主人が亡くなって3か月がたちました。
私が一番気になっていたことは家にある大きなステレオ装置です。
父親の影響で小さい時から音の興味を持ち始めていたようで新潟の兄も
ステレオにうるさい人です。
大学を卒業した時もどうしても入りたい音響メーカーに就職浪人までしてこの会社に入社したそうです
家にも早くから小さいステレオ装置がありました。
私の家族は転勤族です。仙台に引っ越しをしたころには山野草も始めていて引越し屋さんに「お宅は家具はないけ
ど植物は沢山あるねー」とわらわれました。
そのうち仙台から八王子に引っ越しました。このころにはレコードからCDに変わって
ますがこの時にはすでに大きなステレオ装置になっていました
主人は何事にもこだわりの強い人でした
最近(5年ほど前)買った真空管のアンプは何度も秋葉原へいって音を
聞かせてもらい買いました.
アンプだけで30数万円もしました
高校生の時に谷川岳でみたロッククライミングをしている人をみて自分もいつかはやって
みたいとずーと思いつづけ59歳の時、都岳連の教室に通って技術をおしえてもらい卒業後も何年も
たのしんでいました。私は帰って来るまで心配でした
谷川岳・幽の沢へ行った時の写真です。
最後には北アルプス・穂高岳連峰の北穂高をロッククライミングでのぼってしまいました
主人は「会社も大事だけれども趣味もとても大切のこと」だと言ってました。
私はママさんテニスを50歳ころまで続けました。試合であちこち出掛けていましたが趣味については2人とも
「口はださない」という約束になっていました。
普通の登山もしました。槍ヶ岳・北岳・穂高岳連峰なども何回かのぼっています
今回とても気になっていたことは、大きなステレオ装置を処理したかってのです。
私も息子もさわることさえできません。それでやっと貰ってくださる人がみつかったのです。
同じ会社の後輩の人2人で明日取に来てくれます。本当にホッとしました。
あんな複雑なことができるのにパソコンはまったくしませんでした。車の運転もとうとう
しませんでした。あと少し長く生きていられたらあれだけほしがっていた「真空管のアンプで聞くことが出来たのに・・・」と
最近おもっています。