続き
「あー腹減った、飯食いに行くぞ。」
押戸石の丘から、一番近い食事処と言えばここだ。
花唐符。
豆腐料理の専門店だ。
「お待たせしました。」
お盆の中には、おからコロッケをメインに、小鉢5種と呉汁、
それに、この店自慢の釜豆腐である。
コロッケには、タルタルソースをたっぷりつけて、
あーん
デザートの豆乳プリンでしめる。
今回も美味しゅうございました。
さて、車は南小国町から、小国町へと向かう。
北里柴三郎記念館。
ペリー来航の前年の嘉永5年、
北里柴三郎は、小国の北里村の総庄屋の長男として生を受ける。
手前の建物は、大正5年に博士が資材を投じて建てた北里文庫(図書館)。
その奥は同時に建てられた貴賓館。
北里文庫は現在展示資料館となっている。
上は博士愛用の顕微鏡。
貴賓館2階の座敷から、涌蓋山を望む。
この風景が、後に世界的な医学者になる柴三郎少年を育んだ。
生家の一部。
書庫。
令和の新千円札は、北里柴三郎の肖像である。
九州人として、誠に誇らしい。
ここに来たなら、訪ねておきたい場所がある。
旧宮原(みやのはる)線北里橋梁。
記念館の目と鼻の先に、道路を跨ぐように掛けられている。
昭和13年架橋。
折しも鉄不足の時代である。
コンクリートには鉄筋を使用できず、代わりに竹を使用した竹筋橋である。
土地柄からしてこの路線は、木材運搬が主な業務であったろう。
だとすれば、昭和59年の廃線までの46年間、よくぞ持ちこたえたものだ。
廃線となった現在は、歩道橋として使用されている。
国の登録有形文化財。
旧宮原線北里駅のホーム。
車を移動。
下城の大銀杏。
樹高20m、枝張り30mから40mの巨木である。
樹齢は千年以上と伝えられる。
去年訪れた時は、時機を逸していたが、今年はドンピシャリ。
正に見頃である。
辺り一面が、黄金の絨毯である。
黄金の絨毯に寝そべって、犬が笑ってる。
お前、何か知らんが嬉しそうやな。
おっと、こんな時間だ。
我が家の犬は、二人の帰りを待ちわびて、泣いとるかもしれんぞ。
帰ろう。