筑後川流域には、無数と言っていいほどの古墳群がある。
その中でも貴重な装飾古墳の幾つかが、一般公開されると言う。
普段は入ることも、見ることも出来ないものばかりだ。
こんなチャンス、逃す手はなかろう。
先ずは屋形古墳群の中から原(はる)古墳から。
直径12mほどの円墳である。
羨道である。
普段は厳重に施錠され、中を窺うことは出来ない。
円墳の後部に剥き出しになった巨石。
これは玄室奥壁との事。
少し説明がいる。
かつてこの辺りの村人が、自分の墓石にと盗んだところ、たちどころに祟りがあったそうな。
恐れ入った村人は石を返したものの、裏表を逆に置くという不届きの2乗をしでかす。
この村人にさらなる不幸が訪れたであろうことは、想像に難くない。
以来、古代人が描いた装飾は、雨ざらし日ざらしとなった。
そんな由来の奥壁だが、
「元に戻すと古墳そのものが壊れかねません。なので、このままにしてます。」(ガイド)
代わりに、ガラスで厳重に区切られている。
それでもうっすらと舟の形と、弓を持った人物の姿が見える。
同じく屋形古墳群から珍敷塚(めずらしづか)古墳
墳丘は残っておらず、石室全体を覆う建物で保護がなされている。
この日公開された古墳には、それぞれに専門のガイドがいて、発見された由来やその古墳の時代背景、壁画の解釈などの話が聞ける。
珍敷塚古墳は土に埋まった状態で発見されたんだとか。
埋まっていたのが幸いしたか、装飾はかなり明瞭に残っている。
舟や太陽、月、ユギなど、モチーフは他の装飾古墳も大体同じで、
「恐らく、死者があの世に旅立つイメージじゃないかと。」
なるほど、なるほど。
今も残る精霊流しの風習も、何となく合点がいくね。
狐塚古墳
玄室・前室に分かれ、墳墓の直径は40mはあっただろうとの事。
装飾は染料を用いたものでは無く、数少ない線刻と言われる技法を用い、更には合葬墓でもあったらしく、
「かなり貴重な古墳です。」(ガイド)
仙道古墳
玄室内部
傷みが激しく、この距離からは、ほとんど装飾を識別する事は出来ない。
「ここは地形が特殊でして、大雨の時なんか、地面から水が湧いてきます。」(ガイド)
遠い遠い我々のご先祖様も、厄介な場所に墓を作ったものだ。
花立山穴観音古墳
かつての厳かなる場所も、今では深い森となってしまった。
右の「祭祀跡」の盛り上がりが後円部。
左の「テラス」とある場所が前方部。
羨道入口
かつての古代人が眠る場所は、いつの頃からか観音信仰の場となった。
埋葬された本人は、ビックリ仰天であろう。
ふと天井を見上げてみた。
??
古代人に代わりここの主となったコウモリが、侵入者の我々など知らぬげに就寝中である。