日曜日は家内の父親の7回忌。
朝から大川へ出かける。
早めに出かけて、筑後川昇開橋に立ち寄る事にした。
なんせ、今まで何度かここに来ているが、一度も昇降する様を見たことがないのだ。
お、橋が降りてるぞ。
筑後川昇開橋は、昭和10年に架けられた、旧国鉄佐賀線の鉄橋である。
筑後川を行き来する船の為に、昇降するのが特徴だ。
今は佐賀線は廃線となり、この昇開橋以外は、当時を偲ぶよすがはない。
旧駅舎跡の階段を登ると、
おお!
ちゃんと通れるようになってるぜ。
今まで、修理中であったり、休みの日に来たりで、フェンス越しから、橋桁が上がっている所しか見た事が無いのだ。
昇降機の所にいるおっちゃん達が、私らを手招きしている。
「どうぞ、こっちに来んね。橋を上げまっしょか?」(オッチャンズ)
グイーーーン
観客は私らのみである。
この橋桁の下を船が行き来する。
「私らだけなのに、何か申し訳なかですね。電気代が勿体なかね。」(私)
「よかよか。見て貰うとが嬉しかと。」(オッチャンズ)
天辺まで橋桁を上げ終わると、
「んじゃ、降ろしまーす。」
グイーーーン
その間3人がかりで、昇開橋の事や筑後川の事を、寄って集って私らに話してくれるのだ。
誠に親切である。
いや、親切を通り越して、少々うるさい。
中でも一人のオッチャンなどは、最初から最後まで喋り詰めである。
こちらが、息が出来てるのか心配になるぐらいである。
「久留米の今年の洪水は、筑後川のポンプがちゃんと動いとらんとですよ。あれは・・・」
昇開橋が降りて来た。
「向こうまで渡れますか?」(私)
「あーもう、どこまででん行ってよかですよ。」(オッチャンズ)
これから法事なんでね。
そういう訳にはいきません。
佐賀県側から。
「あそこに見えるのが・・・」
オッチャンズの話は止めどない。
そろそろ、話の腰を折るタイミングを計らねばならない。
「あ、ありがとうございました。そろそろ法事に行きます。」(私)
「あーそうですか。そんなら、すぐ近くに饅頭屋があるけん、行って見らんですか。美味しかバイ。」(オッチャンズ)
今度は聞いてもいない饅頭屋の事を、寄って集って強く勧められる。
「テレビにも出たとばい。」
「なんでん美味しかばってん、昇開橋の焼き印を押した昇開橋饅頭がよかよ。」
「行列が出来る店やんね。閉まっとったら、シャッターば叩いて呼び出してよかけん。」
「よかけん」ってあーた。
別に饅頭に飢えてる訳じゃなし、そんな不躾な事は致しません。
でも、ちょいと行ってみるか。
オッチャン達推奨の店、鹿江屋(かのえや)だ。
幸いシャッターを叩いて起こさずとも、既に開店しているようだ。
「昇開橋のオッチャン達から、滅茶無茶美味しいから、行ってこんねって言われて来ました。」(私)
「まあ、またそげんか事言わっしゃったとですか。いつもですもんね。もう、プレッシャーで。」(女将さん)
さて、法事の時間までまだ暫くある。
直ぐ近くには久留米藩と柳河藩の藩境の町がある。
少し散歩でもするか。
こうなっている。
札ノ辻から両藩の道が南北に伸び、その中間に藩の境界があったようだ。
札ノ辻に建てられていた石柱。
札ノ辻。
左のモルタル2階建ての建物は柳河藩。真ん中にある生垣の家から右は久留米藩領となる。
生垣の家のご主人がおられたので聞いてみた。
「昔はいざこざが多かったそうですね。」
「ええ。向こう側から、こちらの家に死体を投げ込まれたり、色々あったごたるですよ。」 (ご主人)
「ひええ!そう言えば、通りを挟んで、向かいは柳川弁、こちらは久留米弁で、話す言葉も違ったとでしょうね。」(私)
「昔はそうかもしれんですね。今はそげんな変わらんですばい。」
藩境を示す石列。
石列右が久留米藩。道路から左は柳河藩。
何軒かは保存された建物が残っている。
古い街並みは色々あるが、藩境の町は初めてだ。
両藩の思惑が垣間見えて、中々に面白い。
さて、そろそろ法事の時間だ。
お寺さんに行かなくちゃね。