MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2175 「シン・ウルトラマン」の真(シン)の狙い

2022年06月07日 | 映画

 エヴァンゲリオンシリーズを監修した庵野秀明氏が企画・脚本を担当するということで、かねてから注目されていた映画「シン・ウルトラマン」がいよいよ劇場公開され話題を呼んでいます。

 公開から3日間で9.9億円の興行収入をたたき出したこの作品。これは2016年に公開され社会現象を巻き起こした『シン・ゴジラ』の初日3日間の1.2倍の数字ということで、期待の高さがうかがわれます。

 その後も観客動員数は順調に伸びているようで、6月5日には公開から24日間で200万人を超え、興行収入は31.8億円を突破したとの報道もありました。

 庵野作品についてはひと通りチェックしてきた私も、(たまたま身体の空いていた)5月13日の劇場公開初日に大スクリーンが売りのIMAXシアターに足を運びましたが、その完成度は庵野ファンの期待に沿うものと言ってよいと感じました。

 ネットの反応などを見るかぎり、「シン・ゴジラ」の持っていた重厚さなどを期待する向きには、その軽さやオタクっぽいマニアックさが物足りなく見えたかもしれません。

 しかし、もともと「正規の味方」が宇宙人の侵略から地球を守るといった荒唐無稽な話なのですから、お楽しみはもっと別のところにあると考えるべき。昭和の高度成長期の子どもたちに夢を与えた「ウルトラマン」のオマージュとして、映像の美しさに感心したり、ちょっとしたウィットにニヤリとしたりするのが、この作品の楽しみ方だと心得たところです。

 そんな折、5月28日の東洋経済ONLINEに、ネットメディアを中心に幅広い評論活動を行う(評論家の)スージー鈴木氏が、「シン・ウルトラマン=おっさんホイホイの理由」と題する興味深い解説を寄せいていたので、参考までに小欄で紹介しておきたいと思います。

 長年温められてきた庵野作品として公開前から話題となっていた「シン・ウルトラマン」ですが、同じく、脚本:庵野秀明、監督:樋口真嗣による『シン・ゴジラ』(2016年)のヘビーな仕上がりから、(観に行く前は)重々しい作品になるだろうと少しばかり緊張していたと氏はこの寄稿に記しています。

 しかし、そうした予想も良い意味で裏切られた。途中からは思わず笑ってしまうシーンもチラホラ出てきて、(気が付けば氏は)マスクの下で「おいおい」「マジかよ」「あちゃー」と小声でつぶやきながらスクリーンを観ていたと氏はしています。

 そして、「これは我々、中高年男性が、理屈抜きに楽しめる映画なのではないか」と思い直した。言わば、おっさん世代がいとも簡単に吸引される「おっさんホイホイ」として成立しているのがこの『シン・ウルトラマン』だというのが氏の感想です。

 今回、氏が最も注目した「おっさんホイホイ」性は、作品の持つ喜劇性。皮肉の効いた「コント性」のようなものだと氏は説明しています。

 言い換えれば、「ショートコント『日本のおっさん社会』」といったようなもの。特に後半は、おっさんのパロディ化をおっさんが笑う、極めて優秀な「コント」だったというのが氏の見解です。

 例えば、首相や大臣、官僚など、絶えず集団でウロウロ動いているネクタイ組が、何事も主体的に判断せず、ザラブやメフィラスにいとも簡単に騙されてしまうところ。このあたりは、昭和のサラリーマン喜劇映画によく出てくる、態度は横柄なのに中身がポンコツな上司の姿とダブると氏は言います。

 このメフィラス(山本耕史、好演)がまた最高で、「メフィラス」と書かれた縦書きの名刺を差し出したり、「河岸(かし)を変えよう」という劇的に昭和なセリフを放って、神永(斎藤工)と一緒に浅草の居酒屋で交渉を始めたりと、昭和サラリーマンのパロディのような展開がいよいよ極まる。

 極めつけは、巨大化する浅見(長澤まさみ)で、巨大化したその姿はセクシャルというよりはいたってコミカル。氏にはその様子が、「この映画は笑っていいんだ」という信号のように感じられたということです。

 「私は、この映画は同世代の中高年男性と、酒を飲みながら笑いながら観たい映画だと思った」と、氏はこの寄稿に綴っています。

 「おっさんホイホイ」には、3種類のとりもちが塗られている。それは、①原作への忠実性、③テーマの現代性、③喜劇性(コント性)の3つで、これらが黄金比率で調合された香りは、中高年男性を十分に惹き付ける魅力的なものだというのが氏の見解です。

 映画作品と言っても、自宅において「早送り」で観ることが一般化されつつあるこの時代。あえて映画館で観ようという映画には、必要以上にシリアスかつ大仰なものとなる傾向(そして期待)が生まれているのかもしれないと、氏はこの寄稿の最後に指摘しています。

 当然、作品への評価・批評も硬派で濃厚な論調が主流となる。そうした中、もっとシリアスにもできたはずなのに、なぜ庵野氏はこの作品をこのような「軽い」風味にまとめあげたのか。一方、本来、映画の楽しみ方は、そんな堅苦しいものばかりではないはず。もっと力を抜いて楽しめる、無邪気さがあって良いと私も感じます。

 日本映画を巡る現在の状況に、一石を投じる形で世に出された今回の「シン・ウルトラマン」。それが「期せられた」のものなのか、「期せずして」のものなのかはわかりませんが、何とも世知辛いこの時代、おじさんたちが気楽に笑い楽しめる良作にまとまっているのではないかと、私も(ホイホイ釣られた)一人として改めて感じているところです。

 


#2100 僕は正しく傷つくべきだった

2022年02月28日 | 映画


 2月8日にノミネート作品が発表された第94回米アカデミー賞。3月28日の授賞式を前に、多くの日本人が、作品賞、監督賞、国際長編映画賞などにノミネートされた濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』に注目しています。既にカンヌ国際映画祭脚本賞をはじめとした世界的な映画賞を席巻している観のあるこの作品は、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンゼルスなどの映画批評家協会賞を総なめにするなど、特に米国の映画関係者の評価が高いようです。

 アメリカ映画と言えばハリウッド。エンターテイメント性を有する娯楽大作が人気を集めるこの国で、なぜここまで人々の心をとらえたのか。アカデミー賞と言えば、2020年に非英語作品として初めて作品賞、国際長編映画賞、脚本賞、監督賞を受賞した韓国のポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が思い出されますが、今回、話題の『ドライブ・マイ・カー』はそれとはずいぶん印象の異なる(まさに)「純文学」の肌触りです。

