昨日21日、12日に亡くなった桂文枝さんの一門合同葬が大阪市阿倍野区の斎場で営まれた。(わたしは参列はしていませんが)
小文枝の時代がとても長かったので、わたしにはやっぱり小文枝のイメージが強い。 1992年にやっと文枝を襲名した。
わたしは、小がなくなってしばらくはしっくりこないと感じていた。 そろそろ小がないのに慣れてきたかなと思っていたのに、逝ってしまわれるとはちょっと早すぎる。
誰が文枝を継ぐかという話題も出ているが、その前にまず小文枝を継ぐ人が出ないことには、と思う。
ハメモノ(お囃子の入る噺)が得意だった。 素人名人会の審査員だったのも懐かしい。
落語界のエライ人というよりも、なんだか近所の陽気なおっちゃんがいなくなったみたいでさびしい。
すでに1986年に笑福亭松鶴さんが亡くなっていて、上方落語四天王も半分が鬼籍へということになってしまった。 同じ年の桂春団治さんはがっかりしただろう、いや、5つ年上の桂米朝さんはもっとがっかりか。
米朝師匠、春団治師匠、いついつまでも長生きしてくださいよー。
●桂文枝オフィシャルサイト
小枝が生放送に遅れてきたときに
ちょっとおかしいなあって思ったら
やっぱりそうかあ、でした。
ほんとに、歳がおないどしだったり、歳下だと
がっくりくるだろうなあ。(v_v)
そういえば、枝雀師匠のときに、年末の寄席へ行ったら、予定していた「茶漬け閻魔」を演らずに他の噺にされたということがありました。 仕上がりが納得いかなかったんでしょうね。 それで、次の春に・・・
ああ、みんないつかは去るとはいえ、さびしいですね。
昨日、先週録画してあった文珍さんの「新編 七度狐」を見ました。 物語が長くなっていて本当に七度騙されるんですが、一度目の川越えのところの、深い~か、深いか?などを聞いて、師匠から伝えられたものなんだなぁと思いました。 その人自身は去っても何もかも全てが失われたわけではないんですね。
形などだけではなくて、空気や間というものが
伝わっていくってこともあるかな。
自分が消えたときに、何がのこるんだろうね。