どーも。最近伏見の歴史を再度勉強中のミナージュです。
今日は伏見桃山の歴史のある料亭のご紹介。
その名も”魚三桜”
魚三楼は江戸時代の明和元(一七六四)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業。
京の南の玄関口である川陸交通の要衝・伏見港に揚がる瀬戸内の魚や京野菜、
また伏見の酒造りを支えた豊かな湧水を使い、各藩の大名屋敷の料理方などを
務めました。
幕末、新政府軍と幕府軍が衝突した鳥羽伏見の戦いでは、
魚三楼の前・京町通に布陣した新撰組が、銃砲で武装した薩摩藩軍へ
白刃で斬り込んだといわれています。
表の格子には当時の銃撃戦の弾痕が今も保存されています。
毎朝中央市場や明石の魚屋から運ばれてくる鯛は一番良い部分しか
使わないのが「魚三楼」の伝統。
またお茶からご飯、決め手の出汁から全て、「魚三楼」の井戸から
汲み上げられる伏見の銘水「御香水」を使用し、そして伏見の地酒と
相性のいい旬の京野菜を使った、伏見の地にとことん拘った伝統ある
京料理なのです。
魚三桜
今日は伏見桃山の歴史のある料亭のご紹介。
その名も”魚三桜”
魚三楼は江戸時代の明和元(一七六四)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業。
京の南の玄関口である川陸交通の要衝・伏見港に揚がる瀬戸内の魚や京野菜、
また伏見の酒造りを支えた豊かな湧水を使い、各藩の大名屋敷の料理方などを
務めました。
幕末、新政府軍と幕府軍が衝突した鳥羽伏見の戦いでは、
魚三楼の前・京町通に布陣した新撰組が、銃砲で武装した薩摩藩軍へ
白刃で斬り込んだといわれています。
表の格子には当時の銃撃戦の弾痕が今も保存されています。
毎朝中央市場や明石の魚屋から運ばれてくる鯛は一番良い部分しか
使わないのが「魚三楼」の伝統。
またお茶からご飯、決め手の出汁から全て、「魚三楼」の井戸から
汲み上げられる伏見の銘水「御香水」を使用し、そして伏見の地酒と
相性のいい旬の京野菜を使った、伏見の地にとことん拘った伝統ある
京料理なのです。
魚三桜