 透明感のある映像と必要最小限の台詞。主人公が過去の記憶と現在との間を行ったり来たりする中で、時間だけが淡々と刻まれていく。語られていくのは(まさに)彼の心の内側の世界であって、依るべきものを見失ってしまった彼が最終的にどこにたどり着くのかは、見る者の感性に委ねられていると言ってもいいでしょう。だからこそ、この作品の主題は一つではなく、上演が終わり灯りがついた映画館で観客一人一人の心の中に残されたものの「それぞれ」だということなのかもしれません。

 実際、ネット上の評価やコメントなどを眺めても、様々な立場の人が様々にこの映画を読み解き、それぞれ興味深い感想を述べています。そうした中、2月18日の「現代ビジネス(on line)」に文芸批評家の杉田俊介氏が「『ドライブ・マイ・カー』が「自分の傷つきに気づきにくい男性」に与えてくれる大切なヒント」と題する論評を寄せているのを目にしました。失った妻への様々な思いを引きずりながら生きていく主人公。その息苦しさのおおもとについて触れている部分があったので、備忘の意味で小欄に内容を残しておきたいと思います。

 「僕は、正しく傷つくべきだった」…主人公の中年男性が作品の終盤に口にする言葉がある。そしてそこには、新しい男性性や男の生き方を摸索していくためのヒントが残されていると、氏はこの論評で指摘しています。

 多くの男性には、自分の心身を蔑ろにしがちな傾向がある。身嗜みや化粧をつねに過剰なほど要求され常に重圧を受けている女性たちに比べ、男たちは、身体をネグレクトすることを特権的に許されてきたと氏はこの論考に綴っています。心身の傷や痛みに配慮せず、黙ったまま耐えられるという「無痛」こそが男らしい…そういった(ある意味)人に無理を強いる「男性性」の規範(縛り)が、そこにはあったということです。

 しかし、男たちにとっても身体や精神の日々の手入れや手当て、メンテナンスが必要な時はある。たとえば、「男らしい理性によって女性的な感情を抑圧し、管理し、コントロールしなければならない」「他人様の前で感情を発露してはいけない」そうした思い込みは危ういものではないかと氏は話しています。

 社会的なタテマエとして要請され、偽装された「男らしさという鎧」の中に、しばしば、傷付いた心が隠されている。そこに必要な手当てを欠いたままにすれば、男たちはそうした「男の傷」を周囲の「女」(妻だったり母だったりする)に癒してもらうことを期待し、あるいは無意識のうちに強要してしまうというのが氏の指摘するところです。

 日々の適切なセルフケアの訓練や練習をしておかないと、セルフネグレクト状態に陥ったり、溜め込まれた感情を暴発させたりして、他者や自分への暴力的な攻撃に転じてしまうこともある。日頃から我慢して我慢して、溜めて溜めて一気に暴力に転嫁する状況を、ある種の「美学」としてとらえる向きもある。しかしこうした爆発が、(時に)本人ばかりでなく周囲をも大きく傷つけるという現実を理解できていない男性は多いということです。

 そうしたときに大切になるのは、日頃の関係の中で、感情や不安を小出しにしたり、部分的にガス抜きできたりするような、浅くも深くもない、そのような他者との関係性なのではないかと、氏はここで指摘しています。男性性を、日常的にこまめにメンテナンスしていく。全てを一気に告白して全面的に受け入れてもらうのではなく、傷の部分的=小出し的なシェアリングが痛みの一部を引き受けていくことが、問題の解決を促す場合も多いということです。

 人前で涙を見せられること。自分の弱さを受け入れられること。「男らしく」我慢なんかせずに、嫌なものは嫌だ、つらいものはつらい、はっきり他者の前で口にできること。自分より弱い立場の人間に感情をぶつけるより前に、自分自身の傷ついた声、内なる感情に繊細に耳をすませられることこそが、柔軟な自分を取り戻すカギになるということでしょう。

 そういう意味で言えば、映画『ドライブ・マイ・カー』」は、傷ついた男たちに(ひとつの)「癒し」を与える作品として、正しく成立していると言えるかもしれません。「マッチョ」であることを強いられ、競争に傷つき疲れたアメリカの男性たちにとって、美しい日本の風景と寄せては引く波のような穏やかな会話が与えるやさしさは、琴線に響くものがあったのでしょう。

 自由に振る舞うことの難しさは人それぞれに違うかもしれません。しかし、時には時間に身を任せカッコ悪く涙を流すことも、(自分を取り戻すためには)避けては通れない道なの(だったの)ではないかと、私も我が身を振り返り改めて感じたところです。

#2088 ドライブ・マイ・カー

2022年02月14日 | 映画


 遅まきながら1月の最終土曜日に、海外でも評価の高い濱口竜介監督がメガホンをとった話題の邦画、「ドライブ・マイ・カー」を映画館のレイトショーで見てきました。原作となった小説は随分前に読んでいたのですが、映画が海外の映画祭などで高く評価されていると聞き、(話題についていくためにも)この機会に見ておいた方がいいかなと(ミーハー心から)重い腰を上げた次第です。

 とはいえ、村上春樹の短編集として2013年に世に出た「女のいない男たち」の中でも、原作となった「ドライブ・マイ・カー」は印象に残る作品だったのは事実です。

 ある日、ひょんなきっかけから主人公である俳優の専属運転手となる若い女性。そして、彼女と過ごす淡々とした時間を触媒のようにして、死んだ妻との精神的な結びつきを取り戻していく主人公。極めて短い作品ではありますが、静かな時間の流れ中で、周囲の人間との触れ合いによって主人公の喪失感が次第に埋められていく様子が、(いわゆる)村上ワールドを愛するファンにはたまらなく感じられることでしょう。

 しかし、そうはいっても50ページにも満たないようなこの短編小説が、約3時間(179分)もの長尺映画になっているというのですから、そのシナリオには様々なオリジナルストーリーが加えられ、原作とは程遠いものになってしまっているのではないか。特に原作には、ストーリー上、大きな盛り上がりを見せる場面などが少ないこともあって、原作の雰囲気がどの程度受け継がれているかについては(原作が気に入っていただけに)少し不安な気持ちも覚えていたところでした。

 さて、そうした中、スクリーンに映し出される3時間の映像を見た後の結論としては、(エンターテイメントというよりも)まずは一つの映像作品としてなかなか良い出来栄えだなと感じました。冬の日本を自動車で移動しながら、過去の様々な時間を静かに振り返る二人。出演者が語る選び抜かれた台詞と丁寧で落ち着いたカメラワークが描き出す登場人物の心の動きや情景は、まさに私たちが大好きな(村上春樹独特の)世界観といえるかもしれません。

