MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯1268 電車の中の迷惑行為

2019年01月09日 | 日記


 全国72社の私鉄が加盟する日本民営鉄道協会では、駅や電車内での迷惑行為について毎年ホームページ上でアンケート調査を行い「駅と電車内の迷惑行為ランキング」を発表しています。

 振り返れば、現行のスタイルでアンケートを始めた今から約10年前、2009年の栄えある第1位は「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」で、2位が「ヘッドホンらの音漏れ」、3位が「座席の座り方」というものでした。

 因みに4位は「携帯電話・スマホの着信音や通話」、5位に「乗降時のマナー」、6位に「社内での化粧」と続いています。

 確かに当時を思い出せば、大声で悪態をついている酔っ払いや行楽帰りのオバサマ達にうんざりしたり、ヘッドホンからシャカシャカ音をダダ漏れさせているヤンキーのお兄ちゃんに閉口したり、足を広げて座っているサラリーマンや荷物を横に置いたおばあちゃんをウザイと思ったりしていたことは事実です。

 さらに言えば、当時は電車の中で大声で電話をかけているサラリーマンや高校生もよく見かけたし、電車の座席で化粧する妙齢の女性もなんとなくみっともなく見えたものでした。

 そしてそれから10年の歳月が過ぎ、日本人は(酔っ払いのサラリーマンもできの悪い高校生も)以前よりずっと「おとなしく」なり、その分元気で騒々しいのはインバウンドで期待される訪日外国人ばかりとなりました。

 ヘッドホンの性能が格段に上がったこともあって(大音響で)シャカシャカさせている若者は今ではもうほとんど見かけませんし、電車の椅子には一人分ごとにくぼみが付いていて真ん中に座ってもお尻が気持ち悪いだけ。足も大きく開いたりできないような(なかなか見事な)デザインに変化しつつあります。

 さらに変化したのは携帯電話の扱い方で、今ではスマホを「電話」として使っているのはガラケー世代のおじいちゃんやおばあちゃんばかり。電車の中の若い世代やサラリーマンは電車に乗り込むなり皆スマホを取り出し、画面を見ながら黙々とSNSやゲームにいそしんでいるのが実情です。

 誰かに連絡したければメールかLINEを使うだろうし、スマホから電話を掛けるという行為自体、よほど急いでいる場合に限られるというのが普通ではないでしょうか。

 そうした中、先日発表された2017年の調査結果を見ると、迷惑行為の順位も(このような時代の変化を受けて)意外に大きく動いていることが判ります。

 もっとも、2009年の1位の「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」は2017年も相変わらずの1位で、2位には10年間で順位を一つ上げ「座席の座り方」がランクインしています。

 そして、2009年の12位から赤丸急上昇したのが「荷物の持ち方・置き方」で、さらに4位には「歩きながらの携帯電話・スマホ操作」が枠外からのジャンプアップを果たしているという状況です。

 公共空間において「話し声がうるさい」とか「座り方が邪魔だ」とかいうのは、(ある意味)時代を超えた普遍性を持っているのでしょう。また、老いも若きもスマホに頼り切っている最近の風潮として「歩きスマホ」は(気が付けば自分もしていたりするほど)本当に普通に見かけるので、(ぶつけられたりぶつかったりと)その危険さは身にしみてわかっているということでしょうか。

 一方、「荷物の持ち方、置き方」がここ来て特に問題視されるようになった背景にはどんなものがあるのでしょうか。

 確かに最近、特に中年より若い世代で出かける際の荷物がやたら大きくなっているような気がします。

 それを実証するデータは見当たらないのですが、パソコンや様々な電子アイテムなどを仕事で持ち歩く人も増えましたし、旅行先にヘアドライヤーらクルクルカーラーやらを持って行く女性も増えていると聞きます。

 男性も化粧ポーチを持つ時代ですから手ぶらの人を探すほうが難しいくらいで、駅のコーンコースでがらがらと大きなキャリーバックを引っ張っているのが海外からの旅行者とは限らない時代となっています。

 さて、今回のアンケートでは、それぞれの迷惑行為の内容について、もう少し突っ込んだ質問を行っています。そこでは、評判の悪い「荷物の持ち方・置き方」で最も迷惑なものとして「背中のリュックサック・ショルダーバック」が55.5%と断トツの1位に挙げられているということです。

