
初めての沖縄への旅・・・
わたしは、頭でっかちな人間で、ついつい、考え込み、
今まで、沖縄を旅することができませんでした。(沖縄の皆様、ごめんなさい)
だから、アラカンにして、初めての沖縄。

到着した、その足で、ひめゆりの塔↑、摩文仁の丘↓、
もちろん、それぞれのミュージアムも、じっくり見学・・・
案の定というか・・・
ど~んと落ち込み、気分は沈みきってしまいました。

それが・・・・・・豹変!
気持が、すっかり変わったんです。
沖縄の青い海や空を、森を、楽しめるようになりました。
もしかしたら・・・
この日、最後に訪ねた、斎場御嶽(セーファーウタキ)のおかげかなぁ・・・と。
いや、絶対に・・・そう!
ここで、パワーをもらえのだと思います。
沖縄の神々が「いろいろな面を見なさい」と、おっしゃっていたのかもしれません。

斎場御嶽(セーファーウタキ)は
琉球王国時代、国家的な祭祀が行われた、聖地です。
おっと・・・その前に、沖縄の地名や言葉は難しい・・・!
知らないと、何のことやら・・・
言葉の説明を兼ね、ざっくりと、琉球王国の信仰について、まとめましょうか♫
御嶽(ウタキ)は、森(ムイ:原田マハ『太陽の棘』ニシムイ美術村でお馴染み♫)や
グスク(城)などと呼ばれる、聖地をまとめて指す言葉です。

(勝連城にて、奥にあるのが神石)
御嶽の中で、もっとも神聖な場所には、イビ(霊石)を祀り、
やってくる神霊のために、香炉も置きます。
御嶽は、ノロ(神女)と呼ばれる神官によって祀られてきました。
琉球王国時代から、祭祀は、女性が取り仕切るんです。
というのも、海に囲まれた琉球の島、男性は海に出ていることが多く・・・
そもそも、留守がち。
残された女性は、男性の航海の安全を神々に祈ったからだと・・・
それが国の安寧や五穀豊穣、雨乞いまで祈るようになったわけです。
(・・・と、どこかでガイドさんに聞いたか案内板で読んだ気がします)
沖縄のグスクは戦禍の度に破壊され、現在は廃墟となっていますが
御嶽は健在。
今でも、村々に残り、住民やユタ(霊能力者)に守られているそうです。

(今帰仁城内の火神)
琉球王国の歴史では、沖縄の創世神・アマミキョが
東方楽土「ニライカナイ」から、やってきたとされています。
天帝の命を受けたアマミキョ(=阿摩美久:アマミク)は
天から賜った土石草木で、国造りを始めました。

(ウジョウグチから見える、太陽の昇る地・久高島は東方楽土<ニライカナイ>へ
通じる。こういったお通し<遙拝所>は沖縄にたくさんあるそうな)
三番目に造ったのが「知念グスク」と、「斎場御嶽」でした。
中城湾と太平洋を見下ろす森、そこが斎場御嶽、
琉球王国時代、最高の聖域です。
ここで、琉球王国の神職として最高位である、聞得大君(キコエオオキミ)の
即位式「お新下り(オアラオクダリ)が行われたからでした。
この儀式は、国王の冊封(サッポウ)式に次ぐ、国家的イベントだったのです。
ちなみに、冊封とは、中国の皇帝が琉球国・中山王を任ずることであります。
(琉球は、日本と中国と両方のバランスをとって外交していたんですね)

今でこそ、入場料を払えば、誰でも入れますが・・・
かつては、この地に一般人は足を踏み入れることが出来ませんでした。
いや、たとえ王であっても入ることはかないません。
男子禁制でしたから・・・
御嶽の入り口「御門口(ウジョウグチ)」↑で
中に入れない男性や、一般庶民が拝んだそうです。
今も階段には灯籠と6つの香炉が置かれています。
この先に、6カ所の拝み所があるから、6つの香炉なのだとか・・・
この「斎場御嶽」では、ガイドさんのご案内を予約していました。
この男性ガイドさんは、リタイア後、横浜から移住されたそうです!
・・・ということで、「斎場御嶽」めぐりは、後編へ・・・♫
また、お付き合いいただけたら嬉しいです。
◆参考
○上里隆史 富山義則 『琉球古道ー歴史と神話の島・沖縄』 河出書房新社
○おおき・ゆうこう 田名真之『沖縄 琉球王国ぶらぶらぁ散歩』 新潮社
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読んでいただき、どうもありがとうございました。
もう少し余裕ができるまで、コメントなど非表示にさせてくださいね。
一方通行のブログでごめんなさい。