 それにしても、これほど静かで(ある意味)派手さのない作品が、世界で評価されているというのは何となく不思議な気もします。すでにカンヌ映画祭での脚本賞や国際映画批評家連盟賞、そしてゴールデングローブ賞の非英語作品賞を受賞し、3月に受賞作品が決まるアカデミー賞では、外国語映画賞、監督賞だけでなく、作品賞、脚色賞の合計4部門にノミネートされているというのですから驚くほかはありません。

 「全米が泣いた!」というような超大作では決してなく、極めて「日本的」に(こじんまりと)まとめられたこの「ドライブ・マイ・カー」が、なぜ世界(特に米国)でこれほどまでに評価されているのか。ワシントン在住のジャーナリストである冷泉彰彦氏は、2月11日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に寄せた「『ドライブ・マイ・カー』に惚れ込むアメリカの映画界」と題するコラムにおいて、その理由を大きく3つ挙げています。

 1つは、丸2年にわたるコロナ禍で、全てのアメリカ人は傷つき、疲れているという現実です。生活の不便や健康への不安、そして親族や知人の罹患や闘病の知らせなどに人々は神経をすり減らしてきた。孤立と分断の狭間で消耗してきた米国人は、日本人が想像するよりもずっと多いと氏はしています。

 そうした中、この『ドライブ・マイ・カー』は、コロナの傷を静かに癒やしてくれる作品となったはず。氏によれば、米国の映画館でも(同じトーンが続く長い作品にも関わらず)途中でギブアップする人はなく、観客たちは本当に静かにスクリーンに見入っていたということです。

 濱口監督の独特のテンポ、時間と空間の心地よい感覚がまず癒しとなった。人物の内面を静かに掘り下げていく描写もまた、忘れてかけていた人間性の回復のように思われたのではないかというのが冷泉氏の指摘するところです。

 理由の2つ目は、トランプ時代に疲れたアメリカ人への癒しとなっているという点です。本作は、「字幕付きの外国語映画」なので、そのファンは知的な階層に限定される。その多くはリベラルの立場に立っている(と思われる)ことから、彼らはトランプ現象に驚き、怒り、そしてトランプ的なるものがアメリカを振り回すことへの絶望と疲労を感じてきたはずだと氏は言います。

 これに対して、この作品は「他者への赦し」「罪障感からの救済」「圧倒的な多文化主義など多様性への讃歌」、そして「演技が国境と言語を超える」という希望のメッセージとして素直に伝わった。よくできた「セラピー」のように、観る者を瞑想の中に包み込んだということです。

 そして、氏が指摘する3つ目は、やっぱりアメリカ人は日本が大好きということだと冷泉氏は話しています。(日本人の自画自賛のように聞こえるかもしれないが)ワシントンに暮らしていてわかるのは、パンデミックで国境が閉鎖されている間にも、ラーメン人気は加速する一方だし、「あつ森」現象に加えて「鬼滅の刃」ブームと、日本文化への「片思い」はそれこそ弾けそうになっているということ。なので、作品に現れる日本の美しい自然や街並みなどは、もうそれだけで「手の届かない憧れの世界」になっているというのが氏の認識です。

 同じアジアでも、どんどんと異なった価値観の方向に進む中国や、「パラサイト」「イカゲーム」など少し息苦しい韓国カルチャーと比較して、この濱口ワールドが見せてくれる「日本の文化における圧倒的な成熟」というのは、やはり「自分達にとって最も親しい異文化」として感じられるはずだということです。

 さて、(因みにですが)この「ドライブ・マイ・カー」というタイトルは、村上ファンなら誰でも気づいているように、往年のビートルズの楽曲に由来するものです。長編小説として有名な「ノルウェーの森」が収録されている1965年のアルバム『ラバー・ソウル』の、最初を飾る曲として知られています。

Baby you can drive my car(ねえ坊や、私の車を運転していいわよ)
Yes I'm gonna be a star(そうよ、私はスターになるの)
Baby you can drive my car(坊やはそんな私の車を運転できるのよ)
And maybe I love you(そしたらあなたのことを好きになるかもしれないし)
…こんな感じでしょうか。

 もちろん「drive my car」はスラングで、性交渉を持つということ。字面を追う限りでは、「ノルウェーの森」とは随分トーンの異なる(少し足りない)お気楽でとぼけた歌詞としか捉えようがありません。しかし、その一言一言を小説や映像として表現された村上作品と重ね合わせてみると、そうした中にも(何とも言えない)深みや哀しみが浮かび上がってくるのが、不思議と言えば不思議な感覚です。

♯1832 いつまでも「おこちゃま」

2021年04月23日 | 映画


 3月8日に劇場公開されたアニメ「エヴァンゲリオン」シリーズの完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、公開初日が月曜日だった関わらずその日の内に興行収入8億円を記録。その後も3月末までに60億円を突破し、早くも前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の最終興収約53億円を超える人気となっています。

 庵野秀明氏監督作品のエヴァ・シリーズに関しては、私もテレビシリーズからずっと見てきた世代の責任として、3月最後の週末の夜に時間を作って品川のIMAXシアターまで足を運びました。

 いわゆる「ネタバレ」になってしまうので多くは語りませんが、今回の『シン・エヴァ』で庵野監督は、自分が引き金となった「サードインパクト」の重大さに押し潰ぶされたシンジが、言葉を失い動けなくなった状態を延々と描き出していきます。

 いつまでも「自我」に固執し、「ほっといてくれよ」と言うだけで自分では何も動こうとしない自意識ばかりが高い駄々っ子のようなその姿に、(おそらくは)観客の多くが、面倒くさい、若しくはうんざりした気分にさせられたことでしょう。

 少年・少女のままの姿で大人になれない「エヴァ・チルドレン」の心の葛藤の根底にあるのは、乗り越えるべき親たちの不在です。例えば、エヴァ・シリーズの「人類補完計画」で描かれたのは、(突き詰めて言えば)ゲンドウに対するシンジの行き場を失ったエディプスコンプレックス以外の何物でもありません。

 母親をめぐって父と精神的に対峙するシンジの幼い自我。しかし、父もまた幼く、父子は互いに向き合おうとしない。煮詰まってしまったその関係に様々な形で第3者が入り込むことで、彼もようやくそうした自意識の呪縛から逃れることができるというストーリーです。

 テレビシリーズから4半世紀たった今でもこうして世代を超えて求め続けられているエヴァンゲリヲンですが、その背景には、現代社会に生きる人々の「大人になれない故の苦悩」(のようなもの)があるのかもしれないと思うところです。

