ハワイ中毒 旅の記録

旅行記です
ハワイ、オランダ、タリン、ヨーロッパ。。。。

ミュンヘンからナポリへ

2012-08-21 13:03:00 | ヨーロッパ旅行
2012年8月21日(火曜日)


ドイツロマンチック街道4日間たっぷりのツアーが二日間で終わってしまい、最終日はミュンヘンにあるダッハウ強制収容所へ自分たちで行き、人間としての勉強をすることができた。

観光後ダッハウ強制収容所でタクシーを呼んでもらい、ミュンヘンの空港まで行った。

途中にある城などへ立ち寄る気も失せ、空港へ行ったが、出発まで早く来すぎて空港には人もいないわ。 夕方までのんびり空港で過ごします。

ドイツのケーキを食べなきゃ!
お昼だべなきゃ!
スワロフスキー見たいし!
チークも買いたい! と、4時間ほどあっても希望はいろいろです。

しかし、ケーキもランチもどうも乗れるものがなく、どれだけウロウロウロウロしたことでしょう。

巡り会えました
ずっと探してたスワロフスキーのピアス

日本だと16000円だけど、ミュンヘンで7900円。
マクドウウェルさんが買ってくれました。
 kirakira symbol4 kirakira ありがとう kirakira symbol4 kirakira 大事に使います。  うれし

オーストリア・ドイツはスワロフスキーが大変安いし豊富だ。
ああ、悔やまれる、4月の香港旅行。 だまされたなぁ
悔しいからどんな顔をしてだましさまされたかご覧いただこう。





さて、ミュンヘンの空港で出発までの4時間を買い物と食事で過ごしました。
マクドさんも、リモアのスーツケースみたいなカードケースを買って財布をスッキリさせていました。
そして搭乗口へ。

ルフトハンザ航空の太っ腹は、
空港内ドリンク飲み放題で各所にドリンクバーがある。
さっそくありがたく頂いた。



待望の機内食はこれだ。
大変美味しかった。 これが本日の夕飯となったのだ。

ドイツソーセージ・それにポテトのドレッシングあえ。 


      ナポリ空港
 荷物がなかなか出てこないので、親猿が子猿のシラミを取り始めました。

タクシーでホテルまで。

ぼったくられた

ナポリのタクシーに注意することは聞いていたが、ひどいよ
空港タクシー乗り場でちゃんと乗った。
メーターも回していたからぼったくられることもない予定だった。

空港から5キロだから、数分10ユーロくらいだろうと思った・・・

乗っても乗ってもなかなか到着しない。
挙句にすっごいスピード暴走
なんか、高速道路を走ってるし、暴走暴走

50ユーロ札しかなくて支払ったら20ユーロしかおつりが来ない。
これは[僕のチップね]とかいわれてさ・・・

遠回りの術を使われたのだ。どうしようもないわ・・・

しかしそれより、
唖然

ナポリの街々は、想像もしていなかったスラム街です。
家も汚く、落書きだらけで、ボロボロで、人々も貧しく、
走るところ全部がスラム街。
スラム街にタイムスリップ・・・これは夢じゃない

夜だったので大変恐ろしく汚い街でした。

タクシーのぼったくり運転手にトンネルの手前で下ろされ、
案内されたとおり歩道を歩いてホテルに到着。

TripAdvisor提供

よる9時すぎに空港到着だとメールしておいてよかった。
メールしていなかったら、このスラム街で身ぐるみ剥がされるところだった。

しかし、このホテルを私は予約したのだろうか?
このホテルを予約しようとして予約したんだろうか?
こんなに小さなB&Bだったっけ?
ちゃんとしたホテルだったような気がしたんだけど
いまだに謎だ。



中は驚いたりなんだりかんだり・・・



Portalba Relais






呼び鈴を鳴らすと黒い男の人が一人出てきてこのロビーに案内され、
名前も告げてないのに部屋の鍵をくれて
朝食オーダーの紙をわたされ、不思議な部屋に入った。

ギョ!
大丈夫だろうか!
洞窟ホテルをかんじさせる・・・
窓を開けてみたら、暗い雨戸。それも厳重に鍵がかかってる。
外は見れない。
このマフィアの街で窓は開けれない。。。
鉄格子・・・

ここに5泊もチョコパンは出来るだろうかと心配したが
[天井が高くて気持ちがいい] と言ってくれたのでほっとした。

鉄格子で金庫の中に閉じ込められた気がしたが、大変清潔なので安心。

ここは、6部屋だけの小さなB&Bだった。
フロントもなく誰もいないの・・・
ほかに、ひと組ご夫婦が泊まっているようで
私がロビーでパソコンの前にいたら遅くに帰ってきた・・・
不思議な空間。


とりあえず一日が終わり、
ほっとして、二人が寝てしまったところで 事件だ

朝食のオーダー表をフロントに置きに行こうと、鍵をあけようとしても
鍵があかないのだ。

やられた、閉じ込められた。
誘拐事件だ

1時間以上鍵を開ける努力したが空かない。
そして、誰もいない家。

唖然・・

そこで私は一人で考えた。

light助けを求めるのだlight

help help

朝食オーダー表の裏に、『鍵があかないからドアが開けられない、ドアを開けて』exclamation2 と書いてドアのしたから廊下に紙をだしておいて、どうか開放される日がやってきますようにと願って寝た。

