ふるさと納税の総合サイト「ふるさとチョイス」を運営する(株)トラストバンクが、昨年11月に15歳~29歳の若者967名を対象に実施した「東京圏の若者の地方に対する意識調査 2024」の結果を公表しています。
調査報告書によれば、地方で暮らすことに「憧れる」と回答した若者は45.6%(「とても憧れる」「まあ憧れる」の計)と、約半数が地方暮らしに興味を持っていることが分かった由。理由は多い順に、①「地方でのスローライフに魅力を感じるから」(49.0%)、②「都会の喧騒から離れたいから」(32.9%)、③「心機一転できそうだから」(29.5%)…とされており、都会生活の疲れが地方への憧れを生んでいる実態が明らかになったということです。
因みに、「理想の田舎暮らしができそうな都道府県」は、北海道、長野県、群馬県が上位を占めているとのこと。確かに、ニセコや軽井沢などの高原のリゾートなどを思い浮かべれば、若者にフィットする暮らしもあるかもしれません。
しかし、地方での暮らしも、いざ本当に始めようと思うとハードルは(それなりに)高いもの。地方に憧れる人に対して「実際に暮らそうと思えない理由」を聞いたところ、①「交通の便」(61.6%)、②「働き先の有無」(37.2%)、③「金銭面」(26.7%)が問題とされており、「憧れている」とはいうものの現実的には「暮らしていけないよ…」というのが本音のところかもしれません。
そもそも、大都市のサラリーマンの家庭に育った人と、地方に生まれ育ってきた人とでは、同じ日本人でも生活の感覚が随分違うもの。長年付き合ってきた彼氏から「仕事を辞めて一緒に田舎暮らしを始めよう」とプロポーズされても、おいそれと承知するわけにはいかないでしょう。
と、いうわけで、今回は日本人の多くが抱いている日本人の生活感覚に関する誤解について。3月4日の経済情報サイト「現代ビジネス」に慶應義塾大学教授で社会学者の小熊英二氏が、『日本人が勘違いしている「驚きの真実」』と題する論考を寄せているので、指摘の一部を小欄に残しておきたいと思います。
同じ日本人でも、(実はお互いに知らないだけで)暮らす環境によって人生への感覚は大きく違うもの。そこでここでは現代日本での生き方を、便宜上「大企業型」「地元型」の二つ類型にわけて考えてみたいと小熊氏は冒頭に綴っています。
「大企業型」と「地元型」…この類型はあくまでモデル(理念型)であるが、ここで言う「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁に雇われ「正社員・終身雇用」の人生をすごす人たちと、その家族のこと。一方、「地元型」とは、地元から離れない生き方で、地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものになると氏は説明しています。
氏によれば、実際にその暮らしを俯瞰してみると、「大企業型」と「地元型」ではどちらも一長一短があるとのこと。例えば「地元型」は、収入は大企業型よりも少なくなりがち。しかし、親から受け継いだ持ち家に住むならローンで家を買う必要はないし、自営業や農業なら「定年」がなくずっと働く人も多い。地域の人、同級生や先輩後輩などの人間関係や、町内会、商店会、農業団体などとの結びつきの中で、安定した生活が営めるということです。
また「地元型」は、経済力では「大企業型」に劣っても政治力がある。行政が地域住民としてまず念頭に置くのは、この類型の人々であ、商店会、自治会、農業団体などを通じて政治的な要求も届きやすいと氏は指摘しています。政治家にとっても、支持基盤として重要なのは選挙区に定住している人々であることは間違いない。なので政治家は、選挙区内のお祭りや冠婚葬祭にせっせと顔を出し、地域に根づいている人と関係を作るということです。
また政治家、特に地方議員は、当人が「地元型」であることが多いと氏は言います。平日の昼間に時間を作れ、地域に地盤を持つ自営業主や団体役員などでないと、政治にはなかなか手を出せない。実際、2019年4月の統一地方選の都道府県議選候補者3062名のうち、自分の代表的経歴を「民間企業勤務」と答えたのは僅かに一割弱にすぎないということです。
一方、それに対し「大企業型」は、地域に足場を失いがちだと氏はしています。まず高校か大学の段階で、地元から離れた場所に移動することが多くなる。さらに就職後は、転勤で1つの地域に長くいなかったり、遠距離通勤で地域には寝に帰るだけだったりしがちとのこと。また、こうしたことで、ここから「大企業型」は定年後の生き方に迷う問題もおきるというのが氏の指摘するところです。
育児では(近隣に子どもを預けられる人間関係がないので)保育所などの公共サービスか、市場の育児サービスに頼りがち。さらに「大企業型」には、ローンで家を買うなど出費も多く、高収入の割には自由になるお金も時間も少ないと氏はしています。
さらに、地域に足場がないので、政治力もない。昼間に選挙区にいなければ、政治家もあまり呼びかけの対象にしない。近隣などから地域の政治情報も入ってこないので、投票率も低くなりがちだということです。
そうなれば、当然この2つの類型は、違った状況を生き、違った不満を持つと考えられると氏はこの論考で指摘しています。
「大企業型」は所得は比較的多いが、「労働時間が長い」「転勤が多い」「保育所が足りない」「政治から疎外されている」といった不満を持ちやすい。一方、「地元型」は、収入はそれほど多くはないが、地域の人間関係が豊かで家族に囲まれて生きていけるし、政治も身近。「満員電車」とか「待機児童」といった問題はないが、過疎化や高齢化、地域に高賃金の職が少ないことなどの長期的な課題を抱えているということです。
さて、こうして様々な違いがある日本人の暮らしですが、メディアや政治が「日本」を論じるとき、念頭に置かれる生き方は、概して「大企業型」であることが多いと氏はこの論考の最後に指摘しています。
例えば、「ウサギ小屋」などと呼ばれ「日本の住宅は狭い」という言説が一般化しているが、『国土交通白書』によれば、日本の持ち家の平均面積はアメリカよりはやや小さいが、ドイツとはほぼ同等で、フランスやイギリスより大きいくらいだと氏は話しています。
日本の住宅が顕著に小さいのは、主として大都市の住宅、特に賃貸住宅に関してのこと。総務省の2013年度の住宅・土地関連調査によると、1住宅当たりの延べ床面積は富山県が152平方メートル、東京都は64平方メートル、大阪府は76平方メートルで、富山と東京では実に2.5倍の差があるということです。
こうした誤解が生まれているのは、「日本」を論じる人々の多くが大都市のメディア関係者で、自分の生き方を念頭に議論しているから。彼らの生活実感から「日本」を語れば、「日本人」は満員電車で通勤し、保育園不足に悩んでいることになる。しかし実際には、それは「日本人」の一部に過ぎないというのが氏の感覚です。
さて、小熊氏が指摘するこうした誤解は、現在の日本では(ある種の決定的な)すれ違いを生み出しているのだろうなと私も感じるところです。
冒頭の調査に戻れば、アンケートで「田舎暮らしに憧れる」と答えた若者は、概して都会で生まれ育った「大企業型」の子弟が多いことでしょう。地元暮らしを続けている者には快適な社会にも、「よそ者」には理解できないしきたりやものの考え方は根強く残っている。地方の出身者は、そう簡単に「地元の人間関係」の中に入り込めないこともよく知っているので、おいそれと(他所の生活に)憧れたりはしないことでしょう。
結局、「どちらが良い」という訳ではありませんが、確かにそこにある障壁や、「分断」とは言わないまでも、その辺りの感覚の隔たりを整理しないことには日本の政治は変わらないだろうなと感じるのですが、果たしていかがでしょうか。