 親たちが強く逞しかった昭和の時代であれば簡単だったかもしれない「親からの卒業」が、気が付けば当たり前ではなくなっているということでしょうか。

 さて、ここで話は少し変わりますが、4月1日の日本経済新聞の連載コラム「ヒットのクスリ」に、若者の「ワサビ離れ」に関する興味深い話が載っていたのでここで紹介しておきたいと思います。(「味は世につれ㊦」2021.4.1)

 回転寿司では既に「さび抜き」提供が当たり前の時代、最近ではスーパーの寿司パックにもワサビは付いていないと記事は話しています。

 スーパーマーケットチェーンのライフコーポレーションによると、それは「すし本来の味を提供するため」だということだが、その背景に「若者のわさび離れ」が影響しているのは間違いないというのが記事の認識です。

 市場全体でも「わさび需要はダウントレンド」(ハウス食品)にあり、やはり若い世代ほどその利用は落ちている。「香辛料などの中で好きなもの」というTBSの総合嗜好調査によれば、ワサビを好む割合は60~70代では40%台、50代は39%と辛子などと肩を並べるが、30~40代では20%台後半と急激に落ちこみ、20代は21%、10代ではわずか15%にまでなるということです。

 味覚の調査・分析を手掛けるAISSY(東京・港)の鈴木隆一社長は、「味覚は幼少期に食べ慣れたものが影響する」と話していると記事は記しています。

 一方、わさびやアルコールは大人に向けて学習していく味。人類が生き延びてきたのは腐敗した食が発する「酸味」や毒性の食に多い「苦味」を警戒してきたためで、ワサビやアルコールはそれを(本能的に)避けるための存在だったということです。

 この考えに従うと、成人になってもワサビを食べたいと思わないのは、学ぶ必要性が薄れたからということに他ならない。別に(好きでもないのに)無理にワサビを食べる必要はないし、食べてみたいとも思わない。確かに(こうして)年々、大人と子供の垣根が低くなっている印象だと記事は指摘しています。

 かつては10代後半などで「卒業」していたアニメやアイドルを、不惑を超えても好む人が確実に増えていると記事は続けます。しかも最近は会社での「宴会スルー」でアルコール離れも進む。これらは、無理して「大人」になる必要がないとの社会背景を反映しているのではないかというのが記事の見解です。

 さて、人がなぜワサビに手を出したかに関し、前出の鈴木社長は「人間は新規探求の意欲とそれを受け継ぐ世代間の繋がりがあったからこそ生き延び、進化し、文化を生み出してきたのではないか」と話しているということです。

 挑戦しなければ得ることができない新しい感覚、新しい世界観。大人になれば、そうしたものが手に入るという期待感に、胸を膨らませる若者たちが(太古の昔から)確かにいたということでしょう。

 一方、平成の30年が過ぎ、気が付けば(若者の)大人への期待感は薄れ、同時にいつまでも子供のままでいて構わない、それが許される時代がやってきています。

 よく言われる「アルコール離れ」ばかりでなく、「タバコ離れ」も「クルマ離れ」も「政治離れ」だって、確かにみんな子供には関係のないものばかりです。

 動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な(幼体の)性質が残る現象をネオテニー(neoteny)と呼ぶようですが、少年少女がカッコをつけて無理して大人ぶった時代はすでに過去のものといえるかもしれません。

 子供でいた方が何かと便利だし、社会もそれを受け入れてくれている。ならばこれから先も変わることなく、デリケートでナイーブな姿で一生を過ごしていきたいと考える若者が増えているということでしょうか。


♯796 先の戦争への様々な視点

2017年05月17日 | 映画


 見逃していた話題のアニメーション映画「この世界の片隅に」を、ようやく観る機会を得ました。

 クラウドファンディングでの資金調達が実り、入念な歴史考証を含め約6年の歳月を費やして完成させた片渕須直監督によるこの作品。

 当初、全国の63館で細々と封切られましたが、話題の広がりとともに徐々に公開規模を拡大し、2017年1月22日時点での公開館数は198館、興行収入は15億円、動員数で130万人に達し、2016年の大ヒット作『君の名は。』を抑えて第40回日本アカデミー賞の最優秀賞アニメ賞に輝いています。

 片瀬監督はこの作品において、広島県の呉市に嫁いだばかりの女性を主人公に、第2次大戦の末期から終戦に至る日本の市井に暮らす人々の生活をそれこそ「淡々と」描き出しています。

 戦争という(ある意味彼女たちの意志とは関係のない)出来事が日々の生活に及ぼす様々な違和感や苦労を飲み込みながら、それでも畑を耕し、ご飯を炊いて、繕い物をしながら夫や子供を戦場に送り出す「銃後」の人たち。

 アニメーションで描かれた、爆撃に会い、愛する人を失い、また、自ら傷つきながらも(そうした「現実」を)一生懸命生きていこうとする彼女たちの姿に、「戦争」というものの持つ「非日常性」が改めて浮き彫りにされたような気がしました。

 「欲しがりません勝つまでは」…先の戦争に当たって多くの日本人は、戦争がもたらす様々な矛盾をまさに正面から体を張って、懸命に受け止めていったと言えるでしょう。

 「お国のため」「国を守る」という高揚感の中で若者を戦場に送り出し、夫や息子の戦地での死を淡々と受け入れる。目的のために犠牲をいとわないその姿は、もしかしたら後世の人たちに「美しい」と感じさせる(何らかの)気高さの様なものがあったかもしれません。

 しかしだからと言って、彼ら彼女らにそれを強いた「戦争」自体、決して美化されるべきものではないのは自明です。

 この作品には残酷な戦闘シーンなどはほとんど出てきませんが、戦争を所与のものとして受け入れて暮らす(戦下の)人々の日常を素朴な感覚で切り取り続けることで、(観る人に)戦争の持つ残酷さを逆に極めてリアルに伝えることに成功していると言えるでしょう。

 さて、暗い映画館の片隅で「この世界の片隅に」を見ているうちに、(3年ほど前の記事になりますが)2014年2月6日のNews week誌(日本版)に掲載されたていた、ジャーナリストの冷泉彰彦氏による「『永遠の0』の何が問題なのか?」と題するコラム記事を思い出しました。

 日本人の「戦争観」に迫った論評として記憶に残っていたので、備忘のためこの機会に改めて概要を紹介しておきたいと思います。

 冷泉氏はこの論評において、百田尚樹氏によるベストセラー「永遠の0」を、(小説、映画ともに)キャラクターの配置やストーリー展開などにおいて非常にレベルの高い作品として認める一方で、(この作品は)決定的な問題を抱えていると評しています。

