MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2654 「同期トップを走る人」の共通点

2024年10月20日 | うんちく・小ネタ

 総合経済情報サイトの「DIAMOND ONLINE」のコラムに、経済コラムニストの大江英樹氏が『サラリーマンが出世競争で「負け犬」でも落ち込まなくていい理由』と題する一文を寄せているのを見かけました。(2022.12.6)

 大江氏はコラムの中で、50歳を過ぎたサラリーマンは「成仏」しないと幸せになれないと説いています。20歳前後で会社へ入ったとして定年まで約40年。部長なり役員なりになれたとしても恐らく在任期間は10年かそこら。なので、50歳を迎えて自分が考える程出世ができていないのなら、そのタイミングで気持ちを切り替えた方が良いというのが氏の提案です。

 人生100年時代、仮に90歳まで生きるとして50歳からだと40年、80歳まででも30年という時間がある。だから、もうそこで気持ちを切り替えて成仏しないと、その先の30~40年を幸せな人生にすることができなくなってしまうと氏はしています。

 氏の言う「成仏」とは、(すなわち)「いつまでも会社での地位や立場や思いに拘泥することなく、気持ちを切り替えて次の人生に臨むということ。30~40年もの人生が残っているだから、次のフェーズに向かって気持ちを切り替え、準備をしていく時間に充てるということです。

 指摘を読んで、「あぁ、確かにそうだな…」と身につまされた反面、サラリーマンにとっての「出世」とは、長い人生の中でそれだけ大きな位置を占めているのだなと、改めて実感させられた次第です。

 一方、だからと言って、組織の中で揉まれながら(いわゆる)「出世」を果たした人が、実際に「偉くなりたい」とか「社長になりたい」とか、ずっと思ってきた人かと言えばそんなこともないでしょう。同じように頑張ってきた人の中でも、結果として「偉くなる人と」「それほどでもない人」はいる。では、その違いは一体どこにあるのでしょうか。

 こうした問いに答えるかのように、9月3日の同サイト(「DIAMOND ONLINE」)が、ライターとして知られる上阪徹氏の近著『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方(ダイヤモンド社)』の一部を紹介していたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 記事のタイトルはズバリ、『「同期トップで出世した人」の意外すぎる2つの共通点』というもの。まわりの同期がどんどん出世していく中、自分だけついていけていない。自分はいつになったら成果を出せるのか?…徐々に開いていく実績の差に、「自分はこのままこうして(ここで)働いていていいのだろうか」と悩んでいるのは貴方だけではないと上阪氏は同著に記しています。

 実際、出世している人にはどのような特徴があるのか。上阪氏によれば、氏がいろいろな会社で「同期トップ」を走っている社員にインタビューをしたところ、早くに抜擢される人には大きく二つの共通点があったということです。

 その第一が、「第一志望で入社していない」ということ。意外な共通項だが、「目標を達成できなかった」という焦りや挫折が、結果としてキャリアアップにつながったのではないか氏は(これを)見ています。

 第一志望ではない会社だったからこそ、生まれる気概があったのではないか。長い人生、最初の会社に入ったタイミングは間違ってもゴールなどではない。実はそこがサラリーマン人生のスタートで、勝負は社会に出た後から始まるということでしょう。

 そして、氏が二つ目の共通点として指摘するのが、「若いうちに修羅場を経験していたこと」というものです。

 たとえば、「社内で一番きついチームに配属された」とか、「トラブル続きの現場でバタバタした毎日を送っていたなど」(よくわからないままに)ハードな経験をしているということ。きつい経験を若いうちに体験することで、ギリギリの状況での身の処し方や、共通の経験による社内のつながり、「あの時に比べれば…」といったストレスへの耐性などを身に着けることができたのかもしれません。

 いずれにしても、「第一志望で入社していないこと」と「若いうちに修羅場を経験していたこと」、同期トップで出世する人にこの2つの共通項があったというのは、面白い発見だったと、氏はこの著作で語っています。

 つまりそれは、「ゼロをプラスにしたい」よりも、「マイナスをゼロにしたい」という欲求のほうが案外、目標達成するためのモチベーションとして機能しやすいということ。「うまくいかなかった」「予想外のことが起きた」…そういうトラブルが発生したときに、「なんとかしなきゃ」と全力で動いているうちに、気がついたら思っていたよりも面白い場所にいたというのは、確かによくあることかもしれません。

 実際、人生とは思い通りにいかないもの。「これを達成したい」という目標を立てていても、決めていた通りの水準までスキルアップできなかったり、世の中の風潮に合わなかったりと、コントロールできないことはその都度起きると氏は言います。

 その思い通りにいかない状況を、成功者たちはどう乗りこなしてきたのか。成功した人は皆、事細かに計画を立てそれを着実にクリアしてきたと思われがちだが、それだけが成功のルートではないというのが氏の認識です。

 第一志望ではない会社に入社していたり、思いがけない修羅場に巻き込まれたり、さんざんな目に合っていることもある。それでも、そういう偶然の展開を受け入れ、新しい流れにのってみることも成功への一つの道標になるということです。

 たくさんの成功者から教わったのは、まず「目の前のことにしっかり向き合う」ことの大切さだと氏は綴っています。

 偶然やチャンスに反応し、向かうべき選択を決断できる直感を養っておくこと。「こんなはずじゃなかった」という展開がやってきたとき、「出世する人の条件が、自分のところにもやってきたか」と楽しめるようになりたいと話す上阪氏のアドバイスを、私も興味深く読んだところです。


#2651 バイクはもはや年寄りの乗り物

2024年10月13日 | うんちく・小ネタ

 国内のオートバイメーカーでつくる日本自動車工業会が毎年行っている「二輪車市場動向調査」によると、オートバイ購入者の平均年齢は年々上昇傾向にあり、2023年には(実に)55.5歳に達したということです。

 (同調査によれば)2023年にバイクを新車で購入した人の年代別の割合は、50代が最も多く32.8%、そして60代が2番目に多い29%で、70代以上も11.4%を占めている由。一方、それ以下の(若い)世代では、40代が16.3%、30代が5.8%、20代が3.4%、10代に至っては(僅かに)1.3%という結果だったとされています。

 特に、以前は主要な購買層であった20代、30代は、いずれもこの16年間で3分の1以下にまで落ち込んでいるということであり、ライダーの高齢化が急激に進んでいることが見て取れます

 「年寄りの冷や水」ということもないのでしょうが、こうした状況を要因としてか(警察庁によれば)2023年中に東京都内で起きたバイクの死亡事故件数を年代別で見ると50代が最も多く、次いで40代が多いとのこと。勿論、この年代のライダーが他の年代に比べ比較的多いということもあるのでしょうが、中高年になってからオートバイに復帰した(いわゆる)リターンライダーの増加が影響している可能性も指摘されているところです。

 振り返れば、現在のオートバイ市場で主要顧客となっている(昭和40年(1965年)頃に生まれた)還暦前後のおじ様が青春時代を過ごした1980~1990年代は、空前のオートバイブームだったとされています。確かの当時は、国内オートバイメーカー各社が競ってレーサーレプリカやアメリカンタイプのクルーザー、オフロードバイクなどをラインナップし、二輪市場はそれまでにない活況を呈していました。

 夜の街道を、「暴走族」と呼ばれる若者たちが、我が物顔に走り回っていたのもこの頃のこと。最盛期と言われた1980年11月に警察庁が行った調査では、全国で754グループ、38,902名(の暴走族)が確認されたということです。

 さて、現在の二輪市場を、そうした彼ら世代が支えているのは数字からも明らかです。1980~90年代に(バイクとともに)青春時代を過ごした彼らが仕事や子育てを一段落させ、(自由になるお金や時間ができた今)「リターンライダー」として戻って来る流れが加速しているということでしょうか。

 実際、高速道路のサービスエリアなどで一休みしているツーリングライダーたちを見ても、その多くは白髪交じりのシニア達。20~30代とおぼしき若い人の姿は、ほとんど見当たりません。その大半が少し気合の入った皮つなぎや外国製の高級ヘルメットなどを身に纏い、1970~80年代の旧車をモチーフにした(いわゆる)ネオクラッシック・バイクにさっそうと股がっている姿などを見て、「高齢化社会」の到来を感じているのは私だけではないでしょう。

 さて、こうした状況の中、近年のオートバイ市場を特徴づけているのは、この「ネオクラッシック・バイク」の台頭だとされています。この種のバイクは、(以前はなかなか若者には手が届かなかった)往年の名車を意識したスタイルを、現代の工業技術で再現したもの。2010年代後半頃から世界的なブームとなり、それに伴い、各社さまざまなモデルを販売するようになりました。

 因みに、現在の国産大型オートバイで最も人気がある(日本のネオクラ市場を事実上牽引している)と言われるモデルが、カワサキの「Z900RS」というバイクです。2017年の発売以来、(401cc以上の)大型二輪クラスでダントツの売れ行きを誇っており、(注文してもなかなか手に入らない)「キング・オブ・ネオクラッシク」、またの名を「おじさんホイホイ」と呼ばれるほどの人気を誇っています。

 このモデルは、現代の技術に裏打ちされた「ストリートファイター」のZ900をベースに、往年の名車「Z1」や「Z2」に似た外観をまとわせたもの。Zシリーズの象徴である「火の玉カラー」などで化粧を施され、もはや気分は「70年代」といった感じです。

 こうして、シニアの心に刺さりまくる新車たちを前に、還暦前後のおじ様たちの心は揺れ動く。本物のクラシックバイクを所有するには、相応の資金と知識が必要になる。しかし、これら「ネオクラ」のバイクであれば、見た目はクラシカルでも中身は現代の技術で固められているため、維持費は安く故障も少ないので安心・安全に乗ることができるというワケです。

 しかし、もとより「オートバイに乗る」という行為は、(今も昔も)体力勝負なところがあるのは言うまでもありません。車などと比べ操縦は身体全体を使わなければならず、生身の体をさらして走るのは、それだけで危険と隣り合わせともいえます。

 一方で、誰でも年齢を重ねれば、体力や筋力だけでなくバランス感覚や反応速度など、あらゆる運動神経が低下していくもの。リターンライダーには(己の経験や体力を過信することなく)運動神経の低下をしっかりと理解し受け止めた上で、慎重にオートバイと向き合うことが求められることでしょう。

 還暦を目前に、目に見えて落ちていく気力や体力。もちろん、「輝いていた青春をもう一度」…その気持ちを大切にするのは素晴らしいことですが、「もう昔のようには若くない」という現実とも、頭のどこかにおいておく必要があるのだろうなと、改めて感じた次第です。


#2607 「盛者必衰の理」とは?

