10:29:33
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/MQL5SvYtjP
11:18:44
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、ルカによる福音書15章、有名な「放蕩息子」の話から #churchjp
pic.twitter.com/OcKNvnxqOd
11:21:34
放蕩息子のお話に出でくる弟息子は、思いつきで行動しただけで、なにか考えがあって「財産を分けてくれ」と親に言ったとは思えない。
弟が財産を分けて欲しいと聞いた兄は、自分も分けて欲しいとは言わなかったのです #churchjp
11:25:14
『それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。』(ルカの福音書 15章 15節)
ユダヤ人は豚を食べないので、弟は豚を食べる違うイスラエルでない遠い国に旅立ったと思われます #churchjp
11:29:31
つまり、弟はユダヤ人の仲間からすれば「なぜ異邦人の土地へ?」と思われる場所へ旅立ったということ。
仲間がいたり、親や親戚がいるところから、遠く離れて、実際の距離だけでなく心の距離も家族から離れたかったのでしょうか #churchjp
11:32:12
『父親は、『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。』(ルカの福音書 15章 22節)
靴を履くというのは、奴隷ではなくなった、自由人になったという象徴を意味する。
弟息子は親や仲間から離れ、自由になったつもりだったのが、かえって自由を失なったのです #churchjp
11:34:15
『立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
弟息子が遠い国から帰る途中、何回も何回も頭の中で繰り返した言葉かもしれません #churchjp
11:36:02
『こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。』(ルカの福音書 15章 20節)
父親は家から遠くを毎日見つめては、毎日毎日弟息子の帰郷を待ちわびていた様子 #churchjp
11:37:24
同じように、神さまも、私たちが神さまの元に立ち返ることを毎日首を長くして待っています #churchjp
11:38:36
この放蕩息子の話は、いったい誰に対して話しているのでしょうか
『さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。』
(ルカの福音書 15章 1〜2節) #churchjp
11:40:43
『ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。』(ルカの福音書 15章 25節)
兄息子のほうは騒動の推移を自分で確めることをしなかったのです #churchjp
11:42:10
『すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。』(ルカの福音書 15章 28節)
兄はいつも父親のそばにいたけれど、心は父親のそばには無かったのです #churchjp
11:43:29
『しかし、兄は父に答えた。『長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。』
(ルカの福音書 15章 29節)
兄息子は父親の言いつけは守ったけれども、父親を愛しているわけではいなかったのです #churchjp
11:45:57
『すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。』(ルカの福音書 15章 28節)
父親は弟同様兄も愛していて、使いの者ではなく父親自身で兄を向かえに行って、兄をなだめたのでした
神さまが私たちに対する愛もいっしょです #churchjp
12:05:26
今日の教会の礼拝が終わって、みんなでお茶とお菓子をいただいています。 #churchjp
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まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
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11:18:44
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放蕩息子のお話に出でくる弟息子は、思いつきで行動しただけで、なにか考えがあって「財産を分けてくれ」と親に言ったとは思えない。
弟が財産を分けて欲しいと聞いた兄は、自分も分けて欲しいとは言わなかったのです #churchjp
11:25:14
『それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。』(ルカの福音書 15章 15節)
ユダヤ人は豚を食べないので、弟は豚を食べる違うイスラエルでない遠い国に旅立ったと思われます #churchjp
11:29:31
つまり、弟はユダヤ人の仲間からすれば「なぜ異邦人の土地へ?」と思われる場所へ旅立ったということ。
仲間がいたり、親や親戚がいるところから、遠く離れて、実際の距離だけでなく心の距離も家族から離れたかったのでしょうか #churchjp
11:32:12
『父親は、『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。』(ルカの福音書 15章 22節)
靴を履くというのは、奴隷ではなくなった、自由人になったという象徴を意味する。
弟息子は親や仲間から離れ、自由になったつもりだったのが、かえって自由を失なったのです #churchjp
11:34:15
『立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
弟息子が遠い国から帰る途中、何回も何回も頭の中で繰り返した言葉かもしれません #churchjp
11:36:02
『こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。』(ルカの福音書 15章 20節)
父親は家から遠くを毎日見つめては、毎日毎日弟息子の帰郷を待ちわびていた様子 #churchjp
11:37:24
同じように、神さまも、私たちが神さまの元に立ち返ることを毎日首を長くして待っています #churchjp
11:38:36
この放蕩息子の話は、いったい誰に対して話しているのでしょうか
『さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。』
(ルカの福音書 15章 1〜2節) #churchjp
11:40:43
『ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。』(ルカの福音書 15章 25節)
兄息子のほうは騒動の推移を自分で確めることをしなかったのです #churchjp
11:42:10
『すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。』(ルカの福音書 15章 28節)
兄はいつも父親のそばにいたけれど、心は父親のそばには無かったのです #churchjp
11:43:29
『しかし、兄は父に答えた。『長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。』
(ルカの福音書 15章 29節)
兄息子は父親の言いつけは守ったけれども、父親を愛しているわけではいなかったのです #churchjp
11:45:57
『すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。』(ルカの福音書 15章 28節)
父親は弟同様兄も愛していて、使いの者ではなく父親自身で兄を向かえに行って、兄をなだめたのでした
神さまが私たちに対する愛もいっしょです #churchjp
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今日の教会の礼拝が終わって、みんなでお茶とお菓子をいただいています。 #churchjp
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メッセージの様子はこちらから(音声のみです) https://youtu.be/VULC8t-34Aw |