 氏によれば、それは、いわゆる「特攻隊」に対する評価だということです。

 特攻というのは搭乗員の死を前提とした自暴自棄的な作戦であり、基本的に人道に反する行為と言わざるを得ません。なので、特攻作戦であるとか、レイテ戦以降の「全機特攻方針」などという軍の方針に関しては、最大限の非難と批判をされるべきだと冷泉氏はこの論評に記しています。

 中でも、大戦末期における特攻は「戦争を終わらせることができない」軍並びに政府の指導者の責任感不足、指導力不足のために継続されたとしか言いようがないということです。

 勿論、個々の特攻隊員が受けた苦痛への同情の念を否定するものではないと冷泉氏は説明しています。例えば実際に身内の中に特攻による犠牲者を出した家族の場合であるとか、特攻隊員の遺書や手記に触れたりした場合には、その個々の特攻隊員への強い畏敬の念を持つのは、(ある意味)当然だということです。

 冷泉氏は、実はここに重たいジレンマが生じるとしています。歴史的な評価としては全否定をしつつ、私的な心情としては個々の犠牲には畏敬の念を抱くというジレンマを背負わなくては、この問題に向き合うことはできないという指摘です。

 これは大変に難しいことだと氏は言います。例えば、特攻を全否定する勢いで「個々の犠牲者まで戦犯扱い」するというような風潮が生まれたのは、その人がジレンマを背負うことができずに単純な回答に逃げたからだということです。また特攻に関係した多くの人々や同世代人が沈黙を守ってきたのも、そのジレンマを語る難しさのためであったからではないかと氏はしています。

 一方、本作の問題点は、この「重たいジレンマ」を背負っていないという一点にあるというのが、このコラムにおける冷泉氏の評価です。

 「個々の特攻隊員の悲劇」へ感情移入する余りに、「特攻隊全体」への同情や「特攻はムダではなかった」という心情を否定しきれていない。せっかく描かれた作戦自体への批判も主人公達の悲劇性を高めるためのセッティングとして「帳消しに」されてしまい、その結果、観客や読者には悲劇への共感や畏敬の念が残るばかりで、最も重要な「重たいジレンマ」が伝わらないということです。

 さらに冷泉氏は、小説にも映画にも「個々の特攻隊員の悲劇」への畏敬の念を「個々ではなく全体への畏敬の念にしていきたい」、あるいは畏敬の念を「公的なものにして欲しい」あるいは「集団で主張することを認めて欲しい」という思想性が見て取れると厳しく指摘しています。こうした主張は、21世紀の日本という国を国際的な孤立へと追いやる危険のある「不必要な行動」だということです。

 氏は、作品中に掲げられた「特攻は自爆テロではない」という主張自体は間違ってはいないと言います。戦時国際法に基づく戦闘行為と、個人による政治的な殺人行為とは質的に異なるのは事実だからだということです。

 しかし一方で、いかに戦闘行為の一環であったとしても、20世紀という時代に公式の軍事作戦として「自爆攻撃」を強いたのは大日本帝国だけであり、これは大変に重たい事実だと冷泉氏は続けます。

 そのような作戦を採用したという事実は、公的にも私的にも強く否定されなくてはならない。また戦後の日本と日本人は実際に強く否定をしてきており、そのことが日本の国際的な信用につながってきたということです。

 氏は、この種の「特攻隊への畏敬」があるレベルを超えて社会現象になってゆくことは、そうした日本と日本人への信用を損なう可能性があるとこの論評で指摘しています。もっと言えば、日本の孤立を招き安全を揺るがせるような形で戦没者の「名誉回復」が志向されるようでは、戦没者の魂に対して著しく非礼であるようにも思うということです。

 特攻隊にしても戦没者一般にしても、その個々の犠牲に対する畏敬は失ってはならないと冷泉氏は言います。しかし、個々の犠牲への畏敬の念を募らす余り、作戦や戦争の全体を肯定するような立場をとるのは大きな誤りだというのが、この問題に対する冷泉氏の基本的な立場です。

 (繰り返しになりますが)当然そこにはジレンマが生じることになります。この「戦争や作戦は否定するが、個々の犠牲には畏敬の念を抱く」というジレンマを、戦後という時間に生きる我々は、しっかり背負っていかなくてはならないと冷泉氏は述べています。

 氏はその理由を、先の戦争で日本は負けたからだと説明しています。敗戦国が、負けた戦争の正当化をするということは、名誉回復へ向けた闘争を宣言することにつながる。そうなれば、戦没者への畏敬の念を持つことが、新たな紛争の火種になって行くという指摘です。

 それは、日本を改めて孤立に導き、危険を引き寄せることになる。戦勝国が寄って集って日本を再び悪者にしようと思えばできる、そうした口実を与えるだけだと冷泉氏は言います。そしてだからこそ、我々は、戦没者の個々人の犠牲には畏敬を払いつつ、戦争の全体や個々の誤った作戦への批判は続けなくてはならないということです。

 こうしたジレンマを背負っていくことを、戦後に生きる我々は宿命づけられている。そのジレンマを背負うという態度から、この映画は(安易に)逃げているように見えると冷泉氏はこの論評で指摘しています。

 単なるメロドラマだから(いいではないか)という意見もあるが、見方を変えれば、メロドラマにすることでこのジレンマから逃げている。悲劇への畏敬や追悼の思いを集団化したり、感動的なエピソードで盛り立てたりするというのは、「要するにそういうこと」だと厳しく指摘する冷泉氏の指摘を、私もこの論評から重く受け止めたところです。



♯449 やればできる子なんです…

2015年12月15日 | 映画


 昨年話題を呼んだ小説に、坪田信貴氏の『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』がありました。学年でビリ、偏差値30のギャルが1人の塾講師と出会って一念発起し、慶応大学への現役入学を果たすという(学園版)サクセス・ストーリーです。

 さて、この小説が映画化され、有村架純の主演でこちらも人気となった『ビリギャル』(土井裕泰監督)の中に、「ウチの息子はやればできる子なんです…」と塾の講師に訴える母親が登場します。

 息子は「やればできる子」なのに「やらない」だけ。なので、「やるように」先生何とか仕向けてください…というものです。

 この母親に対し、講師役の伊藤淳史はきっぱりと告げます。(詳細は違っていたかもしれませんが)「息子さんの立場に立てば、そう言われてやってみて、もしもできなかったら自分自身の全部が否定されたことになる。それが判っているから、(そう言われている限り)彼が挑戦するはずがないことがお母さんにはわかりませんか?」