2024年07月10日 | うんちく・小ネタ

 今年のNHKの大河ドラマは、平安時代に著された「源氏物語」の作者とされる紫式部を主人公に戴く『光る君へ』。ラブストーリの名手とされる大石静氏の書下ろし脚本により、これまでの戦記物や英雄列伝とは一味も二味も違った平安絵巻が、日曜日の夜のお茶の間に繰り広げられています。

 画面の中に登場するのは、宮中を中心とした平安貴族の面々の権力争いとラブロマンス。「猟官」という言葉がありますが、一般庶民の人々の生活を置き去りにして(組織の中での)出世を追い求める彼らの姿に、ドラマ「半沢直樹」を重ね合わせた人も多いかもしれません。

 ドラマ「光る君へ」の中で、主人公紫式部の「思い人」役を担うのが、平安中期に摂政関白太政大臣の任に就いた藤原道長。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と歌い、(孫である)後一条天皇の即位により天皇の外祖父として時の権力をその手中に収めた人物として歴史に名を残しています。

 ドラマでは、道長は民衆のために力を尽くした優れた為政者として描かれていますが、その治世が(現代の視点から見て)素晴らしいものであったかと言えばなかなかそうとも言えない様子。時に(言うことを聞かない)天皇に譲位を迫ったりしながら、お上(天皇)の威光をかさに政治を牛耳っていたようです。

 さて、その後平安時代は、藤原氏を中心とした(こうした)貴族政治の腐敗の中で武士の台頭を許し、平氏の隆盛につながっていくわけですが、「奢れるものは久しからず」とはよく言ったもの。その平氏もついには滅び、鎌倉幕府の成立につながっていったのは世の習いといったところでしょうか。

 「盛者必衰」の言葉が示すように、なぜ権力が続くことはないのか。こうした疑問に対し5月23日の経済情報サイト「現代ビジネス」が、慶応義塾大学准教授岩尾俊兵の近著「世界は経営でできている」を抜粋する形で、『なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」』と題する記事を掲載していたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 日本にあまり咲いていない沙羅双樹の花を探して眺めてみなくとも、歴史の教科書を開けば盛者必衰の理は嫌というほど表れている。既存の政権や王朝を滅ぼす原因として、歴史番組や歴史映画は「異民族の侵略」「大災害と飢饉」「内乱と革命」などの悲劇を取り上げがちだが、こうした物語は原因と結果を取り違えているに過ぎないと岩尾氏はこの著書に綴っています。

 異民族が侵略を試みていない時期などないし、災害と飢饉への備えはいつの治世でも必要なこと。内乱と革命を虎視眈々と狙う者など、どの時代にも存在するというのが氏の認識です。

 政権や王朝は常に危機に対峙している。つまり、危機そのものが政権・王朝を滅ぼすと考えるより、それら日常的に直面している危機に対処できないほど落ちぶれたときに、「危機という最後の一押しで滅びる」と考える方が自然だということです。

 政権や王朝を弱体化させる原因は、国家経営の失敗に尽きる。すなわち経営の巧拙こそが歴史を動かすと氏は話しています。

 例えば、アレクサンドロス大王の古代マケドニア、チンギス・カンが統治したモンゴル帝国、近代の列強にいたるまで、大帝国はしばしば世界征服を目的に掲げる。そして、戦争を完遂するため、大帝国は支配地域に重税を課し圧政を敷くということです。

 一方、こうした政治では、「国家を目的とし、国民を手段とする」という逆転現象が起こる。そしてそのために、政権に徐々に綻びが生まれるというのが氏の見解です。

 その理由は、そもそも国家は国民が共同で作り上げた虚構であり、国家自体は究極の目的にはなりえないから。究極の目的になり得るのは「国民一人ひとりの幸せ」のはずで、国家も、政治体制も、政治理念も人間が作った人工物。本来ならば人間を幸せにしない人工物は捨てられるだけのはずだが、人はこのことをいつも忘れてしまい、そのたびに大混乱が起こって歴史に新たな一頁が足されていくということです。

 例えば、歴史の中で何度もどこでも見られる現象として「財政」の問題があると氏は続けます。むしろ財政を国家経営そのものだと思っている人も多く、古今東西どんな国家でも、官吏は増税を大使命だと勘違いしているかのように振る舞うというのが氏の認識です。

 もちろん、彼らは「自分たちの使命は(増税ではなく)財政健全化だ」と堂々と主張するだろう。しかし、財政健全化もまた国家の目的にはなりえない。財政健全化は国民の幸せを実現するための手段のひとつに過ぎないというのが氏の指摘するところです。

 仮に国民を重税で苦しめた挙句に財政健全化に成功したとしても、そんな国を望む国民はいない。そんな国では結局、内乱と革命によって国自体が立ち行かなくなり、当の官吏も含め誰も幸せにならないだろうと氏は説明しています。

 政権が重税を課せば課すほど、一般市民はその税を逃れるための方法を編み出すもの。租税と脱税の知恵比べ合戦は歴史の常であり、結果、増税しても税収が増えることなく、それどころか一般市民は苦しみ、さらに脱税によって新たに権力を得る層が生まれてくるということです。

 世界中どこでも、歴史の中で、租税回避の特権を得るものが必ず台頭してくる。典型的には王の親族だと氏はこの著書に記しています。

 男系王朝において権力者は娘の嫁入りを通じて次期国王の親戚(外戚)になることができる。皇帝の外戚がこうした特権を通じてますます権力を伸ばし、ついには「外戚の影響力を増すために幼齢の帝を立てる」という本末転倒な結果にいたるということです。

 これこそ王や帝に対する侮辱の最たるもの。そのうちに、本来は「人民を幸せにする」という約束を果たすために権限を委任されていたにすぎない政治権力は、まるで「特権階級だけが人民だ」と定義しているかのような行動に出ると氏は言います。

 特権階級の権利・権限は拡大し市民の権利・権限は極限まで縮小される。細かい差はあれ、後漢でも、藤原摂関政治でも、李氏朝鮮でも、ほぼ同様の説明が通用する。世界の歴史は登場人物の名前以外は似たような出来事の繰り返しだということです。

 「奢れる者は久しからず」の言葉はありますが、(例え本人が奢らなくても)歴史というものはそうして繰り返されていくものなのでしょう。平安貴族の昔から、気が付けば権力はその寄って立つところを忘れ、(限られた小さな器の中で)作為と欺瞞によって奪い合うものになってしまうのかもしれません。

 今あるシステムの主導権を握ることに専心し、政治本来の目的を見失った権力者たち。政治とは権力闘争だという意見もあるでしょうが、それこそが権力が(こうして)長続きしない原因なのかもしれないなと、記事を読んで私も改めて感じたところです。


#2603 この地球の生い立ち

2024年06月30日 | うんちく・小ネタ

 半世紀近い時間を超えて、今も日本のアニメファンに人気の「機動戦士ガンダム」シリーズは、地球資源の枯渇によって人類が宇宙に移住した時代を舞台にした物語です。

 機動戦士ガンダムシリーズで描かれた宇宙移民時代の背景には、科学技術と資本主義の過剰な拡大による資源の枯渇や地球環境の破壊があります。人類は人口が増えすぎて地球に住めなくなり、一部は宇宙移民としてスペースコロニー(宇宙ステーション)に移住。そして、国家や民族を超えたスペースノイドとしての宇宙移民者と地球居住者の間には、価値観も含めた様々な対立構造が生まれ、戦いが始まるというストーリーです。

 46億年に及ぶその歴史の中で、人類が、生命をはぐくみ人支えてくれてきたこの地球を離れる日は本当にやって来るのか。人間たちは地球の重力圏を離れた環境で生きていくことができるのか。そんなことを考えていると、そもそも私たちはこの母なる地球の成り立ちをあまりに知らなすぎることに驚かされます。

 そんな折、5月21日の総合情報サイト「DIAMOND ONLINE」において、米国の生化学者デイヴィッド・ベイカー氏の話題の近著『早回し全歴史─宇宙誕生から今の世界まで一気にわかる』の一部が紹介されていたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。(「地球と月が「同じ1つの星」だった時の大破局とは?」2024.5.21)

 太陽系の初期に生まれた30個ほどの原始惑星は、黙示録さながらの衝突を繰り返しながらどんどん大きくなっていった。例えば45億年前の地球の軌道上では、地球程度の大きさの惑星と火星程度の大きさの惑星の二つが衝突し、地球サイズの惑星が衝突で飛び散った破片をほとんど吸収して現在の地球が生まれたと、ベイカー氏は説明しています。またその際、破片の1.2%は吸収されずに地球の軌道上に流れ出し、そこで結合して現在の月になったということです。

 そのころの地球は、衝突時の火で非常に高温だったうえに、多くの小惑星との核戦争並みの衝突が続いていたと氏はしています。地球が軌道上の物質を吸収しつづけた結果、その重さがもたらす圧力によって地球のコア(核)が発熱。45億年前の地球は何千度もの高温で燃えて泡立つゼラチン状の球の状態だったということです。

 一方、そんな液状に溶融した岩石の球の中を物質は比較的自由に移動し、鉄や金のような重い元素の多くは灼熱のスープを通り抜けて地球のコアにまで沈んでいったと氏は話しています。

 鉄は地球のコアに半径3400キロメートルの球を作って地球に磁場を生み出した。一方、地殻に残った重い元素はごくわずかで、人間が金を探してもなかなか見つからないのはそうした理由から。もしも誰かがどろどろのマントルやコアにまで潜ることができれば、地表を覆い尽くすほどの金を見つけることができるだろうということです。

 他方、軽い元素は表面に浮き上がり、ケイ素(地球の化学組成の大部分を占める)、アルミニウム、ナトリウム、マグネシウムによって地殻が形成されたと氏はしています。そして、さらに軽い炭素や酸素、水素といった元素は、気体として放出され、初期の地球の大気を形成したということです。

 しかし、こうした長期間にわたる地殻の冷却は、「後期隕石重爆撃期」と呼ばれる時期に小惑星が頻繁に衝突したことで、たびたび中断された(ようだ)と氏は指摘しています。溶けたスープの表面で地殻が固まりかけると、新たな衝突が薄い層を破壊し、地球はそのつど熱くなった。ようやく40億年前頃に衝突が終わって地殻が凝固したということです。

 熱く煮えたぎった元素の海が何度も何度もかき回され、溶岩地獄の中で地球に固有の複雑な構造が形成された。当初の惑星が持っていた組み合わせ可能な化学物質はおよそ250種類だったものが、最終的に分化が完了するころには1500種類以上の化学物質が存在していたと氏は話しています。