 一昔前までは、ビジネスマンの通勤カバンと言えば、手提げのついた皮やビニール製の黒いブリーフケース(バッグ)を相場は決まっていました。

 しかし、最近ではサラリーマンの持ち物が増えて薄いカバンでは入りきらなくなったことに加え、夏場のクールビズの普及や服装のカジュアル化などもあって、(服装に合わせた)ショルダーバッグやリュックサックを常用している人が大勢を占めている状況が見られます。

 また、四角くて持ち手も付いた(いわゆる)ビジネスリュックというものもあるようで、古い世代には(言葉は悪いですが)「あんなもんを背負ってはずかしくないのかな」と、思わず2度見してしまう人などもたまに見かけるところです。

 電車の中で片手でつり革を持ちもう一方の手でスマホを手繰る彼らにとって、両手が空いていることは大変便利なのでしょうが、確かに後ろに立たされた者にはこれほど迷惑なものはありません。

 電車が揺れたりすると背中にガシガシ後ろの人のリュックが当たったりして、思わず少し押し返したりしたくなるのは(きっと)私だけではないでしょう。

 朝の通勤電車の中にはリュックを背負った女子高生などいうのも相当数いて、集団でいる彼女らに「ちょっと邪魔なんだけど」なんて言うのは、昭和生まれの世代にはなかなかハードルが高いものです。

 そもそも、リュクサックの何が頭にくるかと言えば、本人が周囲のことを全く気にかけていないという「無神経さ」というか「悪気のなさ」というか、そういうところにあるような気がします。

 駅頭で「リュックは前に抱えて!」というポスターを見たような気もしますし、朝の満員電車中にはそうしている人もたまに見かけますが、それはそれで(かなり)違和感のある格好です。

 普段持ち歩く「バッグ」といえばそれなりに身近な存在ですが、シェアビジネスやペーパーレスが普及していくこれからの時代、日常的に持ち歩く荷物自体を効率よく減らす努力が必要なのかもしれません。



♯617 品川駅は今日も潮の香りだった

2016年10月06日 | 日記



 ちょっとした用事があって、今日は随分と久しぶりに品川駅に降り立ちました。

 東海道新幹線品川駅の新設に伴う数年前の再開発の際に木造平屋建てだった小さな駅舎も今や近代的な駅ビルへと建て替えられ、夕方の江南口は立ち並ぶ高層ビルから吐き出されたビジネスマンでいっぱいです。

 西日を浴びたペデストリアン・デッキには、この夏の終わりを告げるかのようにかすかに気怠い潮の香りが西日とともに流れ込み、どうやらここが海に近い場所であることを道行く人に告げています。

 そして、この場所に立って、潮の香りとともにはっきりと思い出したのが、東京がオリンピックの開催に湧いていた1964年の夏の品川駅の景色でした。

 JRがまだ国鉄だった頃。さび付いた鉄骨も無骨なプラットホームやコンコースに、駅弁や網に入った冷凍ミカン、お茶などを売るおじさんたちや、「赤帽」の人影が普通にあふれていた時代の話です。

 緑とオレンジに塗り分けられた東海道線や、その頃は「湘南電車」と呼ぶ人も多かった横須賀線。前の年に(ようやく)緑色に塗り替えられたばかりの山手線に、まだこげ茶色だった京浜東北線が集まる品川駅には、(さらに)おもちゃのように真っ赤な京浜急行なども乗り入れていて、朝夕のラッシュ時にはそれは賑やかな、非日常的な空間を作り出していました。

 当時の品川駅は、西側の高輪口と海側の江南口が少し薄暗い地下の長い通路でつながれていて、大雨が降るとよく水につかって通行禁止になっていました。また、普段はそこに、靴磨きや傷痍軍人のおじさんなどが何人も並んで座っていて、あたかも魔界への入り口に来たような不気味な恐ろしさを子供心に感じさせられたものです。

 そして、そんな夏の日の午後。

 第一京浜の向こうに続く高縄手の森を背に、高輪口からひとり(線路の下をいくつもくぐる地下道を通って)はじめて江南口に出た私の目の前に広がっていたのは、バラックのような倉庫や建物が平らに広がる、夕日に照らされた別世界でした。