 さて、先日、家人が自宅で観ていたDVDから流れるこのやりとりを聞いて、以前、精神科医の熊代亨氏のブログ「シロクマの屑籠」(2010.1.19)にあった、「全能感を維持するために何もしない人達」と題するひとつの記事を思い出しました。

 ここ最近、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを抱え、全能感を捨てきれないまま成長した大人達が増えていると熊代氏はこの記事で指摘しています。そして氏は、そうした全能感を維持したい、いつまでもこのまま王様でいたいという人にありがちな処世術として、「全能感が傷つく可能性の高いところには手を出さない」という戦略を挙げています。

 自分の値打ちを確かめ損ねてしまったら、「全能ではない自分自身」「たいして価値のないかもしれない自分自身」に気付いてしまうかもしれない。そのため、全能感が折られる可能性を全て回避するという手段に出るケースが、最近ではごく普通に見られるようになっているというものです。

 彼らの方法論に則れば、「何もしない」「何も本気でやらない」人ほど全能感は温存されることになります。こうして、本気で勉強しない、本気で恋愛しない、何にも真面目に打ち込まないといった処世術が、(特に若者の間で)珍しくなくなっているということです。
 
 本来 大抵の大人は、思春期のトライアンドエラーや人間関係の中で自分が思うほどオールマイティではないという事実に直面し、その挫折によってゆきすぎた全能感がなだらかになっていくものだと熊代氏は説明します。しかし、傷つくことに耐えられないと感じる人達は、敢えて挑戦しないことにより「いつまでも価値のあるボク」を維持することを選択するということです。

 「俺は本気じゃない」とか「やだなぁ、ネタですから…」とか言い訳しながらの挑戦なら、全力を出してないから失敗した(=全力で挑戦していれば成功していた)と自己弁護できますから、全能感は保たれます。

 従って、全能感を手放したくない人達はトライアルをクリアする確率を1%でも高めるよりも、自分自身の全能感がひび割れるリスクを1%でも低くすることのほうに夢中になってしまう。気が付けば、いざ本気で挑戦しようと思った時には、もはや本気で挑戦するタイミングを逸してしまっていて、いつまでたっても技能や経験に恵まれることもなく、生ぬるい日常を過ごし続けることになるということです。

 熊代氏は、このように何もせず全能感の挫折を回避しつづけてきた人も、いつかは「実は何もできないまま歳だけとった自分」というものに直面する日がやってくると言います。そしてその時、「等身大の自分自身」と「全能な自分自身のイメージ」のギャップにひどく苦しめられ、ついにメンタルヘルスをこじらせて精神科/心療内科を受診する人も決して珍しくないということです。

 環境の影響などもあって、一旦身に付いた過剰な自己愛は、自分自身の力ではどうしようもないケースが実際は多いのかもしれません。なので、可能であるならば、可塑性の高いうちに適度な失敗や挫折を経験し過度に全能感にしがみつかないようにした方が、平坦ではあっても危なげない人生を送ることができると熊代氏はこの論評で述べています。

 もちろん、その場その場では辛い経験や充たされない経験もあるとは思う。しかし、その方が「常に充たされて当然」「辛い経験は避けるのが当然」という処世術をカチコチに築き上げるよりもはるかに柔軟な生き方が出来そうだし、最終的に挫折や失敗にへし折られるリスクも小さくなるだろうとする(ひとりの精神科医としての)氏の視点を、私も改めて興味深く受け止めたところです。



♯445 日本映画に見る時代のスピード

2015年12月05日 | 映画


 11月25日、昭和を代表する大女優のひとり、原節子さんの訃報がメディアに届きました。

 大正9年(1920年)生まれの原さんは享年95歳。戦前の1935年のデビューから戦後の1962年にかけて日本映画の黄金期を飾る数々の名画に主演し、その日本人離れした美貌から「永遠の処女」と評された大女優です。

 また、終戦翌年の1946年には資生堂のイメージガールに抜擢され、戦後の物の乏しい世相の中で、銀座の街角に貼り出されたカラー刷りのポスターとともに、新しい時代の訪れを戦争に傷ついた日本人の胸に印象深く刻み込んだと聞きました。

 原さんは、我々のような戦後世代には、今もなお世界的に評価の高い「晩春」や「麦秋」「東京物語」などの小津安二郎監督作品における、日本女性を体現した味わいのある美しさと清楚な演技で知られています。

 彼女の訃報に接し、私もDVDを引っ張り出し代表作と言える「東京物語」を改めてじっくりと観てみました。小津監督の繊細で丁寧な(映画作りの)要求に見事に応えた、時代のやるせなさを観る者の心に訴える凛としたその姿に、改めて拍手を送りたいと思った次第です。

 さて、少し話は変わりますが、概ね60年前に制作されたこのモノクロームの映画をゆっくり観る中で、ひとつ気付いたことがありました。

 正確に言うと以前から気になってはいたのですが、それは、登場人物が(現代映画に比べて)いかにもよくしゃべるということです。原さんばかりでなく、笠智衆演じる義父や杉村春子や香川京子が演じる義姉妹、その夫の山村聰や(黄門さまの)東野英治郎まで、スクリーンの中の人々はそれはそれはよくしゃべっています。

 しかも、台詞を話すスピードが驚くほど速く、その時代の録音技術のせいもあってか、現代のゆったりした台詞回しに慣れた耳にはなかなか上手く聞き取れません。場面によっては、字幕が欲しいと感じたくらいだったことに、改めて驚かされました。

 そこで思い出したのですが、小津作品ばかりでなく、確かに昭和40年代前半くらいまでの日本映画は、現在の作品よりも登場人物の会話に重点が置かれていて、従って台詞が多く、しかも相当の早口だったような気がします。

 確かめようと、当時の作品をいくつか追っかけてみたのですが、例えば「七人の侍」「用心棒」などにおける(「男は黙って…」の)三船敏郎が主演する黒澤明作品や、一世を風靡した「太陽の季節」を始めとする一連の石原裕次郎の主演映画、初期のゴジラやガメラなどの怪獣映画に至るまで、登場人物は意外なほど能弁で、しかも会話のペースが現在よりもやはり随分と速いことに気付かされます。

 さらに言えば、1969年に第一作が公開された山田洋二監督の「男はつらいよ」シリーズでも、(もともとおしゃべりな役柄ではありますが)主演の渥美清は当初たいへんなマシンガントークを繰り広げていました。しかし、70年代後半の作品くらいから渥美も徐々に会話のスピードを落としていき、1980年代頃からは随分寡黙でゆっくりと噛みしめるように台詞を吐く、落ち着いた「フーテンの寅」になっています。

