母に、広島旅行の土産話をしたときのこと。
広島平和記念資料館は、
「外国人の見学が多くて、
日本人は圧倒的に少なかった」と、私が言うと・・・
母が、即座に返しました。
「そりゃそうよ。
辛くなっちゃうところに、行きたくないもんね」
・・・ええっ、
お母さんが、それを言う!?
びっくりでした。
・・・というのも、
今を去ること、15年ほど前、
二人で、ポーランドへのツアーに参加しました。
現在は元気なアラカン・サバイバーながら・・・
当時のわたしは、まだ、なりたての頃。
大きな治療は終わっても、
投薬治療は続いており、
まだまだ、不安を抱えていたのです。
当時、沈みがちなわたしを
あちこちに連れ出してくれたのは、母でした。
そのポーランド・ツアー、
わたしの目的は、ショパンさまながら・・・
行程にアウシュヴィッツ収容所の見学がありました。
「お嫌でしたら、
クラクフ市内で自由にお過ごし下さい」
と、添乗員さん。
その言葉に、アウシュヴィッツ行きを
ためらっていると、
母に、厳しく、たしなめられたのです。
「そんな弱いことで、どうするの!?
アウシュヴィッツは、
人として行くべきところでしょ!」と。
アウシュヴィッツについては、
本や映画からの知識が、それなりにあるつもりだったので、
かえって尻込みしてしまったのですが・・・
結局、母の言葉に、渋々、出かけました。
・・・・・・
今では、行って良かったと思っています。
あのときの母に感謝です。
アウシュヴィッツだけではありません。
その後、母と出かけた海外旅行は、
東ヨーロッパばかり。
もちろん、土地に惹かれたのが大きいのですが、
結果として、鎮魂の旅の面もありました。
ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争の傷跡や
バルト三国のナチス、ソ連からの迫害の跡など、
負の遺産をたどることとなったからです。
岸田首相ではありませんが、
「現地に行ってみて、わかることもある」と
いうのは、確かだと思います。
(今、現在、戦争中のウクライナと
戦跡は違うにしても)
想い出話が長くなって、ごめんなさい。
とにかく、弱気のわたしをたしなめ、
負の遺産も、あちこち出かけた、
その母が、ですよ。
今や、広島平和記念資料館には
「辛くなるから行きたくない」と言う・・・
そういえば、
昨秋に長崎へ行ったときも
長崎原爆資料館へは気が進まないようでした。
もしかしたら・・・
辛くなるから、
本当は避けたかったのだけれど・・・
今までは、自分を励まして出かけていたのかしら。
でも、年齢と共に、
もう、頑張ることが出来なくなって、
本音だけが出てきたのかも・・・
わたしも、今は戦争遺跡めぐりを
旅のテーマの如くにしているけれど・・・
いつか、そうなるのかな。
それにしてそも・・・
母も、年をとったのだな、と
またしても、娘は実感したのでありました。
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(画像は、我が家のラッパ水仙。)
長々と、おつきあいいただき、
どうもありがとうございます。
今朝も、青空が広がりました。
これから5月並の気温になるとか・・・
皆さま、お気を付けて、お過ごし下さいませ。
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