B先生はT里病院に週2回の勤務だった頃、私の主治医になった。もし主治医がA院長のままだったら退院など出来ず入院16年目を迎えていた。
面会に来てくれるのは両親だけだったので入院が続いていたらとっくに誰からも忘れられた存在になっていたはずだ。
しかし超不自由ながら、規則正しい生活なので今よりも身体は健康だったかも知れない。
そして何よりも生活保護という事を考える事もなく差別も侮辱も搾取もない、否、カンリ費五千円という搾取はあったが、取り合えず起伏のない、幸せかどうかも分からないような生活を送っていたであろう。
ジョノカ(彼女)も出来ていたかも知れない。
多くの卵用鶏の中の一匹に過ぎなかった訳だが、鶏小屋を出て生活するのはこんなにも大変だとは予想もしなかった。
良かった事といえば母が亡くなる1年くらい前から何回か会え、葬式に出る事が出来た事だ。かなり認知症が進んでいたのは残念だったが、会いに行ってマスクをとると「武志だ」と気づいたような表情に変わってくれるのは嬉しかった。
A院長といいY病院院長といい共通しているが私立中学高校私大医学部と庶民とは接する事もなく育った上に親の後継病院長という超上級国民。
そんな身分の人にとっては、遥か下に公務員、その下に民間人、更にその下の生活保護者。そして障がい者や高齢者など。
失礼だがそのような人々の人生も命も全然ピンとこない、これは断言できる。
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