 そのようにして観ていくと、映画ばかりでなく、テレビでたまに流れる古い時代のニュース映像などでは、アナウンサーのナレーションがあたかも早口言葉のようなスピードで、しかも切れ目なく続けられているのがわかります。白黒の映像で流れる60年代のNHKの紅白歌合戦の録画などですら、アナウンサーの神様と言われた宮田輝さんの司会は現代と比べてかなりのスピードです。

 さて、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏も、日本人の会話のスピード、テンポについて、明治の人は現代人よりも早口だったのではないかと考える一人です。

 スピードというものは印刷できないのではっきりとは分からないのだけれど、物事を考える「速度」というものが、少なくとも明治時代と現代とでははかなり違っていたのではないかと、内田氏は以前、自身のブログで述べています。(2005.1.5「明治の速度」)

 政治家の演説に触れても、当時の落語家の落語の録音を聞いても、明治時代のどの音源も皆同速さ(レコードの回転数が間違っているような猛烈なスピード)で話していると、内田氏はこの論評で指摘しています。

 戦後になってアメリカ文化が入ってきて、生活のテンポが速くなった…というふうに一般には言われているけれど、実は日本人の話すスピードは、実際随分と遅くなっているのではないかと内田氏は述べています。そして、氏の考えによれば、そこに発生しているエモーション、感情の感覚までもが、(現代とは)かなりスピード感が違っていたのではないかということです。

 明治時代の人々は、人生の時間的感覚が現在とは多少なりとも異なっていたのではないかというこうした指摘には、私にも頷けるところがあります。時代の波が押し寄せ、世の中の価値観が揺れ動いた時代。人々は激しい変化(と厳しい環境)にさらされる中で、それに見合った密度の濃い時間を過ごしていたのかもしれません。

 以前、スタジオジブリの宮崎駿監督のアニメー映画「風立ちぬ」を観ながら、戦前の日本人の言葉に対するこだわりやスピードに関する感覚と、現在の自分の感覚とのギャップに改めて気付かされたのを思い出しました。

 戦後の一時期を経て、人生に待ち受ける変化のスピードは徐々に落ちてきて、意思を伝達する必要性や速度も変わりつつある。人々の口から、言葉がほとばしり出ていた時代は知らず知らずのうちに終わりを告げ、人の口が重く閉ざされる時代が訪れつつあるということでしょうか。

 社会の質的な変化やそのスピードに合わせ、日本人の言葉に対する思いや感覚が大きく変化し続けているのではないか。昭和の大女優の訃報を前に改めて考えさせられた次第です。



♯367 大事なことは、みんなスター・ウォーズが教えてくれる。

2015年06月28日 | 映画


 ルーカス・フィルムによる「スター・ウォーズ」シリーズの8作目に当たる「フォースの覚醒」が、12月にも公開されるという予告が話題になっています。

 第1作が公開されたのが1977年のことですから、「スター・ウォーズ」は世代を超えたSFファンタジーとして、実に40年近くにわたり世界中の様々な人々から愛されてきたことになります。パパやママ、そしてガールフレンドやボーイフレンドと、ワクワクしながら映画館に足を運んだ中年世代も多いことでしょう。

 これまで公開されてきた7作品のどれを見ても、そこに流れるコンセプトの斬新さと人間性溢れる物語の奥深さは健在です。

 『遠い昔、はるか銀河の彼方で…』、銀河共和国の元老院最高議長が「フォース」のダークサイドの力を使って人々の恐怖をあおり、ジェダイの騎士団を陰謀により倒して帝政を築くまでが、我々を宇宙のかなたに導く物語の前半です。そして後半の物語は、帝国に立ち向かう反乱軍とジェダイの教えによりフォースを身につけた主人公(ルーク・スカイウォーカー)が、ダーク・サイドに落ちた父(ダース・ベイダー)に立ち向かっていく展開となります。

 「フォース(Force)」とは、スター・ウォーズの世界観の根幹をなす架空のエネルギー体を指す言葉です。フォースは、生命体から無機質まであらゆるものを包んで満たしているとされており、生まれつきフォースに敏感な者は、トレーニングにより目には見えないこの「エネルギーの流れ」を感じ制御して操作することが可能になる。そして、フォースを精神力により正しく制御できる者は、いわゆる「ジェダイ(Jedi)」として正義を体現することができるとされています。

 勿論、ジェダイになるためには、フォースをコントロールするための資質と修行が必要です。フォースの能力を引き出す訓練は当然のこととして、自制心を養うための心身の鍛練、広い知識と洞察力を磨くことが求められるということです。

 因みに、「ジェダイ」の名称は、ルーカス監督が日本語の「時代劇」(jidaigeki)にもじって名付けたという説が一般的で、ジェダイ達のコスチュームや武器となるライトセイバーなどを見てもわかるように、監督が日本の時代劇(特に黒澤明監督)の影響を強く受けていたことは広く知られています。

 さて、6月20日の「東洋経済 ON LINE」では、教育ジャーナリストのおおた・としまさ氏が、このフォースを基調としたスター・ウォーズの世界観を私達の身近な生活に照らし、『父親の心得は「スター・ウォーズ」に学ぼう』と題する論評を行っています。

 映画「スター・ウォーズ」において監督であるジョージ・ルーカスが描く、多種多様な“宇宙人”が入り交じって社会を構成している世界は、まさに現在のダイバーシティ社会そのものだと、おおた氏はこの論評の冒頭で述べています。

 そう言えば、この物語に登場する自らの意志をもたないクローン兵たちは、国や企業にとって扱いやすいように教育された画一的な現代人の姿に似ている。クローン軍とドロイド軍の戦いは、企業戦士とコンピュータの戦いのようにも見える。改めて考えると、映画の中の設定や登場人物や小道具の一つひとつが、実社会のさまざまな側面を映し出すメタファーなのではないかと氏は指摘しています。

 そして、混沌とした社会の中で、スター・ウォーズの物語は、人間が本来持つ「英知」ともいうべき「フォース」をキーワードに展開されていきます。

 生命体が作り出すエネルギーにより「銀河全体を覆い結びつけている」とされるフォースには、人知を超えた強大な力があるとされています。しかし、フォースの扱い方を誤ると、人間は、「暗黒面」と呼ばれる“ダーク・サイド”に堕ちてしまう。こうした局面は、実は映画の中ばかりでなく、身近な現実社会においても同じような構図があると、おおた氏は説明しています。

