうがいいのか、というやけっぱちな思いがちらと手塚の頭を掠める。どうせ今夜カップルはみんなお洒落なホテルに詰めてるんだ。裏を返せば、ラブホテルは穴場かもしれない。
そんな乱暴な思考に陥っていると、隣で柴崎が、
「あたしは構わないわよ、別に」
と心の中を完全に読んだようなタイミングで口を挟んでくるので、背筋が冷える。
「何のことだ?」と手塚はすっとぼけるしかない。が、声が微妙に上ずる。
「さあ? 何のことでしょう」
柴崎はこんな状況だというのに、どこか人事のような、シチュエイションを愉しんでいるような風情でまったく焦る様子を見せない。それが手塚にとって不可解だった。
手塚は自分ばかりが空回りしているような悔しさから、
「ラ、ラブホとかもあたってみていいのか」
と開き直って言ってみる。半分脅し。半分様子見で。
すると、間髪入れずに柴崎は返す。
「噛まない自信があるならあたってみれば?」
「~~~お前ってほんと嫌な女だな」
手塚は地団駄踏みたくなる。
ええい、いっそのこと毒を食らわば皿までよ、と携帯を握りなおす。
「待って。――それは止めて」
不意に真剣な声で柴崎が制止する。
手塚が弾かれたように履歴を探ろうとする手を止めた。
自分より頭ひとつ、いやそれよりもっと背の低い彼女を見下ろす。
柴崎はじっと手塚を見詰めたまま言った。静かな口調で。
「お兄さんに頼るのは止めて。こんなことであの人に貸しを作るのはだめよ」
またもや見透かされてる。手塚はかあっとなった。
「こんなことって何だ。今頼らないでいつあいつを頼るんだよ。あいつの利用価値は今夜みたいな日にこそあるんだろ」
「そういう露悪的な言い方、あんたには似合わないわ」
柴崎はざっくりと斬って捨てる。
手塚はぐっと詰まるしかない。
「とにかく、お兄さんのコネを使うのはダメ。あたしがご免こうむるわ」
慧の立場がどれほどのものかはっきりは分からないし、分かりたくもないが、やつのツテをもってすれば、今夜、どこか近場のホテルの一室ぐらい、すぐにキープできるような気がした。
実際に彼にはそれだけの力が備わっているのだろう。柴崎の物言いからも裏付けされた形だ。
でもそれは嫌だと柴崎が固辞する。ラブホテルには嫌悪感を示さなかったのに。
兄をこの場面で引き合いに出すのはだめだと。
まったく……厄介な女だ。
飛びついてくれれば、すぐに楽になれるのに。
暖房のついた温かなホテルの一室、ぴんと糊のきいたベッドのシーツ。そういった目の前にぶらさがるにんじんに、見向きもしない。
その高潔さに手塚は惚れ直しつつ、溜息をついた。
無論、どんな場面であれ慧に援助を求めるのは彼の本意ではない。
止めて貰って、実はほっとしているというのが当たりだった。
「それに、お兄さんだってイブなら誰かと一緒のはずよ。水をさすような野暮なまねはしたくないでしょ? 弟としては」
「……あのクソ兄貴が女と一緒っていうイメージが湧かない」
柴崎は声を上げて笑った。
「そう? そんなことはないわよ。あの人は、ああ見えて案外」
曖昧に語尾を濁す。
親しげな口調に手塚はむっとする。
そこで慧の話は終わりだと言うように、話題を変えた。
「……ファミレス、行くか。作戦会議だ」
それにひとまず温かい場所へ移動させたかった。柴崎を。駅の中とはいえ、深夜に近い時刻になって、ますます冷え込んできた。
座る場所を確保して少しでも休ませたい。
「巡礼の旅ね。付き合うわ」
暗に席が空いていないかもしれないと柴崎が言う。確かにその危惧はある。
「二次会のカラオケボックスでも行ったほうがよかったんじゃないか? 同級生のみなさんと」
手塚が皮肉ると、「冗談でしょ」とフンと鼻を鳴らす。
「あたしがカラオケ大嫌いなの知ってるでしょ、あんた」
「お前勧められても絶対歌わないもんな、ボックス行っても」
飲む一方だもんな。笑う手塚の腕にパンチを見舞う。
「行くわよ」
「はいはい」
移動しかけて、ふと、手塚の脳裏にひらめくものがあった。
とっさにコートのポケットに仕舞った携帯を取り出す。
データをさらった。
滅多に使わない番号なので、すぐに履歴から呼び出せない。
柴崎は足を止めた手塚を「どうしたの?」と怪訝そうに見上げている。
ちょっと待って。目でそう返してから、手塚はようやく探し出した番号に電話をかけた。
5回、コールを聞いてから、相手が出た。
「はい。真誠堂書店ですが」
何か、と言わんばかりのガラガラ声だった。
【15】へ
web拍手を送る
早起きの楽しみができました(笑)
裏の方も拍手しておきましたので、これからもがんばってくださいね。
本屋さんでしたか~~。
とりあえず、雪をしのげるようなので、良かった~~~(^o^)
お、お兄さんのお越し? どきどきですね(笑)
お忙しい師走にこのようなブログサイトまで、ようこそいらっしゃいました。不都合あっても可愛い弟に免じて許してやってくださいね。笑
Rのほうも読んでくださって有難うございます。じれじれとべたべた、どっちがお好みでしょうか(ははは) どうぞごゆるりとお付き合いくださいませ。
>たくねこさん
本屋で夜明かしは最初から決めていましたです。店に入って、暖房があって、ようやく人心地つけそうなので、私もほっとしてます。
裏のレスですが、返品なさらず、受理方お願いしますです♪