 さて、なるほどこうした特別の環境の中で、今の地球は生まれ育ってきたということなのでしょう。地球の表面は冷えて固まっているけれど、薄い地殻を一枚めくれば今でもマントルは熱く煮えたぎっている。もしも人類の科学技術が飛躍的に発展すれば、(地球を見捨てコロニー生活などをするまでもなく)エネルギー問題などはあっという間に解決してしまうのだろうなと思わないでもありません。


#2593 努力ほど効率の悪いものはない

2024年06月10日 | うんちく・小ネタ

 「燃え尽き症候群(バーンアウト・シンドローム)」という言葉があるそうです。燃え尽き症候群とは、それまで目標に対してモチベーションを高く保っていた人が突然やる気を失ってしまう症状のこととのこと。努力に見合った結果が出なかった際、もしくは目標を達成したことで打ち込めるものを失った際などに、「朝起きられない」「仕事に行けない」など鬱病の症状が現れたりするということです。

 燃え尽き症候群の原因には、一つのことに集中して頑張りすぎることが挙げられる由。長い人生、時には「頑張る」ことも必要でしょうが、体力・精神力の限界を超えて身体に負担をかけてしまうと、その反動で(いわゆる)「心が折れる」状態が生まれることもあるのでしょう。

 思えば、子どものころから「頑張ってね…」と言われることの多い日本人。本当はつらくても我慢して、知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでいる人も多いはずです。しかし、それでもやらなければいけない時もある。では、そんな際にはどうしたら効率的に成果を上げられるのか。

 5月7日の総合情報サイト「現代ビジネス」に、元オックスフォード大学シニア研究員の脳電気生理学者下村健寿氏が、『「努力」ほど効率の悪いものはない…「やりたくない仕事」でも最短時間でこなす「意外な方法」』と題する一文を寄せていたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 仕事のパフォーマンスを大きく左右するのが「モチベーション」。脳内にある「快感回路」を刺激することにより、モチベーションは高まると下村氏はこの記事で語っています。

 人が何かを成し遂げるときにカギとなる物質がある。それが「ドーパミン」だと氏はこの論考で指摘しています。脳の奥深くにある「腹側被蓋野」で作られるドーパミンが、神経回路を通じて脳の「側坐核」と呼ばれる部位に放出される。これが脳に「欲求が満たされた」という感覚、つまり快感を生じさせ、満足感を得ることができるということです。

 腹側被蓋野と側坐核を結ぶ神経回路のことを(通称)「快感回路」と呼ぶが、それは脳がハイパフォーマンスを発揮しているのが、この「快感回路」が活性化されているときだから。氏によれば、人が趣味に没頭しているとき、充実した仕事をこなしているときなどは、必ず(この回路を通じて)「充実感」という快感を感じているということです。

 結局のところ、人はこの「快感」を求めて一生懸命物事に取り組んでいるに過ぎない。そして、一生懸命に取り組んでいるとき、脳はハイパフォーマンスを発揮していると氏は言います。

 つまり、脳のパフォーマンスを向上させるためには、物事を楽しむ、すなわち快感を感じる必要があるということ。この日本では、子供のころから「我慢や努力とは尊いものだ」と教えられてきた人も多いと思うが、脳のやる気を引き出して何かを成し遂げるには、「努力」は最も効率の悪い方法だというのがこの論考で氏の指摘するところです。

 (敢えて意識しなければいけないような)努力とは、「いやなことを我慢して頑張る」ことでしょう。しかし、いやなことをいくら頑張って続けても、残念ながらドーパミンは出てこないと氏は話しています。

 一方、好きでやっている人はやればやるほどドーパミンが脳内で分泌され、快感回路が刺激されてずっとやり続けることができる。つまり、脳のやる気を引き出すためには、目標とすることを「好き」になる、またはその目標を達成することで快感が得られる方法を見つける必要があるということです。

 しかし、社会生活を送るうえでは、自分にとって「いやなこと」「気が進まないこと」でもしなくてはならない時がある。面倒な仕事、ストレスのたまる作業もあるでしょう。そうした、大事な仕事だと判ってはいても、モチベーションを持って楽しんでやることが難しい作業をどのように効率的にこなしたらよいか。

 このような場合、ドーパミンを介した快感回路を刺激することが効果的だと氏はここで提案しています。気が進まない仕事をするとき、まずは求められている成果の1.2倍の成果を生むことを目標にする。求められている成果よりも、さらにクオリティの高いものを自分の意志で目指すことから始めてはどうかという提案です。

 これによって、嫌な仕事に対してハードルの高い目標が設定されるため、仕事に対する感情面に意識が向かず、「目標を達成すること」に意識が向くと氏は言います。人は、目標を達成することができれば充実感や達成感が得られることを知っている。このことにより快感回路が刺激されるので、いやな仕事も「ゲーム」として進めることができるということです。

 しかも、その結果は、嫌々やった場合よりも質(クオリティ)の高いものになる。仕事術と時間術を考えてやりたくないことを効率的に進めるためには、ワンランク高い目標をあえて自分で設定すること。そして、その目標を達成することで感じる充実感(快感)を報酬にして、一気に進めるのが効果的だということです。

 さて、確かに「どうせならここをもっと良くしよう」とか、「折角この勉強をするなら資格を取ってやろう」とか(「どうせ勉強するなら東大に入ってやろう」とか)、いろんな欲が出てくると俄然やる気になったりするのはよくある話。義務だと思って仕方なくやるのと、自分にプラスになると思って戦略的に望むのでは、同じ作業でもずいぶんやる気もが違ってくることでしょう。

 思えば、部下や子どもをやる気にさせるのも同じこと。やる気スイッチのきっかけが能動的な目標設定の中にあることを、私も記事から改めて感じさせられたところです。


#2587 MT車のメリット

2024年05月25日 | うんちく・小ネタ

 私の車はアニュアル車。イマドキ何でそんなものに乗っているのかとよく聞かれますが、慣れ親しんでしまったものは仕方がない。マニュアル車(以下MT車)にはMT車なりの乗り味もあって、なかなか離れがたいのが現実です。

 特に私は、オートマ車のアクセルから足を離している間の(ニュートラルレンジに入っているような)頼りない状態が大嫌い。街中を走っていても、パワーをかけているのかエンジンブレーキをかけているのか「どちらかにしろよ!」言いたくなるのは、元オートバイ乗りの性のようなものかもしれません。

 とはいえ、先日のようにGWの高速道路で大渋滞にはまったりすると、隣の車線の自動運転と思しき高級車やオートマSUVが羨ましくなるのもまた事実。クラッチを踏む左足がかったるくなってくるのをさすりながら、己れの意固地さを呪ったりしています。

 欧州車の一部を除いて、今ではほとんど見かけなくなったMT車。今後、乗用車のEV化がさらに進めば、トランスミッションすら要らない時代が(そう遠くない将来)確実にやってくることでしょう。

 そんな折、私のようなこだわりのドライバーにも朗報が。4月30日の自動車情報サイト「ベストカーWeb」に、『運転は「ちょいムズ」のほうがいい!? 安全運転には3ペダルマニュアル車のほうがいいってホント!?』と題する記事が掲載されていたので、この機会に紹介しておきたいと思います。

 国内を走るクルマの実に98%がAT車であるといわれる現在、新型車ではマニュアルミッションのモデルを探すことすら難しい。スポーティな走りや燃費面でのメリットがあるといわれていたMT車だが、技術的な進化によってそうしたポイントですら、今やAT車に軍配があがるケースも多くなったと記事は話しています。

 もはやAT車と比べてMT車にはメリットはないのか…とMT車好きの人は落胆するかもしれないが、実はMT車にはもうひとつ、AT車と比較して大きなメリットがあるというのが記事の指摘するところです。

 それは、AT車と比べてMT車のほうが事故を起こす確率が低く、安全性が高いとされていること。実際、2000年に鳥取環境大学・情報システム学科の調査においてAT車とMT車の事故率を比較した結果、全てにおいてAT車のほうが高く、「右左折時」や「出会い頭の衝突」、「追突」では、AT車はMT車と比較してほぼ2倍という高い事故率を記録していると記事はしています。

 高度な安全装備が備わる現代のクルマでは少々事情は変わってくるかもしれないが、ここで言う「MT車の安全性の面でアドバンテージ」とは、具体的にはどんな点なのか。

 例えば、最近は社会問題ともなっているアクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走事故。高齢者ならずとも、誰もがその加害者になる可能性があるが、(記事によれば)MT車ではその踏み間違いによる急発進が、構造上起こりづらいということです。

 確かにAT車は、ブレーキペダルから足を離し、アクセルを踏み込むだけで走り出すことができます。しかし一方のMT車は、一度クラッチペダルを踏んだうえで、アクセルペダルで徐々にエンジンの回転数を上げながらクラッチペダルを戻して駆動をつなげなくては走り出すことができません。

 こうして、かなり複雑な手順を踏む必要があるMT車では、意図しない急発進をした場合でも、エンストやクラッチペダルを踏み込むことで、AT車のような暴走を防ぐことができると記事は説明しています。

 最近では、意図しない急発進を防ぐ「誤発進抑制機能」を備えるAT車も増えてきているが、(全ての車に搭載されているわけではないため)構造的に踏み間違いが起きにくいMT車は、安全面での安心感はより高いということです。

 さらにMT車は、エンジンブレーキを使用しやすいことから長い下り坂が続く峠道などでの減速を含めたスピードコントロールがしやすく、フットブレーキの踏みすぎによって発生する「フェード現象」や「ペーパーロック現象」を防ぐことができるのも大きな利点だと記事は言います。ブレーキのトラブルは即事故につながる。それだけに、これもMT車の安全面でのメリットと考えていいということです。

 加えて、(これは私も前々から感じていたことですが)運転時の操作や負担が少ないAT車では、運転に余裕があるぶん、ほかのことに気を取られることも多くなるというのが記事の認識です。

 テレビを見たり、スマホを操作しながらのいわゆる「ながら運転」ができるのも、操作に余裕があればこそ。わき見をしたり眠気が起こったりと、運転をするための手順が少ないAT車では、そのぶん注意力が散漫になって事故につながる可能性もあると記事は指摘しています。

 MT車を運転するには手数が必要で、ほかのことに気をとられる余裕が少ない。「余裕がない運転」というと何だか危険なイメージがあるが、MT車はほかのことに惑わされることなく、運転に集中ができる環境にあるということです。