あさ、7時。

声もなく、ドアがガチャガチャ音を立てている。
何者かがドアをこじ開けようとしている。
数分、ガチャガチャこじ開ける音が続く。

ギギギ・・

ドアが空いた。

大きくて黒い人が立ってる。
彼は言った

『 朝食のオーダー表がまだ出てないんだけど 』

ダッハウ強制収容所

2012-08-21 01:55:00 | ノンジャンル
2012年8月21日(火曜日)

ドイツロマンチック街道3泊の旅がとうとう今日でおわります。

ミュンヘン Europaisher Hof ホテルの日当たりの良い最上階にて8時起床。

熱くて眠れない夜でした。

お楽しみの朝食バイキングは満足です。
十分なパンとおかずとフルーツとドリンクも充実しています。


大変美味しかった。 

さて、私たちは今夜ミュンヘンからナポリへ飛びます。

11時のチェックアウトまではまだ時間があるので1ユーロショップヘ行き、これからの水分を購入してきた。 昨年の例で行くと、イタリアの観光地はドリンクが非常に高かったのだ。

ベリーダンスの街みたいなインド人の通りを歩いてお買い物。
100円ショップと同じでいろいろありました。
ハムスターやインコの餌も買いました。

ペットボトルのコーラや紅茶をスーツケースにしまって
さて、 この荷物をどうしよう・・・・

検討の結果、 フロントに荷物は預けず観光に持っていき
そこから直接空港へ行くことにしました。

Konzentrationslager Dachau 
ダッハウ強制収容所


かなしいかなしい歴史の場所に行きます。
いままで、いくつかの本も読みました。映画もたくさん見ました。
悲しい悲しい殺人現場です。
集団皆殺しの土地です。 

人間の最低のイジメ現場です。
人間という動物の醜い実態です。

ミュンヘン中央駅HauptbahnhofCentralStationからSバーン2 5ユーロで25分
Dachau下車

 

駅から観光客はバスをまっていたけど、私たちはスーツケースもあるし3人だからタクシーで10ユーロで強制収容所に到着。

入場無料。 広い敷地だった。
広いくて歩きにくい地面をスーツケースを引っ張って歩いた。

ダッハウにスーツケースで来ているのは私たちだけだ。
暑い
灼熱の太陽だ

虐待された人々の悲痛が聞こえる。

偶然にも現在BSにて [ドレスデン、運命の日]を放送中、いままさにドレスデンが壊滅しようとしている中、ブログ更新中。ユダヤ人は防空壕に立ち入り禁止・・だって



入り口扉の中央には「ARBEIT MACHT FREI=(働けば自由になる)」という文字があります。
ナチスドイツの嘘です。 
4日間まるごとたっぷりご案内という言葉もわたしは信じていたんだ。  ナチスドイツの裏切りです。

      
公開されている収容所の様子は、写真やビデオで伝えてられていました。
ムチウチの刑、超高度低気圧での人体実験、冷却人体実験・・それはそれは悲惨な現場が次から次へと展示してあります。

収容所に来たら人々の霊を感じるだろうかと心配していた。
わたしは、何一つ霊を感じなかった。 私の心は冷静だった。
もう、悲しみしか襲ってこなかった。

悲しくて悲しくて。

      
     本当の地獄、地獄以下に送られてきた人々。


      
    収容所監獄は収容所の中でも残虐行為による恐怖の中心地




     拷問に使われたムチと台
     

囚人が書いたリアルな絵もたくさんありました。
悲しいシーンの絵ばかりです。

     

毒殺でしょうか、ひどい、ひどすぎる。

    

逃げようとした人が死んだり、絞首刑にあったり

     
   

    

映画で知った、シマシマの囚人服。 実際の服と靴と帽子が展示されていました。
血と涙で一杯の洋服だった

展示されていた楽譜は、人々が歌っていたものだろうか。怖くて演奏することができない。


      

この大勢の人は、アメリカ軍によって解放された喜びの人々だ。 よかった開放されて。
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亡くなっていった人のモニュメント

      
        


別の棟には、大勢が押し込められて極めて不潔状態であったという収容所なか
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祈祷するところとか、慰霊塔とかあった。追いつかないきがした。


別の敷地には、殺人鬼たちがひどいことをしたところがある。

ガス室



ここに書いてある文字は シャワー室

シャワーかと思って安心して入室し、ガス殺人が行われたのだ。
ダッハウに限らずガス室殺人は各所で行われてたのだ。 ひどい。

焼却炉・・・死んだ人を焼却したんだよね? 生きている人じゃないよね?









       
ガス室のそばにあった銅像、 そして大変気持ちの悪い川がながれていました。



当時、収容所の周囲は、電流の通る有刺鉄条網が張りめぐらされていた。





チョコパンとマクドウウェルさんは、私と交代でガス室や遺体焼却呂のある敷地へ歩いて行きました。 炎天下の陽炎のなかを ふたりは歩いて行きました。
そして、
       数秒後


 白い光が二人を包んだ  そして

この二人の姿は二度と見ることがなかった。