猫絵日記

絵を描きながら、猫と私のささやかな日常を綴っています。

100万回生きたねこ

2015-04-16 21:17:19 | 日記
「100万回生きたねこ」
この絵本を知っていますか?
たぶん猫好きの人なら一回は見たことがあるかも。


なにが幸せで、なにが不幸せなのか?

そんな深い疑問を投げかけてくれる。


我が家の猫たちを見ていると、単調な生活を無事に送っている。
以前の猫は、家と外を自由に行き来し、外にいる猫たちとケンカも恋もし、雀やネズミを捕ったりしていたっけ。
半分ノラのような…

それはそれで、けがをしたり、病気になったり、交通事故にあったり 
たくさんの危険もあった。

今日はすさんだ顔をした汚れた野良猫に出会った 
でも自分を不幸と思っていないだろう。

我が家の猫たちは幸せなんだろうか。


何が幸せで何が不幸せ?

答えはないような気がする。






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最初の猫の思い出 「みー公」

2015-04-16 09:19:31 | 日記

人生の色々な場面に猫はいます。

子供のころ、飼っていた猫は三毛猫でした。
「みー公」という名前で、父がとてもかわいがっていました。
(「公」?…なんて高貴な!!)
「三毛猫は頭がいい」と父が自慢していました。

その時の写真を見ると、シッポが短く、癖のあるちょっとブサイクな顔をしています。

私が物心ついたときにはそばにいたので、いつからいたのか定かではありません。
たぶん野良猫だったのでしょう。
当時としては長生きで12年以上生きていました。

子供は猫にとっては迷惑な存在。
可愛がるというより、もうおもちゃでした。
今から考えると、ひどいこともたくさんしてしまいました。
机の引き出しに閉じ込めたり…頭をパカパカたたいたり…ひもでつないだり…
腕に、猫のひっかき傷が絶えませんでしたから…

押し入れで何度も子供を産みました。でも不思議と雄猫が狙って子猫を殺しに来るのです。
みー公はクロネコヤマトの猫のように、子猫をあちこち運んで守ろうとしていたけど、一度も育つことはありませんでした


みー公は何度か病気で死にかけたり、しばらく姿を隠したり、その度に父がとてもとても心配していた姿が思い出されます。

昔、猫は死ぬときは自分で姿を隠すと言われていました。

でも、みー公は最期は父の布団の中で、父の腕にしがみつき、抱かれて死にました。

その時、私は、初めて父の涙を見ました。

その頃は私は子供で、漠然と悲しかったけれど、今では父の悲しさ、さみしさや喪失感がよくわかります。

生きているということはいつかは別れなくてはいけない。  人も、猫も…。

そして悲しいけれど、猫は人間より短い寿命を生きているんですね。
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