 AT車しか乗ったことがないという人からすると、「MT車の運転は難しい」と敬遠してしまうかもしれないが、ひとつ間違えば周りの人を傷つける可能性があるクルマの運転は、少々面倒で難しいくらいの方が緊張感を持って臨めるのかもしれないと記事はしています。

 データによれば、令和3年中に運転免許を取得した人のうち、AT限定で取得した人は70%を超えている由。確かにこの数字を見る限り、MT車はやはり「昭和の遺物」、MTを操る技術も日本人の間から失われていくのかもしれません。

 それだけに、「クルマを操る楽しさを感じられる」という感覚的な部分だけで語られがちなMT車の魅力について、安全性という面でもAT車と比較してメリットがあるという点をぜひ忘れないでいてほしいと話す記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2583 ネガティブなのも悪いことばかりじゃない

2024年05月16日 | うんちく・小ネタ

 「困難に出会っても前向きに受け止めよう」「ネガティブな私にさようなら」…ソーシャルメディアに並ぶそんな見出しに辟易としている御仁も、日本には(もしかしたら)多いかもしれません。

 誰にでも(物事がうまくいかず)嫌になったり不安になったりする状況は訪れるはず。そんな時、周囲から掛けられるのがこんな言葉ばかりだったら、「大きなお世話だ」と言ってやりたくもなるでしょう。

 このちっぽけな島国日本で生まれ、狭い人間関係の中で「人様に迷惑をかけないように」と育てられてきた私たち。そうした中で、まっすぐ前を向き自由にポジティブに生きていくには、(それなりに)恵まれた環境が必要なような気もします。

 実際、周囲を明るくするポジティブ思考が何よりも重要だと説く人は多いけれど、「自己肯定感が高くなければ幸せになれない」というのでは、それ自体ずいぶんネガティブな発想だなという気がしないでもありません。

 そんなことを漠然と考えていた折、「主婦の暮らしの情報サイト」を標榜する『シュフーズ』(4月19日)に「悪いことだけではない?『ネガティブな性格の人』における5つのメリット」と題する記事が掲載されているのを見つけたので、参考までに内容を小欄に残しておきたいと思います。

 最近では良くないイメージを持たれがちなネガティブな性格。しかし、(嫌われがちな)ネガティブ思考も、実は全てが悪い方向に働くわけではないと記事は指摘しています。 それでは、ネガティブな性格には一体どのようなメリットがあるというのか?その一つに、ネガティブ思考の人は危機管理能力や察知能力が高いことが挙げられると記事は説明しています。

 ネガティブな人は、不安や恐怖といった感情が優勢なので、周囲をよく観察している。当然、周囲の人間関係の変化を敏感に察知しやすく、派閥の存在や危険人物をかぎ分け、自分がどうすべきなのかを見極めて行動するよう心がけているということです。

 彼ら・彼女らは、内輪もめなどに巻き込まれそうなど、自分の身に不利益が降りかかりそうなときは、いち早く気が付き対処し始める。周囲の人との距離感も保ちやすい環境を整えていることが多いので、ごたごたに巻き込まれず軽やかに危機を回避できることが多いというのが記事の指摘するところです。

 ネガティブな性格の第二のメリットは、いつでも最悪の事態を想定しているので、意外と打たれ強いところにあると記事は指摘しています。ネガティブな人は、常に最悪の事態を予想しながら行動している。そのため、本当に最悪の事態が起きても想定内なので冷静に起きたことを認め、冷静さと打たれ強さを維持できるということです。

 そして3つめのメリット。それはネガティブな人は慎重に物事を進める点にあると記事はしています。

 ネガティブな人は周囲の人に対しての警戒心が強く、誰かを頼り切って作業や仕事を進めようとはしない。(言い換えれば)自分で慎重に丁寧に物事を進めていくので、想定外のミスが起きにくい面を持っているということです。

 そして、4つ目のメリットとして、記事はネガティブな人は基本的に疑り深く、そのため騙されにくいことを挙げています。

 なかなか心を許さない疑い深い性格は、人と打ち解けにくい側面がある一方で、初対面の人やかかわりが薄い人を丸ごと信用することはほとんどない。相手が信頼できる人だと確信するまでに時間がかかることが多いため、薄っぺらなウソにはだまされないというのが記事の見解です。

 そして、最後にもう一つ。「自分を鼓舞して成長するパワーを持っている」というのが、ネガティブな性格の人が持つ基本的な長所だと記事は話しています。

 ネガティブな人は自己肯定感が低く、自分が周囲の人よりも劣っていると思いがち。だからこそ、常に向上心を持って仕事に取り組む姿勢を持てるというのが記事の認識です。

 彼や彼女らは、周囲の人に迷惑をかけるわけにはいかないとがむしゃらに仕事に取り組む。人に迷惑をかけないよう惜しみなく努力を重ね、自分を鼓舞して成長するパワーは持っているということです。

 さて、以上の説明のとおり、ネガティブな性格だからと言って、決して自らを卑下する必要はないと記事はしています。そして、そこに必要なのは、自分のネガティブな性格をポジティブに捉えることのようです。

 最後に記事は、ネガティブな性格をうまく生かすコツをいくつかアドバイスしています。

 例えば、自分がネガティブであることを自覚し、自分自身を追い詰めないようにすることや、ストレスをため込まないよう(気分転換となる)趣味などを持っておくこと。さらには、自分の状況を客観視する目を持つことなどです。

 ネガティブな性格や思考回路は、絶対にポジティブ変換できるようになるべきではないと記事は最後に指摘しています。まずは、ネガティブな自分を受け止めて知ること。そのうえで、特徴を活かした仕事の取り組み方などができると話す記事の指摘を私も共感をもって読んだところです。


#2582 宇宙に始まりや果てがあるとしたら

2024年05月14日 | うんちく・小ネタ

 5月に入り、太陽の表面で起きる大規模な爆発現象「太陽フレア」の発生により、世界的な規模で広範囲に「オーロラ」とみられる現象が観測されていると各メディアが報じています。

 この日本でも、北海道に加え本州でも赤い夜空の撮影報告が相次ぐなど、その確認情報は枚挙にいとまがありません。一方で、フレアから生じた電磁波によって通信障害が起きる恐れも指摘されており、情報通信研究機構などにより十分な注意が呼びかけられています。

 テレビやネットなどでも各地で確認されたオーロラの映像が日々公開されており、見られやすい場所には毎夜天文マニアが押しかけている由。こうした情報に、遠い宇宙の出来事に(柄にもなく)思いを馳せている人も多いかもしれません。

 さて、一体、私たちの生きるこの宇宙とはどういうものなのか。そのそも、この宇宙はいつどのように始まり、そしてそこには「果て」があるのか。子供の時分、誰もが一度はそんな疑問を親や先生に投げかけたりしたことがあることでしょう。

 実際20世紀初頭まで、天文学の専門家も含めほとんどの人々が宇宙は定常的なものだと考えていたとされています。「宇宙には始まりがある」とする天文学者は皆無であり、宇宙の膨張を発見したとされるエドウィン・ハッブルも、一般相対性理論を確立させたアインシュタインですら、「宇宙に始まりがあった」という考えには否定的だったということです。

 そうした考え方を覆すことになった「ビッグバン理論」は、1922年にソ連の天文学者アレクサンドル・フリードマンが膨張する宇宙のモデルを発表したことに始まります。1927年にはベルギーのジョルジュ・ルメートルが、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基き「宇宙は原始的原子 (primeval atom) の爆発から始まった」という仮説を提唱。次いで1929年、前述のハッブルが、銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっており、その速度が地球から各銀河までの距離に比例していることを発見したことで、「宇宙は膨張している」(かもしれない)という可能性が驚きとともに認知されるようになったということです。

 Wikipediaによれば、「Big Bang」とは、(宇宙が非常に高温高密度の状態から始まり、それが大きく膨張することによって低温低密度になったとする)ビッグバン理論における、最初の爆発的膨張を指す言葉。それは今から138.2億年前の出来事とされ、以来宇宙はどんどん膨張を続けていると考えられています。

 確かに、我々が観測できる宇宙空間が毎日毎日膨張しているとしたら、そこにはそうした動きが始まった「場所」と「時間」と「きっかけ」があったはず。それを何かの「爆発」とみるのは、最もわかりやすい推論と言えるでしょう。

 そこで気になるのは、それではこの宇宙が始まる前のこと。そこには一体何があったのか。爆発によって今の宇宙が生まれたとしたら、「その前」の状態はどんなだったかという部分です。

 そればかりではありません。宇宙が今も膨張し続けているとすれば、それではどこに膨張しているのか。膨張するためには「その先」の空間があるはずで、宇宙の果ての向こう側は一体どんなところかというところも気になるところです。

 さて、こうした(わかったようでよくわからない)問題に関し、5月14日の総合情報サイト「DIAMOND ONLINE」が、デイヴィッド・ベイカー氏の著書『早回し全歴史 宇宙誕生から今の世界まで一気にわかる』の一部を紹介していたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。(「ビッグバン以前には何があった?という謎への答えとは?」2024.5.14)

 「ビッグバン以前」に関する疑問への答えとしてそこに記されているのは、「ビッグバン以前には宇宙は存在しなかった」というもの。空間はビッグバン後に生まれたもので、ビッグバン以前は何かが動けるような空間はなく、何らかの変化が生じるような場もなかったと記事は言います。

 変化がなければ何も起こらず、従って時間として計られる意味あるものは何も存在しなかった。もう少し簡単に言えば、要するにビッグバン以前に(我々が把握できるような)「空間」というものはなく、変化もなく動いたり形を変えたりするものもなく、もちろんそこには「時間」もなかったということです。

 なので、もしもビッグバン以前に何かが「存在」していたとすれば、それは(我々が知る)宇宙の基本法則では理解できない異質なふるまいをする何かであるはずだと記事は説明しています。そこには、原因があって結果があるという順序も、過去・現在・未来という時の流れもない。よって、私たちの宇宙(の歴史)はビッグバンから始まったと言えるということです。

 なるほど、時間とか空間とか物質とかいった(今の世界を形作っている)「決まりごと」というか「システム」自体がビッグバンとともに始まり、今もすごい勢いでその範囲を広げているということ。なので、もしも宇宙の果てまで行きつけば、そこから先には空間や時間は存在しない(つまり、そこはまさに「宇宙の果て」)ということなのでしょう。

 「ビッグバン以前」を気にする人は多いが、ビッグバン以前には「時間」自体が存在していない。したがってビッグバン「以前」は(そもそも)存在しないと記事はしています。ビッグバンの前にも何かがあったという考えは、子どもが父親と母親を引き合わせたと考えるようなもので論理的に不可能だと話す記事の解説を、私も興味深く読んだところです。


