これからもテルミンを弾き続けていく
最近、音楽療法という言葉が聞かれるようになりました。 おおざっぱに言えば音を楽しめば楽しくて体にいいということのようですが・・・テルミンの場合はどうなのかわかりません。 この楽器は音程をとるのが難しく、下手な演奏を聴くのも身体に良いとは思えません。(^^;
わたし自身は、集中して演奏している時には命そのものが少しすり減るような感じがします、我慢して聴いている人にとってもそうでしょう。(笑) わたしは芸術はみなそういう側面を持っていると思っています。 どこまで追求するかによっても磨り減り方?は違うでしょうけれど、多かれ少なかれ苦しみもあるものです。 あるいは簡単な遊びであると割り切って、戯れに弾く程度にしておいたほうが無難なのかもしれません。
テルミンは自由度の高い楽器です、どんな奏法でもかまわないんです、自己流で勇ましく活動されている人もたくさんいます。 ただ、不自由さのために自己流を選ぶしかなかった場合は、自ら好きで進んで選んだ奏法ではないのに、本当は正統派の奏法で弾きたいのに、と思うジレンマが常について回ります。 それが、わたしのような奏法でも弾けますからどんどんトライしてください!と言えない理由です。 でも、もし正統派の演奏ができる状態だったらピアノに戻れますから、テルミンを弾いてはいないでしょう。 まあ、結局はそういう縁だったということです。
わたしは不自由だからこんな演奏しかできませんという言い訳はしないように、不自由さを前提にしたくはないと思っています。 それを前提としてしまったらそれはもう音楽ではなく、単なる見世物になってしまうのではないかと思います。
もし自宅で独習することになった場合、他の人の演奏を見たり聴いたりする機会がなく、ひとりぼっちの寂しさを味わうことになると思います。 そういう点でもテルミンを愛する人たちの友の会であるFriends of the Thereminには入会しておくのはとてもいいと思います。 演奏する人だけでなく、鑑賞する人にも楽しい会です。
もし、あなたがこれからテルミンを始めるとしたら、そしてずっと弾き続けていくとしたら、わたしもあなたにお会いする機会もあるかもしれませんね。 いつかどこかでテルミニストとしてお会いしましょう。(^^)/~~~
8回にわたって書いてきました「不自由さとテルミン」はこれでおしまいです、お読みいただいてありがとうございました。m(__)m
「多かれ少なかれ苦しみもある」って
同感です。
でも、誰にでも演奏の時には緊張感が必要ですよね、そういう感じを伝えたかったんです。
わたしはピッチアンテナと自分の間に見えない糸を張っているような感じがします、命をかけてピンと張る、それがゆるむときれいに弾けない・・・ははは、おおげさ~っ。(笑)
いつもピンと張ってるわけじゃないです、ゆるゆるにしてラフに楽しむのも好きです。
私は芸術家ではないけど、書く事がとても好きです。右手は時々悲鳴をあげても止められません(笑)
仕事も趣味も右手が主役。楽しいからそれでいいかな~
三毛子さんの、不自由さを前提にしたくないというお気持ちもとてもよく分かります。
画家のルノアールは晩年リウマチに苦しみ、
変形した指に筆を挟みバンドで固定し、ベッドの上で描き続けたそうです。
「絵を描くことが好きだから・・・」
その気持ちが支えになっていたのでしょうね。
そう、ルノアールが評価されるのは、リウマチの画家だからではなく、作品が素晴らしいからですよね。(^^)