 駅の正面には品川の埠頭に向かって道が一本まっすぐに伸びており、その先にはかすかに船のマストのようなものも見え隠れしていました。

 駅周辺は、タクシーや港湾工事のダンプが埃をまき散らしながら行き交うばかりで、女、子どもの姿はほとんど見当たりません。

 そこに行き交う(おそらくは港で働いているであろう)屈強な男たちの背中には、ランニングシャツで隠し切れない入れ墨なども見え隠れしていて、この場所が大人の世界であることが子供心にもはっきりわかるような風景でした。

 そして、何よりも記憶に残っているのは、それまで感じたことのないような強い潮の香りです。

 「どうしよう…」 

 駅に向けて風が運んでくる強烈な海の匂いに、なぜだかくらくらした不安な気持ちが不意によみがえります。あれから50年以上の月日が過ぎているというのに、記憶というのは何と不思議なものなのでしょうか。

 自分が齢いを重ねる間に、気が付けば品川の海もまたずいぶんと遠くに離れて行ってしまったようです。

 リニアモーターカーの始発駅となることも決まり、すっかり飼いならされてしまった観のある品川駅の景色を前にして、かすかな潮の香りとともに立ちすくんでいる自分に何故か気が付いてしまった(少しだけ特別な)夕方でありました。


♯257 終身雇用がもたらしたもの

2014年11月21日 | 日記


 人事コンサルティング会社「株式会社Joe's Labo」代表の城繁幸氏が、11月7日の自身のブログにおいて、「専業主婦も終身雇用も割と最近の流行りもの」とのタイトルで、日本の社会や雇用慣行などに関して(面白い)論評を加えています。

 明治期に制定された民法で「解雇は2週間前の通告だけでいつでも可能」となっていることからも明らかなように、もともと日本は雇用の流動性が高い社会だったというのが、この論評における城氏の基本的な認識です。

 確かに、戦前の日本経済は農業人口の割合が高く、明治期の前半まで第一次産業の就業人口は70%を超えていました。また、データからは、戦後の1950年頃まで国内の就業者の実に半数以上が、(基本的に「家」単位で)農林水産業に従事していたことが見てとれます。

 就業形態別の統計を見ても、1950年頃まで「雇用者」として働く労働者は全体の約4割に過ぎず(←それ以前は当然もっと高かった)、一方で自営業主が約3割、家族従業者として働く者が約3割と、戦後の一時期までは就業者の過半が農家や職人、小規模店舗などのいわば「個人事業主」として(ある意味自律的に)労働に従事していたことが分かります。(総務省統計局「労働力調査」)

 城氏によれば、こうした「雇用者」についても、第2次大戦中は国家総動員法や従業員移動防止令等により勝手な転職を禁止したり、抑制したりしなければならなかったほどであり、未整備な労働法制や産業構造の急激な変化とも相まって、日常的に様々な職を転々とする人々が多かったということです。

 さらに氏は、本来、日本は「実力主義」の色濃い社会でもあったとしています。確かに、明治維新の原動力となった志士たちは20~30歳代の若者であり、欧米の新しい考え方や技術、商売の仕方などを取り入れ、成りあがっていった数多くの若者達が、明治、大正の日本社会や経済を引っ張っていったことは論を待ちません。

 昭和の時代に入っても、戦前の緒方竹虎は38歳で朝日新聞社の取締役になっているし、戦後も田中角栄が郵政大臣として初入閣したのは39歳の時だった。つまり、実力があれば大きな組織の中でも相応の評価を受け、抜擢され、トップにまでのし上がれるという環境がつい最近まであったと城氏は指摘しています。

 ところが、高度成長期に入って新しい流れが起こった。日本が実質成長で毎年10%近くも成長し続けていた時代、裁判所は「(どうせ業績が悪くても一時的なものなのだから)企業はよほどのことが無い限り従業員を解雇できない」という判例をどかどか量産し始めた…というのが城氏の見解です。

 城氏は、日本ではこのようにして、戦後の高度成長期になって初めて(後付けで)「終身雇用」というシステムが生み出されたとしています。さらに言うと、人為的に超長期雇用が生み出されたことへのバーターとして、「定年制度」という、単に年齢のみによって雇用者を解雇することができるという(考えようによっては相当一方的な)企業救済の措置が設けられるようになったと説明しています。