#2579 生き残るための優先順位

2024年05月05日 | うんちく・小ネタ

 ネットを使ったオンラインゲームの世界では、(とくにヨーロッパを中心に)ホームレスとして無法都市を生き抜くサバイバルをテーマとするRPG(ロールプレイングゲーム)の分野が一定の人気を保っているのだそうです。

 広く知られているのが、チェコのゲーム企業Perun Creativeが公開しているサバイバルRPGの「Hobo: Tough Life」というもの。(正直、私はやったことありませんが)2年ほど前に日本語版もリリースされていて、価格は2570円(税込)で誰でも参加できるということです。

 本作の設定は,冷戦の終結により共産党政権が崩壊し,政治的混乱から回復しつつあるヨーロッパのPraslavという架空の都市。新しい社会経済情勢に適応できずにホームレスとなったプレイヤーは、ホームレスとして厳しい日常において命をつないでいかなければなりません。

 生き抜いていくためには、食事や体調管理に加え、気候への対応や住処(シェルター)の確保などが求められ、食事ひとつとってもゴミ箱漁りから始めなければならないとのこと。ドラム缶に火を焚いて暖を取り、理不尽な暴力に耐え,行き交う人に施しを求めたり,犯罪行為に手を染めたりしながら物資を調達し,シェルター(住処)での生活環境を整えていくということです。

 命さえ明日に繋いでいければ、(とりあえずは)なんとかなる。ゲームのような状況ばかりでなく、毎日テレビの画像を通してウクライナでの戦場の毎日やガザでの難民生活を見ていると、今、ここにある逆境を生き抜くことの重要さというのがよくわかります。

 と、いうことで、4月19日の情報サイト「日刊SPA!」に『知らないと死ぬ!人間が生きるために「水、食事よりも必要」な最優先事項とは』と題する記事が掲載されていたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。

人間が生存するために必要な要素を優先順に並べたものを「セイクレッドオーダー」という。危機的状況に陥ったときに死なないためには、生存するための優先順位を知っておき生存計画を立てることだと記事は解説しています。

 まず確保しなければならないのは(当然ながら)「空気」で、これがないと3分で命を落とす。通常の環境では空気を心配することは少ないが、火災などが起きればそういう状況も十分あり得るということです。

 空気に次ぐ2つ目は、「体温」とのこと。命を落とすまでの時間の目安は3時間ほどで、夏でも濡れた状態で風にあたると急激に体温を失ってしまう。実際、アウトドアでの死亡の原因のほとんどは低体温症によるものだと記事はしています。

 そして優先順位の3つ目は「水」です。人間が水を飲まずに生きられる時間はおよそ72時間。それまでに何らかの方法で飲料水を得なければならないと記事は説明しています。

 ちなみに、優先順位の4つ目は「火」、さらに(素人が考えがちな)「食」は5番手だと記事はしています。

 火が4番手に入るのは意外かもしれないが、調理をする熱や明かり(安心感)となる光が得られる火は、人にとってとても重要なもの。一方、人間は食料がなくても3週間から30日は生き延びることができるで、「食」は優先順位としてはそのあとに位置づけられるということです。

 さて、取り敢えずの問題として、緊急事態で優先するべきは「獲得する」ことよりも「保持する」ことだと記事は指摘しています。

 これは体温も同じで、焚き火などで体を温めることを考える前に、自分の体温を逃さないことを考えるべき。因みに体温を逃さない3カ条は、①濡れない、②風に当たらない、③冷たいものに触れないで、そのために必要なのが衣服の重ね着「ウェアリング」の技術だというのが記事の認識です。

  焚き火ができるアウトドアなら、シェルターと寝袋などの装備があれば、屋外でも快適に夜を過ごすことができる。しかし、災害時に十分な装備もない状態で寒い夜を過ごすのはとてもつらいはずだと記事は言います。

 発汗や風よけを考えながら、重ね着などで衣類の内側に空気の層を作ること。装備があり、状況が許すのであればむろん横になりたいが、そうすると体と地面が触れる面積が広がり体温がどんどん逃げていってしまう。体温を保持するためには、できるだけ地面に触れる面積を小さく、つまり座った状態でいられることも重要だということです。

 いずれにしても、災害が発生したばかりで未知の危険がある状態だとすれば、ぐっすり眠ること難しい。そうした中で可能な限り体力と体温を温存し、明日に命をつなげていく工夫が大切だと話す記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2578 思い出の旧き良きホンダ車たち

2024年05月02日 | うんちく・小ネタ

 「主婦と生活社」の男性向け情報サイト『LEON』に、自動車ジャーナリストの岡崎宏司(おかざき・こうじ)氏が「岡崎宏司の車備忘録」と題する連載を行っています。

 11月19日のお題は『ホンダの熱かった日々。N360、1300、バモス……カッコ良くて面白いクルマが次々誕生した!』というもの。1970年代のホンダは、私自身の記憶の中でもかなり個性的で魅力的な車を数多く発表していた印象があり、記事を懐かしく、そして楽しく読ませてもらったところです。

 「エスロク」や「エスハチ」などの軽量スポーツカーでクルマ好きをワクワクさせてくれたホンダ。そして、次に世に送り出した軽乗用車もまた、多くのクルマ好きを痺れさせるものだったと岡崎氏は記事に綴っています。

 そう、ホンダは、1967年に初の軽乗用車「N360」をデビューさせたが、これがまた驚くようなクルマだった。庶民の日々の足とはいえ、「走りに賭けるホンダの熱い想い」は、結果的に「元気よく、楽しく走る!」方へと、より力を注ぐことになったというのが氏の思うところです。

 31ps/8500 rpmの最高出力を引き出す強制空冷4サイクル2気筒エンジンは、気持ちよく9000rpm辺りまで回るまるでバイクのようなエンジンだった。それもそのはず、これはドリームCB450のエンジンをベースにしているもので、同時代の軽エンジンの主流であった2サイクルが20ps台前半の出力だったのに対し、N360のパワーは突出していたというのが氏の記憶です。

 それに、初期型ではオートバイの構造に近いノンシンクロの4速ドグミッションを採用していたのも(マニアックで)楽しかったとのこと。回転合わせのためのアクセル操作も案外簡単にでき、時々ガリッといわせたりはしても、大概の人は大過なく運転できたということです。

 9000rpmまで回るエンジンと4速ギアボックス。もちろん回せば気持ちいいが、ふつうの人がふつうの乗り方をしても、ストレスのないフレキシビリティも兼ね備えていたと氏は言います。この車を「初めての自家用車」として購入した若者も多かったはず。実際、N360はデビュー後数カ月で、軽自動車の販売台数首位を記録し、「安価で、使いやすくて、楽しくて、カッコいい」といった多くの魅力で、黎明期の日本のモータリゼーションを強力に牽引したということです。

 私も、20代前半の時分、知り合いのN360やバイト先のアクティ(軽トラ)をよく運転していましたが、ホンダの高回転型しかも粘り強いエンジンはスズキやダイハツの2サイクルよりもずっと運転しやすかったのを今でもよく覚えています。

 さて、3年後の1970年には、そんなN360をベースにしたスペシャルティカー「Z360」がデビュー。これはいわば、N360の2ドア クーペ版で、斜めにカットされ、太く黒い枠のガラスハッチをもつルックスは個性的で印象的だったと氏は話しています。デビューの翌年に追加された「GS」は、36psのエンジン、ドグミッションの5速MT、前輪ディスクブレーキを採用した、カッコよさと走りの楽しさを併せ持ったものだったということです。

 そして、Z360より少し早い1969年に送り出されたFFの「ホンダ 1300」も、時代を先取りした強烈な個性の持ち主だったと氏は(さらに)振り返っています。

 オーソドックスなデザインの4ドア セダンと流麗なスタイルの2ドア クーペがあったが、最大の特徴はそのエンジンにあった。「DDAC=一体式二重空冷」と名付けられたエンジンは、世界初にして世界最後のエンジンで、ホンダらしいアイデアと個性、そして強力なパワーを持っていたと氏はしています。オールアルミ製の1298cc 4気筒のエンジンはドライサンプ機構を持ち、上位のスポーツモデルはオートバイ並みの4キャブレター仕様。115ps/7500rpmの出力は、当時の1.8〜2.0ℓ並みだったということです。

 パワフルでスムース、エンジン単体としては非常に魅力的だったが、難点はエンジンの仕組みが複雑で、重くて、高コストだったこと。FWDだったこともあり、とくに前輪荷重の大きさがもたらす、ハンドリング面でのマイナスは大きかったと氏は言います。アンダーステアは強く、迂闊にアクセルを戻すと強烈なタックインに見舞われる。そんな癖を上手くコントロールしてワインディングをいかに速く走らせるか、仲間内で競ったりしたことなども記憶に残っているということです。

 実は、このホンダ1300は、私にとっても思い出深い車の一台です。新しもの好きの父親が1970年にこのクーペを新車で購入。家族で大阪万博などに出かけたのは子どもの頃の良い思いです。この車の個性的なスタイルにほれ込んだ父はその後もこの1300を10年以上乗り続けましたが、最後の方はオーバーヒートやエンジンの不調に随分苦しめられていたようです。

 ホンダ 1300 は決して成功作とは言えない。いや、間違いなく失敗作だと岡崎氏も記事に記しています。確かに、弱点欠点はいくつも挙げられた。でも、不思議なことに「妙に惹かれる、妙に気になる!?」クルマだったことは間違いないというのが氏の見解です。

 一方、同時期、1970年にデビューした「バモスホンダ」も楽しかったと、氏は次に振り返ります。定員2名と4名の2種があったが、基本フルオープンで幌は座席部分のみと「フルホロ」が用意された。ドアはなく、転落防止用のガードパイプが設けられているだけ。車体前面にマウントされたスペアタイヤは「衝突時のショック吸収」との説明はともかく、ルックス面での魅力を大きく引き上げていたということです。

 バモスのシンプルさは、ストレートにカッコよさに繋がっていた。その魅力は50年以上経った今でも旧さを感じさせず、これほど理屈抜きでカッコいい車は今でも見当たらないだろうというのが氏の見解です。

