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Tシャツとサンダルの候

大刀洗散歩

これから投稿するブログは、私以外の人には、退屈極まりないものとなる。

要するに自分の記録のためだけのブログである。

相手なんかせずに、黙殺して貰えれば助かる。


大刀洗飛行場関連の戦跡は、ずっと訪ねてみたいと思っていた。

先日、太刀洗平和記念館を訪れたのがきっかけで、ついにそれに火が点いてしまった。

どんよりとした雲が広がる昨日、大刀洗へと車を走らせた。


手始めは、太刀洗平和記念館から。



ここには、第五航空教育隊正門が残っている。



微かに第五教育隊の文字が見える。


ここから周辺を、少し歩いてみたい。



憲兵分遣隊舎煉瓦塀跡。

敷地内には、隊長官舎や厩舎跡も残っているようだ。



とは言え今は私有地だ。

勝手に入る訳にもいかず、遠目に覗いてみたが、よく分らなかった。



飛行第四聯隊本部庁舎前に設置されていた時計台。



現在は慰霊碑として追悼のシンボルとなっている。




太刀洗飛行第四聯隊営門

飛行第四聯隊が菊池に転出した後は、陸軍飛行学校がここに置かれた。



かつて太刀洗飛行場は、東洋一の規模を誇っていた。

戦後、その広大な敷地は、住宅地や畑に変わった。

そんなどこにもある風景の中に、ポツンと残されたコンクリートの塊がある。



監的壕

戦闘機の射撃訓練の観測所。






太刀洗公園までやって来た。

南北朝時代、九州を駆け抜けた菊池武光の像。



そこには、米軍の空襲でつけられた弾痕が今も残る。




台座にも。




菊池橋

何発もの爆弾が落ちた場所で、別名『バクダン橋』とか。



近くにあった工場の工員や、女子挺身隊らが犠牲になったと言う。




第五航空教育隊東門。

住宅街となった風景に、さりげなく溶け込んでいる。



東門のすぐ横には、戦没者の慰霊碑(翔天菊水の園)がある。




太刀洗川に沿って更に歩く。



ここが猛将菊池武光が、血刀を洗った場所とされている。

太刀洗の地名の由来である。



さて、

ここまで着いてきている奇特な人など、果たしているのだろうか?

後ろを振り返り、「オーイ」と呼びかけたい気分である。

もしいたとしても、

「飛行場の話じゃなかったのかよ。何で菊池武光が入ってくる!」

そうお怒りの事と思う。


申し訳ない。

もうすぐ終わらせる。

あと少し辛抱して欲しい。



航空廠技能者養成所跡




天ぷら屋の駐車場に、黒い塊が見える。



第五航空教育隊、こちらは北門跡である。




太刀洗駅

戦前この駅には、一日2万人もの乗降客があったと言う。

駅周辺は、旅館や商店街が立ち並び、たいそうな賑わいだったとか。



飛行場への引き込み線跡



はい、これで終わりである。

「やっと終わったか」と、ホッとしたあなた。


この稿は終わったが、実は後編がある。


と、小さな声で予告しておく

 <(_ _*)>“ 

コメント一覧

minou_yamatai
まったく同感です。
市町村合併でもそうですが、久留米市内にしても、両替町や呉服町や細工町など、聞いただけで、町並みが想像できる名前が消えてしまいましたからね。
通りすがり
太刀洗 歴史に思いを馳せさせる良い地名です。

市町村合併が今後も進み、全国の歴史ある地名、町名が埋もれていくと思うと悲しくなりますね。
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