嘘をついたことのない人はいるだろうか。
多分、一度も嘘をついたことがない人のほうがはるかに少ないはずだ。
私も当然ついたことがある。
小さな子どもの嘘はまだかわいい。
私が自分のついた嘘で一番苦しかったのは父の死を医師から告げられ、
病状を心配する父に
「大丈夫だって、3ヶ月もすると退院やって」
そう言った時だ。
「持って1ヶ月くらいですね。」そう医師から告げられた。
母も一緒に嘘をついた。
父が信じていたのかどうか解らない。
私たちの言葉を信じていたかもしれないし、自分の弱っていく体を感じて嘘だと思ったかもしれない。
しかし、当時は本人に宣告するかどうかは家族が決めた。
今のようにずばりと言わない。
お医者さんが言ったように父はそれから1ヶ月後に家に帰ることなく亡くなった。
今、母が入院している。
お陰さまで体調がよく今週末には退院。
昨年に病気が見つかり、現在治癒に向けて進んでいる。
今回の入院は違う病気だ。
胸に水がたまる。そして肺を圧迫するので息ができないのだ。
水も抜けたら元気になって退院できるのだ。
しかし、母は入院中は神経質だった。
私や家族が先生や看護師さんと部屋の隅ですこし話をしていただけで
「何を話していたの」
「だいぶ良くなりましたよって。先生が仰ってたよ」事実を告げても
母はそうはとらない。
「パパの時もそうやった。廊下の隅で先生に呼ばれていろいろ知らされたわ」
「今は、悪いなら本人にもちゃんと説明してくれるよ」
そういっても無理。
嘘も方便というけれど、やっぱりダメなんだな。
方便にしてはいけない。
よい意味で嘘をつく。それもやはり許されないことなんだと感じた。
だから、他人を悲しませて、つらい思いに会わせる、騙す、そんな嘘は絶対に許されるべきではない。
嘘をつくとそれを証明するためにまた嘘をつかないといけない。
そして何度もその嘘をつきとおしていくうちにきっと嘘でなくなってしまうのかも。
そうなったら大変だ。
私も50歳をすぎ、四捨五入すると60になる。
素直な気持ちでたとえ方便としても嘘はつきたくないと思っている。