 そして、ワクワク時代のホンダを締めくくるのは、何と言ってもシビックだろうと氏は話しています。同車は、1972年に登場したコンパクトHB。現在のSUVにも通じるようなシンプルでバランスのいいデザインは世界的にも拍手で迎えられ、ホンダ1300の失敗で窮地に立たされたホンダの救世主になったと氏は指摘しています。もちろん、(デザインとともに)成功の牽引役を果たしたのがCVCCエンジンで、厳しい排気ガス規制「マスキー法」を、後処理装置なしでクリアした世界初のエンジンとして、自動車史氏に残る存在となったということです。

 第4次中東戦争に端を発する第1次オイルショック。その影響で、燃費のいいコンパクトカーの世界的需要は一気に高まったが、CVCCシビックのデビューは、そのタイミングにもピタリと合ったと氏はしています。

 そんな時代背景もあって、CVCCシビックは世界的な大ヒット車になった。中型車や大型車に乗っていた人たちからの乗り換えも少なくなく、(米国を中心に)コンパクトでクリーンなイメージのシビックに乗っていると、「インテリに見られる」といった知的側面も人気を後押ししたとされるということです。

 さて、栃木県にある「モビリティリゾートもてぎ」に、ホンダ創立50年を記念して開館した「ホンダコレクションホール」という施設があります。ホンダが生み出してきた歴史ある車たちが所狭しと並び、車やオートバイ好きであれば丸一日を十分に楽しんで過ごせる空間となっています。

 かつては浜松の町工場のひとつにすぎなかったホンダも、時代と共に様々な変貌を遂げっていったことがよく分かります。現在では、押しも押されもしない世界企業となったホンダですが、たまには、クルマ好きはもちろん、そうでない人たちをもワクワクさせながら、4輪メーカーへの基盤を着々と固めていった歴史を振り返るのも悪くないと話す岡崎氏の視線を、私も興味深く受け止めたところです。


#2571 「ドリトス理論」を考える

2024年04月14日 | うんちく・小ネタ

 スーパーマーケットやコンビニの棚で、自らの存在感を主張するスナック菓子の袋たち。ポテトチップスやポップコーンの袋が並ぶ中、特に(日本離れした)ラテン系のパッケージで食欲を煽るのが、トウモロコシを原料とする「ドリトス」と言えるでしょう。

 ドリトスは、世界最大のスナック菓子メーカーであるフリトレーが、1966年にアメリカで発売を開始。現在では世界55ヶ国で販売されている、(いわゆる)トルティーヤチップスの代表選手です。

 製法は、コーンをすり潰して薄くのばした生地をオーブンで焼いてから油で揚げるとのこと。パリっとした独特の食感と香ばしさが特徴で、ディップなどを用意すれば、ちょっとしたパーティなどに出しても恥ずかしくないおつまみにも生まれ変わります。

 以前は都内の高級スーパーなどでしかお目にかかれない(輸入)スナックでしたが、1987年にカルビーの商標で知られるジャパンフリトレーが国内販売を開始して以降一般家庭にも次第に浸透し、最近では(以前はかなり大きかった)袋も小さくなって気軽に手を伸ばせる存在として認知されるようになっています。

 ポテトチップスよりも少し硬い独特の歯ごたえが病みつきになるドリトス。個人的には、インパクトのある赤い袋のメキシカンタコス味が好みですが、撮りためたビデオなどを見ながら夜中にビールと共に一袋を開けたりすると、「やっちまったぜ…」という不健康な罪悪感に襲われるのも事実です。

 次に買うときは、もう少しソフトな「タコス味」にしようかな…などと考えていた折、2月25日の総合情報サイト「Forbes JAPAN」に、ニューヨーク市立大学教授のBruce Y. Lee氏が、『不健全なモノや人に依存してしまうのはなぜ? ネットで話題の「ドリトス理論」を考える』と題する論考を寄せているのを見かけたので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。

 SNSへの依存やろくでもない彼氏と縁を切れない状況と、人気のトルティーヤチップス「ドリトス」との間には、一見何の関係もなさそうに見える。しかし、最近TikTokで拡散した「ドリトス理論」に関する投稿動画は、こうした不健全な関係性について(改めて)考えさせてくれるものだと、リー氏はこの論考に綴っています。

 氏によれば、(現時点で)9万2600件以上の「いいね」を集めているこの動画では、アカウント主の女性が、ドリトスをはじめとするチップス系スナックの魅力を次のように説明しているとのこと。

 「ポテトチップスって食べだすと止まらなくなるよね。それは、その体験のピークが味わっているさ中に起こるから。食べた後じゃなくてね」。そして(続けて)「体験が終わってしまえば、そこには何も残らない」と断言しているということです。

 たしかに、ポテトチップスを一袋むさぼり食べた後に、空になった袋をしげしげと見つめて「食べられて本当によかった。これで社会的地位やキャリア、健康にもよい影響があるだろう。魂もレベルアップするはずだ。最高じゃないか!」と思うことは、まずないとリー氏は言います。

 薄いチップスを1枚、また1枚と噛み砕く際には、(確かに)つかの間の喜びを味わえたかもしれない。しかし一度胃袋に入ってしまえば、頭に浮かぶのは「あれ? あの味はどこに行っちゃったんだろう。次に食べるスナックの袋はどこにあったっけ?」といようなうこと(だけ)だというのが氏の認識です。

 本格的な食事なら、食後に満足感が残る。だが、満足感を得られないチップス系スナックの場合、次から次へと手元の袋が空になるまで口に運び続けてしまいかねないということです。

 勿論こうしたスナックは栄養満点とは言いがたく、一気食いは塩分とカロリーの過剰摂取という不健康な習慣につながる。甘い菓子や炭酸飲料、アルコール飲料などでも同様だと氏は話しています。

 しかも、この現象は飲食に限らず、依存性のあるさまざまな行動にも当てはまる。たとえば、デートや交際のパターンがそれ。新しいパートナーとの初セックスがたまらないという人もいれば、自分のためにならなくてもドーパミンが瞬時にどばっと出るような相手や状況に引きつけられる人もいる。ドラマチックに乱高下する関係性に心揺さぶられるという人もいるというのが氏の見解です。

 こうした絶え間ない「もっと欲しい」という衝動が、交際相手をとっかえひっかえしたり、波乱に満ちた恋愛関係にはまったりする原因となっている可能性がある。氏によれば、安定していて一貫性があり、究極的に高い満足感を得られるパートナーではなく、不適切な相手との付き合いを求めてしまうのもそのせいかもしれないということです。

 そして、おそらくソーシャルメディアにも、(こうした)同じ「依存を引き起こすリスクがあるのだろうと氏は指摘しています。

 たしかに、投稿の中には琴線に触れるものがある。だが、一過性の感情以上の何かが心に残るような投稿がどれだけあるだろう。携帯端末を置いてトイレに行ったり、寝たり、家族と団らんしたりする気になれるほどの満足感をもたらす投稿は、そんなにあるような気はしない。結果、満たされない心を抱え、SNSから得られる一時の感動を求めて、スマートフォンの画面を延々とスクロールし続ける羽目になるということです。

 こうした「ドリトス理論」は、依存のメカニズムの一要素のみを取り上げたにすぎない。何かに依存したり、悪い習慣をやめられなかったりする要因は、他にもいろいろ考えられるからだと氏は言います。

 しかし、この「理論」は、自分の行動を新たな視点で振りかえるのに役立つ。それは(何であれ)「ドリトスを一袋食べ尽くす」ような状況に陥りつつあるときには、自問してみる必要があるということ。それは、「これが全部終わった後に、自分はどう感じるだろう?」というもので、その答えが「それほどよい気分じゃなさそうだ」だった場合は、やめておくのが得策かもしれないというのが、氏がこの論考で示した結論です。

 夜中に、しょっぱいドリトスを一袋完食し、手に就いた赤いスパイスを舐めながら強い後悔を感じたことがあるのは(恐らく)私だけではないでしょう。

 実際、あの「背徳感」がまた「たまらない…」と感じる「M感」も分からないではありませんが、できることなら(ずるずると)繰り返したくはないものだと、氏の指摘を読んで私も改めて考えたところです。


#2534 コーラを飲むと骨が溶ける?

2024年01月27日 | うんちく・小ネタ

 先日、新作のスイーツをゲットしようとコンビニを訪れた際、サッカークラブの帰り道でしょうか、たまたまやってきていた母子のこんな会話を耳にしました。それは…

少年:「お母さん、ボク、コーラがいい。」

母親:「コーラはダメよ、骨が溶けるから…サイダーにしなさい。」

少年:「ダッサ、骨なんて溶けるはずないじゃん。コーラじゃなきゃいらない。」

というもの。

 そう言えば子供の頃、そのほかの飲み物に比べ結構値段の高かった(くびれた薄緑色のガラス瓶に入った)コカ・コーラは、背伸びがちな少年たちの憧れでした。「スカッと爽やか!」と、海辺でサングラスなどをかけたお兄さんやお姉さんが飲み干すテレビCMなどもあり、「大人の飲み物」として駄菓子屋などでも別格の存在だった記憶があります。

 そして、言われてみれば、当時の親たちも(なぜだか)子どもにコーラを飲ませたがらなかった。母親にねだったりしても、やはり返って来るのは「コーラを飲むと骨が溶ける」というものだったことを、かなり久しぶりに思い出した次第です。

 半世紀の時を超えて、母親たちの間で語り継がれてきた「コーラを飲むと骨が溶ける」という話。当然、子どもに「買い食い」をさせないための母親の知恵、よくある都市伝説だとばかり考えていたのですが、どうやらそうでもないようです。

  11月23日の総合情報サイト「PRESIDENT ONLINE」に東京農業大学名誉教授で医学博士の田中越郎氏が『コーラを飲むと歯が溶けるは科学的に正しい…砂糖たっぷりのコーラが腐らないゾッとする理由』と題する一文を寄せていたので、参考までにその概要を残しておきたいと思います。

 世界的に非常にたくさん飲まれているコーラ類。しかしその成分は、単純な炭酸水とはまったく異なった飲み物だと田中氏はこの論考に記しています。コーラには、医学的にはまったくオススメできない、特に非常に困った点が4つあるというのがこの論考における田中氏の見解です。

 一つ目は「大量の糖が加えてある」ということ。コーラの最大の元凶は糖。しかも、糖のなかでもタチの悪い異性化糖(とうもろこしデンプンを分解してつくった果糖とブドウ糖)が大量に使われていると氏は説明しています。

 世界の貧困層の子どもたちに肥満児が多い原因のひとつにコーラの飲み過ぎ、つまり異性化糖の摂り過ぎが挙げられる。特に、途上国の子供を取り込むためのコーラ業界の戦略はえげつないほどで、10年後は肥満者がもっと増えているだろうと田中氏は予測しています。