 さて、こうして一時的な人員整理に対するハードルが上がった日本企業においても、繁忙期と閑散期がある以上は当然どこかで雇用調整をする必要が生じます。そこで、日本企業では、主に残業時間を使って雇用調整をするようになったと城氏は指摘しています。

 企業は、(もともとの雇用数をセーブしておいて)忙しい時には目一杯残業させ、暇になったら残業時間を減らす手法を採用したということです。雇用を守るためという名目で、労使は青天井で従業員に残業させることを合意した。そしてその結果、(賃金がそれほど高くない)若い労働者が猛烈に働かされる状態が日常化し、そして国際的にも「過労死(karousi)」が日本の名物として知られるようになったというのが、こうした日本固有の状況に対する城氏の見解です。

 さらに城氏は、終身雇用はその他にもいろいろな副産物を生み出しているとしています。

 企業は、雇用を維持するため、(残業ばかりでなく)従業員は辞令一枚でいつでも全国転勤しないといけないとする雇用慣行を作った。東京の本社で余っている人を、空きの出た仙台支社に移す(転勤を迫る)ことで定年までの雇用を守れるようにするということです。

 となると、当然共働きは難しい。夫婦のうちどちらか一方は家庭に入るか、稼ぎ頭の都合に合わせていつでも退職が可能なパート労働で我慢する以外にない。こうして、夫は会社で滅私奉公し、妻は家庭で専業主婦というロールモデルが一般化することとなったというのが城氏の見解です。

 「終身雇用」や「過労死」、「専業主婦」といった現象は、実は日本本来の伝統でも何でもなくて、こうしたことから分かるように割と最近の「流行りもの」に過ぎないというのが、城氏によるこの論評の眼目です。

 城氏はさらに、「新卒一括採用」という日本固有の従業員の採用形態についても、長期雇用を前提に企業が自らの社風にあった社員をじっくり育てるためには「若くてポテンシャルのある(色のついていない)人材をまとめて採る方が合理的」という考え方から来ているものだとしています。

 裏を返せば、就職に当たって企業はポテンシャルと学校名しか見ないので当然大学生は勉強しなくなり、大学の「レジャーランド化」が進むことになる。

 また、社会が成熟しそれまでのような成長が見込めないゼロサム経済に移行すれば、旦那一人の稼ぎでは子供二人育てるのは困難となって出生率の低下を招くなど、終身雇用はいろいろな副産物を生み出していると城氏は指摘しています。

 こうした状況について、城氏は、どれ一つとっても、これから成熟した先進国になる上では取り除かねばならない課題だとこの論評を結論付けています。

 「雇用の保証」が社会の変化への適応や経済の活性化を抑制する方向に機能しているというこのような指摘を、最近良く耳にするようになっています。私たちの暮らしを守るために採用してきた制度であっても、やみくもにそれに拘り、すがり続ければよいというものではないということでしょうか。
 
 「労働市場改革は構造改革の本丸である」とするこの論評における城氏の指摘を、私たちにそうした視点を強く促すものとして読んだところです。


♯250 普遍主義的利益配分と欧州の苦悩

2014年11月07日 | 日記


 先日(11月3日「日本型利益配分の歴史」)に引き続き、今年の7月に日本経済新聞のコラム「やさしい経済学」に連載された、「負担と受益」と題する、財政政策における「負担」と「分配」関する論評について整理します。

 筆者である慶応義塾大学教授の井出英策氏の指摘は、日本の財政の特徴は特定の階層・集団に財政上の利益を個別に分配する「選別主義」にあるということでした。

 一方、所得や性別、年齢で受給者を区別せず、全員にサービスを提供する方法を「普遍主義」と呼ぶそうです。普遍主義を採用すると給付水準が高くなるので、当然ながら国民一人一人の税負担が大きくなります。

 北欧諸国では、税を使って全ての人々に年金の受給権を与えています。イギリスやデンマークでは国民誰もが医療費は原則無料、フランスやドイツでも一律に低い負担に押さえられています。また、介護や育児はもちろん高等教育なども、ヨーロッパを中心に多くの国々で無償化が進んでいるということです。