 二つ目は、「強い酸が加えてある」ということ。炭酸飲料は普通酸性だが、炭酸水のそれは(pHおよそ4~5と)極めて弱いものだと氏はしています。一方、「コカ・コーラ」のpHは2~3とかなり強い酸性を示している。これは、「ウィルキンソン」など一般的な炭酸水の約100倍の強さで、腐敗防止、つまり殺菌の目的で加えられたリン酸やクエン酸によるものだということです。

 リン酸やクエン酸は蒸発しないため、気が抜けたコーラでもpHは3以下のまま。このためコーラは開栓して1週間放置しても、腐敗が進むことはないと氏は話しています。しかしそこには問題もある。コーラはこのように酸性度が極めて強いので、飲んだあとにその一部が少しでも口腔内に残っていると、その強い酸により歯を痛めるというのが氏の指摘するところです。

 そして、これが「コーラを飲むと骨が溶ける」という都市伝説発生の原因だろうと氏はしています。実際のところ骨は溶けないけれど、歯は溶ける。ということで、氏によれば、コーラを飲んだあとは歯を守るため、口を丁寧にゆすぐよう心がけるのが賢明だということです。

 そして三つ目の困った点は、「成分や添加物が明らかにされていない」ところだと氏は話しています。非公開ということは、何が入っているかがわからないということ。コカ・コーラの秘密主義は筋金入りで、製作者とも言えるエイサ・キャンドラーは1901年の裁判で「『コカ・コーラ』にコカインは含まれているか」という質問に対し、答えなかったとされているそうです。

 因みに、「コカ・コーラ」のリン酸含有量は非公開だが、「ペプシコーラ」(日本での販売会社はサントリー)のリン酸含有量はホームページで公表されている。氏によれば、隠蔽体質の多国籍企業と、正直に公開している日本企業との差がこんなところにも現れているのだろうということです。

 さて、四つ目に当たる最後の問題点として、田中氏は「子どものころから常飲していると『コーラ中毒』になること」を挙げています。

 食べ物の嗜好は18歳くらいまでに完成すると言われている。従って、18歳くらいまでコーラを常飲していたら、コーラが好物となり、一生飲み続けることになると氏は話しています。

 実際、氏の知人(欧米人)の中には、「コーヒーブレイク」ならぬ「コーラブレイク」を定期的にとっている人が大勢いるとのこと。幸い日本では、お茶やミネラルウォーターの牙城があるせいか、コーラのシェアはそれほど伸びていないが、コーラ類は飲まないで済めば飲まないに越したことがない飲み物だということです。

 さて、それでもコーラが飲みたくなることがあるかもしれません。そうした時はどうすればいいか。

 コーラ類は最初のひと口、もしくは最初の一杯がさわやかなのであり、惰性でペットボトル1本を全部飲むのは好ましくないというのが氏の意見です。従って解決策は、コップに取り分けて飲むということ。冷たいと舌の甘みの感度が低下するので、あまり冷やし過ぎないほうがよい。低カロリーを強調している商品もあるものの「カロリーゼロ」の商品でも25キロカロリー弱はあり、完全にゼロではないことに注意する必要があるということです。

 さらに言えば、砂糖の代わりに使われているのは人工甘味料。大人は多少摂取しても構わないが、やはり子どもには飲ませないほうが無難とのこと。私自身、コカ・コーラの営業妨害をするつもりはさらさらありませんが、コンビニのお母さんは(そして私のお袋も)正しかったということでしょうか。

 都市伝説に聞こえるようなお母さんの忠告にも、一度は真剣に耳を傾ける必要があるということでしょうか。もしも子どものことを大切に思うならば、コーラへの嗜好は育てないほうが幸せな人生を歩めると思うとこの一文を結ぶ田中氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2533 エナジードリンクはなぜ効くのか?

2024年01月25日 | うんちく・小ネタ

 先日、テレビのインタビューで、岩手県内にお住いの大正2年(1913年)生まれの久保田イチさん(110歳)が「長寿の秘訣は?」と聞かれ、「これまで生きてこられたのはリポビタンDのおかげ。今はリポビタンのおかげで元気になりました」と答えているのを聞いて、思わず笑ってしまいました。

 実際、リポビタンDは息子さんが毎回箱で50本くらい届けくれているものだとか。イチさんはそのリポビタンDを毎日欠かさず1、2本、それも一気に飲むのではなくて、日中にちびちびと長い時間をかけて飲んでいるのだそうです。

 「ファイト一発!」のリポDが本当に効いているのかどうかはわかりませんが、我々の世代にとっても親しみのあるリポビタンやオロナミン、ユンケル、リゲインなどの栄養ドリンクを口にすると、なんか疲労回復に役立っているような気がするのは事実です。それでは現代の若者たちも、こうした飲み物から元気をもらっているのでしょうか?

 株式会社RCCOO(東京都渋谷区)が運営するリサーチサービス『サークルアップ』が今年の9月、Z世代に対し「エナジードリンク」に関する調査を行っています。これによると、(いわゆる)エナジードリンクを「一日に1回以上飲む」と答えた若者は回答者全体のわずかに1%。以下、一週間に数回が6%、2~3週間に1回程度が8%、1カ月に1回程度が26%で、「ほとんど飲まない」との回答が全体の過半(58.5%)を占めたということです。

 コンビニによく並んでいるエナジードリンクと言えば「若者の飲み物」というイメージが強いですが、調査結果からはまだまだそれほど一般化していないことが見て取れます。なお、この調査において「エネジードリンクの好きな銘柄」を聞いたところでは、MONSTER ENERGYが34.7%とトップで、以下、「好きなものはない」が27.1%、Red Bullが21.8%、リアルゴールドが8.9%、デカビタが7.6%という結果だったそうです。

 自分自身ほとんどエナジードリンク系のものを口にしないので正直よくわかりませんが、(とは言え)黒いのやら青いのやら、あれだけコンビニの棚にたくさん並んでいるところを見ると、日常的に親しんでいるヘビーユーザーがそれなりにいるということなのでしょう。

 欲物による健康被害の危険性を知らせる横浜市のホームページによると、エナジードリンクの摂取には習慣性が生まれる可能性があるとのこと。依存状態が進行するとドリンクでは十分な効果が得られなくなり、市販のカフェイン錠剤や別の覚醒作用のある市販薬を多量に服用してしまうこともあるとされています。

 また、飲むのをやめても、身体からカフェイン(依存対象)がなくなった際に、離脱症状として、睡眠障害や精神不安、疲労感などの(過眠、イライラ、集中困難など)を起こす場合などもあるようです。

 さて、こうした話を聞いていると、コーラなどの炭酸飲料なども含め結構危険な香りがしてくるのですが、それでも(それだからこそ?)、あのほのかに甘酸っぱい口当たりやシュワっとした爽快な喉越しが恋しくなるのも(「スカッと爽やか」で育った)昭和の世代だからということでしょうか。

 東京農業大学名誉教授で医学博士の田中越郎氏によれば、イライラしているときに炭酸水を飲むとリラックス感が増し、気分を落ち着かせる効果があるとのことです。(「コーラを飲むと歯が溶けるは科学的に正しい…砂糖たっぷりのコーラが腐らないゾッとする理由」PRESIDENT ONLINE 2023.11.21)

 そのメカニズムははっきりしていないようですが、炭酸水に溶け込んでいた二酸化炭素が胃のなかで発泡して胃を膨らませ、胃の神経を刺激して副交感神経を活発化させるのではないかとのこと。胃の中の二酸化炭素は胃腸で吸収されて血液中に溶け込んだあと、最終的には肺から呼気中に捨てられる。その際、効率よく余計な二酸化炭素を捨てるために呼吸が深くなり、その呼吸運動が副交感神経を活発化させるという影響もあるようです。

 さて、そして次は「栄養ドリンク」の話。疲労回復には栄養ドリンクという人も多いが、その主成分は、①タウリン、②ビタミン、③カフェイン、④その他―に大きくまとまられると田中氏はこの記事で説明しています。

 ①のタウリンは肝臓の機能を助けるもの。お酒を飲んで疲れたときに適しているということです。一方、②のビタミンには代謝を助ける効果が期待できる。肉体的に疲れたときになどには効果があるかもしれないと氏は言います。

 そして、③のカフェインです。興奮剤の一種であるカフェインは精神的に疲れたときに適しているが、これは脳を興奮させて疲労感をゴマかしているだけとも言えると氏はしています。④の「その他」の代表選手は漢方薬や乳酸菌だが、いずれにしろ、1本飲んだからといって疲労が完全消滅することは期待しないほうがいいというのが氏の見解です。

 まあ、どれも「気休め」と言われれば気休めに過ぎない。この手のドリンクの最大の効果は、「効くはずだ」という本人の思い込みだろうというのが氏の指摘するところです。

 例えば、氏が試しに飲んでみた多数の栄養ドリンクの中で、最も効いた感じがしたというのが(ヤクルトが製造販売している)「タフマンスーパー」というドリンク剤だとか。元気が出たような気がしたが、これも「高麗人参1000mg」に加え、多くの人参エキスなどが入っている」というラベルを見たことが思い込みに火を付たからだろうということです。

 「病は気から」というのはよく聞きますが、健康に生きるためにもまずは「気持ちが」大切だということでしょうか。まあ、もしも毎日1本の「リポD」が長寿の秘訣になるのだとすれば、それはそれで安いものだと思わないでもありません。


#2500 哀愁の京浜急行

2023年11月23日 | うんちく・小ネタ

 地域を走る鉄道の風景は、その存在が日常的であるがゆえにその地域のイメージと結びつけられることが多いようです。そういう意味で言えば、東京の品川区から大田区にかけての下町の夕暮れ時、沿道を急ぎ足で家路につく人たちを追い抜いていく京急電車などはまさに絵になる光景と言えるでしょう。

 さらには、蒲田を越えたあたりの多摩川の河川敷に沈む夕日や、川崎から横浜の海岸地域にそびえる京浜工業地帯の夜景など、京急には様々に移りゆく東京湾岸地域の景色がよく似合います。沿線の家屋の軒下ギリギリを結構なスピードで駆け抜ける赤い京浜急行。そう、京急と言えばやはり「赤い電車」のイメージが強いのが特徴です。

 赤と白を基調とした塗装は1953年に初登場し、長らく京急の伝統として受け継がれてきたものとのこと。私が子供の頃などは「サハ280系」と呼ばれるおもちゃのような床が木でできた可愛らしい車両も(大師線を中心に)まだ時折走っていて、「戦後」と呼ばれる時代の郷愁を醸し出していました。