 高い費用負担に国民による政治的合意を取り付けたこれらヨーロッパ諸国では、「他者を信頼する方が合理的である」という信憑を作り、いわゆる「現物主義」、「無償化」という形で、特定の階層だけでなく全ての層の受益を厚くする普遍主義を実現してきたと、井出氏はこのコラムで説明しています。

 現物給付の普遍主義を進めるメリットは、まずサービスの受給者が不正な受給を行う必要性が低下するところにあると井出氏は言います。国民全員が保障の対象となるため、当り前ではありますが、生活保護のような選別的な現金給付と比べて不正受給をしようとする誘因が低いという指摘です。

 また、富裕層や中間層と低所得者層が政治的に合意しやすいという指摘もあります。全員が受給者になることで、低所得者層へのサービス強化がそのまま自分たちのサービス向上につながるからだということです。

 「普遍主義」を採ることによって政府債務が膨らむのではないかとの心配も勿論ありますが、政府の財政規模の大きさと財政の健全性との間には統計上の関係はないと井出氏は主張しています。それが証拠に、「小さな政府」であるはずの日本やアメリカも大きな財政赤字に苦しんでおり、財政の健全性はあくまで納税者の合意を作りだす政治の力にかかっているというのが、この問題に対する井出氏の認識です。

 井出氏はこのコラムにおいて、日本の社会保障の給付額は、実は「先進国有数」の水準にあるとしています。財政支出のGDP比を国際比較する限り、特に高齢者が主な受取人となる年金と医療に関しては、日本はスェーデンと同レベルの世界でも最高水準にあるということです。

 しかし、実際のところ、スェーデンでは政府が住宅を保障しているほか、養老、介護施設なども極めて低料金で提供されています。日本にはこうした保証はなく、年金額は同一であっても高齢者の経済的負担はスェーデンよりもかなり大きいということが分かります。

 一方、現役世代の求める育児や保育などの家族給付や公的な教育負担などに関しては、日本は先進国中、突出して低い水準にあることが知られています。

 高齢者たちは自分たちが現役世代だった時に十分な教育サービスを受けていません。さらに男性は企業戦士として昼夜を分かたず、家庭をも顧みずに懸命に働き、自分たちが現在の「豊か」な日本を作り上げてきたと考えています。また女性達には、少ない家計をやりくりして貯金をし、家事・育児に専念しながら親の面倒を見て、そして子供を育て上げてきたという自負があります。

 そうした中、頑張ってきた自分たちが不十分な年金に苦しむ一方で、なぜこれだけ豊かな社会に暮らす元気な若者のサービスが拡充されるのか、納得がいかないと言う向きが多いのも道理だと井出氏は言います。そして、このような日本の現状の背景には、各世代が必要とするサービスを、バランスよく増大させながら必要な財源を「増税」により賄ってこなかった政治の責任があるとしています。

 さて、「普遍主義」が一般に受け入れられているヨーロッパにも、ここにきて大きな変化の波が洗っていると井出氏は指摘しています。

 深刻な経済危機に陥ったギリシャやスペイン、イタリアなどは、いずれも日本よりも高い社会保障給付を実現しているとされてきました。しかし、これらの国々では、年金を中心とする現金給付の比重が大きく現物給付が少ないため、ここに来て、日本と同様、階層間、世代間の政治的合意が取り難いといった問題が社会の中で現在化してきているようです。

 高福祉の国として知られるスェーデンでも、新たな火種が浮上していると氏は指摘しています。経済のグローバル化が進む中、同国では90年代半ばから社会保障の抑制基調が貫かれている。現金給付を抑えながらこれを現物給付へと力点を移そうという努力が進められており、支出総額を抑制しつつ、新しい財政ニーズに応えるためのセーフティネットの張り替えが模索されているということです。

 井出氏によれば、最近の研究では、税の軽減よりも給付面における対策の方が、結局、税収を増やしつつ格差を是正できると指摘されているということです。

 低成長を余儀なくされる経済環境の下、何が社会の安定と持続的な発展に繋がるのか。国民全体の利益を明確にし、人々を協調へと促す支出をし、納税への納得感を作りだす戦略が政府に求められているということでしょうか。

 私たちは、様々な国の失敗例を含め社会保障で先を行くヨーロッパから多くのことを学ぶべきだとする井出氏の論評を、このコラムにおいて大変興味深く読んだところです。