 改めて記せば、京浜急行電鉄(略して「京急」)は東京都港区の泉岳寺駅から京急川崎駅、横浜駅を経て神奈川県横須賀市の浦賀駅を結ぶ56.7kmの鉄道です。1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅(後の六郷橋駅)から川崎大師近くの大師駅(現在の川崎大師駅)間を「大師電気鉄道」として開業し、2018年には創立120周年を迎えた国内でもかなり由緒のある鉄道路線といえるでしょう。

 現在、始発駅となる都営浅草線泉岳寺駅周辺は、隣接する山手線高輪ゲートウェイ駅周辺に行われている再開発事業の真っただ中。札ノ辻交差点に近い1街区から品川駅に繋がる4街区にかけ、泉岳寺駅、高輪ゲートウェイ駅を核に4棟の高層ビルを中心とした近未来的な交流空間が生まれる予定です。

 その泉岳寺駅を出発し横浜・三浦半島方面に向かう快特列車は、500mほどで地上に上がり都心のターミナル駅である品川駅に向かいます。2022年に開業150年を迎えた品川駅。京急電車はここで西に向かう大勢の客を乗せると、羽田空港方面への空港線を分ける京急蒲田駅を経て六郷川橋梁を渡り神奈川県に入っていきます。

 この間の乗り鉄たちのお楽しみは、何と言っても先頭車両。品川駅から八ッ山橋の鉄道橋を大きく車輪をきしませながら曲がっていくダイナミックな車両の動きは他の鉄道では体験できないもの。そして新馬場の駅を過ぎた辺りから続く直線区間に入ると、家並みをくぐる狭い空間を、京浜急行は(その名のとおり)急激に加速していきます。

 さらに線路は高架に上り、赤い電車は京急蒲田駅まで(「これでもか」と言う感じで)ぶっ飛ばします。運転代のスピードメーターは見る見る上がり、時速120kmに届こうというところ。実際、京急電車の子のスピードは首都圏の私鉄の中でも一・二を競う速さだということです。

 京急蒲田駅までジェットコースター並みのスリルを堪能したところで、多摩川を渡ってすぐの場所に位置しているのが京急川崎駅。ここでは大師線が北に分かれ、赤い電車は京急鶴見駅や幕末の「生麦事件」で知られる生麦駅などを経て海岸沿いをさらに西に進みます。

 川崎駅から先、景色は打って変わって親しみやすい古くからの住宅街。たくさんの踏切や小さな駅をやりすごし、間もなく電車は横浜駅に到着します。ここで多くの乗客を降ろした電車は、東京湾沿いに三浦半島の東縁をなぞるように南下。マンションなどの開発が続く上大岡駅や逗子・葉山線に分岐する金沢八景駅、米軍基地のある横須賀中央駅などを経て、線路は終点三崎口駅に向かって伸びています。

 京急蒲田駅の高架化を経て、近年では最高時速120kmの快特が走り「とにかく速い」というイメージが先行する京浜急行。しかし、気分を変えて品川駅で各駅停車に乗り換えると、また違った景色が浮かんでくるから不思議です。

 実はこの京浜急行、優等列車と普通列車の差が首都圏近郊各線で最も大きいことで知られています。確かに京急では、快特と各駅停車は車両の雰囲気からしてかなり違う印象。古い車両が多く編成も短い「普通」(←各駅停車)は塗装もいい感じにくすんでいて、ある意味ほのぼのとした雰囲気を醸し出しています。特に3年ほど前まで走っていた800型などは、がたつくモーター音だけでもそれとわかるのんびりしたものでした。

 その「普通」列車に乗ると、品川から9駅目の梅屋敷(7.2km)まで23〜25分。表定速度(停車時間などを含む地点間の速さ)は実に20kmを下回る17.2kmで、首都圏の通勤電車でも断トツの遅さとされています。一方、「特急」はスイスイと24駅目の横浜(22.2km)まで22分で走り、表定速度は60.5km。同じ時間で行ける距離は3.08倍もの差があるとされています。

 さて、こうして新しさと古さが入り混じった京浜急行は、より庶民的な香りの高い京成線や少しお高く留まった東急の各線、埼玉の田舎っぽさを引きずる西武鉄道や東武鉄道などとはまた違った、独特の味わいを醸し出しているといえるでしょう。

 特に、JRなどで用いられている軌間1.067mの狭軌に対し40cm近くも広い広軌(軌間1435cm)を採用している京急の安定感は抜群で、すれ違うごとに様々な型式の電車がみられることもあって乗り鉄の間では高い評価を受けているということです。

 そう言えば私の周囲でも、そのスピードと運転技術の確かさ、さらには地域密着型の親しみやすさなどから、「首都圏で最も好きな路線は?」と聞かれて胸を張って「京急」と答えるマニアが多い気がします。

 同じ東京23区でも、北部や東部に暮らす人には(羽田空港に行く時くらいしか)あまり乗る機会のない京浜急行は、暑い夏が似合う電車。折からの温暖化で、来年の夏もきっとまた暑い日が続くでしょう。そんな時は是非、冷房のギンギンに効いたかわいい赤い電車の先頭車両に陣取って、三浦半島の海に海水浴にでも出かけてみてはいかがかとお勧めするところです。

 


#2478 女性はなぜ長生きなのか?

2023年10月09日 | うんちく・小ネタ

 「人生100年時代」と言われて久しい昨今、中でも日本は世界で一、二を誇る長寿国とされています。2020年に行われた厚生労働省の調査によれば、女性の平均寿命は87.74歳と世界一。男性も81.64歳で世界2位と、日本の高齢者のタフさは際立っている様子です。

 しかし、そこで気になるのは男女の平均寿命の年齢差が約6歳もあること。長く生きることだけが幸せとは限りませんが、ジェンダー平等が叫ばれるようになったこのご時世に(初老を迎えた男性のひとりとして)何だか不公平な気がしないでもありません。

 実は、女性の寿命が男性より長いのは日本だけではなく世界的な傾向とのこと。WHOが発表した「世界保健統計(2021年)」を見ても、先進国、開発途上国を問わず、ほぼ全ての国で女性の方が長寿だとされています。

 また、女性が男性よりも長生きするようになったのは最近のことではないとのこと。100年以上前の1891年~1898年の資料をみても、平均寿命は男性42.8歳、女性44.3歳だったとのことで、日本でも明治の当初から女性の方が長寿だったことがわかります。

 戦争や事故、犯罪などに巻き込まれるケースが男性の方が多い可能性はあるとしても、総合的な体力や出産などのリスクを考えれば女性だって生きていくのは決して簡単ではないはず。それなのになぜ、女性の方が(こうも明確に)長生きなのか。

 そんな疑問に対し9月4日の経済情報サイト「PRESIDENT Online」が『進化生物学が解き明かした「おばあちゃん仮説」をご存知か』と題し、解剖学者の養老孟司氏と生物学者の小林武彦氏の対談を記録した『老い方、死に方』(PHP新書)の概要を紹介しているので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。

 動物学的には、子どもを産めなくなった時期、つまりメスの閉経を「老化」、それ以降を「老後」としていると小林氏はこの対談で説明しています。そして、その定義で言えば、ヒト以外の哺乳動物で老後があるのはシャチとゴンドウクジラだけ。ヒトとゲノムが99%同じ寿命40~50歳のチンパンジーでも、死ぬ直前まで排卵があって生殖可能なので「老後」という時期はないということです。

 ではなぜヒトの女性は、50歳前後で閉経した後も30年以上生きるのか。進化学の世界では、その理由の一つを「おばあちゃんは若い世代の子育てを手伝うなどの役に立つから」だとしていると小林氏は話しています。

 これをその世界では(親しみを込めて)「おばあちゃん仮説」と呼んでいるとのこと。ヒトの先祖は今で言うところの類人猿のように、体が毛で覆われていた。変異で徐々に体毛を失い今の姿になったが、そのためヒトの赤ちゃんはチンパンジーやゴリラのように母親にしがみついて移動できなくなったと氏は言います。

 赤ちゃんはそれにより、大人に抱っこされ、世話をしてもらわないと生き残れなくなった。これは親からすれば、子育てに大変な時間と労力がかかるようになったことにほかならないということです。

 そこでおばあちゃんの出番がやって来る。(集団生活の中で)閉経後の女性が、子どもの子育てを手伝う、あるいは子どもに代わって孫の世話をするという使命を担う必要が生じた。閉経したからといって人生を終わりにするわけにはいかず、結果、ヒトは老後の人生を生きることになったというのが氏の見解です。

 これはおそらく、男性(「おじいちゃん」)も同じだったろうと氏はしています。生物学的に言えば、「おばあちゃん」や「おじいちゃん」が長生きな家庭が、より子どもを多く残せて選択されたということ。子育ての期間が長くまた、子供に手がかかったからこそ、じいちゃん・ばあちゃんの手と知恵が求められたということでしょう。

 また男女を問わずシニアには、若い世代の子育てを手伝うことに加えて、社会をまとめるという重要なミッションがあったと氏は続けます。

 シニアがこれら2つの役割を果たしたことが、結果的に乳幼児の生存率を上げ、同時に生き延びるのに有利な集団が形成されていった。繁殖能力を失い老化した後も社会の役に立つ人たちのいる集団が生き残り、彼らの子孫としての私たちが存在しているというのが氏の認識です。

 なので、現代人の寿命が(さらに)ここまで延びたのは、シニアが社会に求められて存在しているおかげだと見ることができると小林氏はここで指摘しています。求められているからこそ長生きしている。逆に言えば、人間のシニアには求められている役割をしっかり果たす必要があるということでしょう。

 だから私自身は、年齢で一律に解雇する「定年制」には反対だと氏は話しています。辞めたかったら定年を待たずに辞めて、ほかのやりたいことをやってもいいし、会社に残って働きたい人は仕事を続ければいい。(高齢化が進めば進むほど)定年制の名の下にシニアを排除していくようなシステムはあってはいけないと考えるということです。

 この社会では現在、一生懸命働いているシニアに向かって「老害」と揶揄したり、社会から排除しようとしたりする向きが一部に起こっている。しかし、誰だってやがて年を取るのに、そういう見方はないだろうと氏は言います。

 シニアが社会基盤を整えて、そのうえで若い人が自由にイノベーティブに生きる。そういう2層構造があるからこそ、人間の社会は高い生産性を達成でき、発展していくものではないか。

 若者だけだったら、自分たちが欲望のままに暴走するのを誰も止められず、社会の秩序が乱れてしまうかもしれない。(そんな社会に)いいことはあまりないように思うと話す小林氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。