 例えば、ジョージ・ルーカスの描くダーク・サイドを、現代社会の経済至上主義的、全体主義的、独善的な社会的価値観の象徴であると捉えれば、「スター・ウォーズ」は、家族とのつながりよりも仕事を優先する世相への、痛烈で壮大な風刺映画に見えてくるとおおた氏は言います。

 暗黒卿にそそのかされるアナキン(=ダース・ベイダー)は、家族を守るために会社の言いなりになるサラリーマン。残業も休日出勤も断らない。上司に命じられれば、反社会的な仕事さえ遂行する。そんな夫を理解できなくなり、孤独を感じ、苦しむ妻がパドメ。2人の気持ちは離れていく。まさに現実社会のどこにでもある、産後の夫婦のすれ違いのような話だという指摘です。

 氏は、「愛する者を守る」とは、本来、自分ひとりで両手を広げてガードをするという意味ではないとしています。自分以外にも家族を守ってくれる、たくさんの支え合う仲間とつながることであり、それを可能にするのが人と人とを結びつける(スター・ウォーズで言うところの)「フォース」の力ではないかということです。

 一方で、人は独善的な気持ちが強くなりすぎると、競い合い奪い合い、勝ち続けることでしか愛する者を守ることができないような錯覚に陥るということです。

 会社の出世競争から抜け出せなくなる。業界の中でのシェア争いから抜け出せなくなる。思いどおりにならないと、怒りや憎しみや不信感が増大し、ますます仲間を遠ざける。家族さえも遠ざける。こうしてジェダイでなくとも、人々はダーク・サイドに引きずり込まれことになるだとうというのが、「スター・ウォーズ」に託された現代社会への危機感に関するおおた氏の認識です。

 本当に守るべきものは何なのか。それを見失いそうになったときこそ、私たちは「フォースを信るのだ」とするオビ・ワンの言葉を思い出すべきなのかもしれないと、おおた氏はしています。

 暗黒世界に落ちたダース・ベイダーは、最終的には息子であるルークとの争いを通じてフォースのライト・サイドに戻ることができます。父親を乗り越えようとする息子と、その息子から自らの間違いを教えられる父親。ジョージ・ルーカスの描いた「遠い昔の…」銀河世界におけるジェダイたちの物語は、身近な家族の愛情と擦れ違いの物語でもあると言えるかもしれません。

 親子関係、家族愛、ワークライフバランス、共同体意識、ノブレス・オブリージュ――。父親として大事なことは全部スター・ウォーズから学べるとするおおた氏の論評を読んで、人として生きる上で、「フォースとともにある」ことがいかに大切なことなのかが、私にも何となく分かるようにな気がしました。



♯195 アナ雪症候群(シンドローム)

2014年07月10日 | 映画

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 ウォルトディズニー・アニメーション・スタジオズの製作によるアニメーション映画『アナと雪の女王』が爆発的にヒットしています。昨年秋に全米で公開され、既にアニメ映画としては歴代世界トップの興行収入を塗り変えたということです。

 日本での興行収入も、7月1日時点で既に242億円を突破。累計の観客動員数も既に1800万人を超えており、「ハリー・ポッターと賢者の石」を上回る日本歴代3位、世界歴代5位と、今世紀最高の興行記録となることは確実と期待されているようです。

 アイドル評論家を標榜している作家の中森明夫氏がこの「アナ雪」こと、「アナと雪の女王」の人気の理由を読み解いた論評が、「中央公論」誌への掲載を断られたという評判とも相まって、現在Web上で話題を呼んでいます。

 御覧になった方も多いと思いますが このディズニー映画「アナと雪の女王」は非常に高度なCGを駆使したアニメ作品で、実写と見まごうばかりの美しい背景のもとで立体的なキャラクターが歌い踊る、アニメのイメージを一新する新しいタイプのミュージカル作品として見事な完成度を示しています。

 この「アナ雪」。これまでのディズニーアニメの定番であった、「スノー・ホワイト(白雪姫)」や「リトル・マーメイド(人魚姫)」に代表される「王子様」と「お姫様」のラブストーリーとは少し毛色が違う、「雪の女王」である王位継承者の姉エルザと、自由で純粋に生きてきた「妹」アナの姉妹の関係を基調とした人間ドラマであることが特徴です。

 中森氏は、この「アナ雪」の王子様の存在価値を否定するストーリー展開を、大きな驚きをもって受け止めたということです。

 「アナと雪の女王」のメッセージはある意味明白だと中森氏は言います。王子様なんかいらない。いや、王子様こそ極悪人だ。こんな過激なメッセージを持つ物語がなんとディズニーアニメとして作られ、記録を塗り変える爆発的大ヒットを記録している。「アナ雪」は世界中の将来世代の(特に女性の)意識の中に、強くそのメッセージを刻み込むことになるだろうと中森氏は指摘しています。

 さらに中森氏が驚いたのは、観客たちの反応だということです。客層の7割程度が女性であり、映画が終わって館内の灯りがつくと、年配の方から子供たちまで世代の異なる女性たちが、みんな実に生き生きとした顔をしていたと中森氏は言います。

 明らかにこの映画の受け止め方には、男女差があるというのが中森氏の認識です。劇中で最も盛り上がるテーマ曲の「レット・イット・ゴー」が流れるシーンで、観客たち間に「ありのままで行こう」という大合唱が巻き起こる様子は、これまでの映画鑑賞の枠を超えた印象的なものであったと中森氏は感慨を持って述べています。

 確かに、私も、一般的に言って映画のテーマ曲はエンディングやクライマックスに流れるものだと認識していました。しかし、確かにこの「レット・イット・ゴー」はストーリーの中盤、姉のエルサが王国を追放され、山奥で自らの魔力を全開にするシーンで(「えっ、ここ?」という感じで)流れる曲なのです。

 これは実に示唆的なポイントだと中森氏は指摘しています。雪の女王エルサと妹のアナは、見かけは姉妹だが「実は一人の女の内にある二つの人格なのではないか」というのが、この論評における中森氏の見解の眼目です。

 あらゆる女性の心の内に「エルサ」と「アナ」は共存している。中森氏によれば、「雪の女王」が象徴しているのは、自らの能力を制御なく発揮する女性の姿ではないかと中森氏は指摘しています。

 幼い頃、思いきり能力を発揮していた女たちは、ある日突然「そんなことは女の子らしくないからやめなさい」と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。そうして押さえられてきた自らの思いが姉のエルザの姿とダブり、「レット・イット・ゴー』の歌とともに多くの女性達の中で昇華されていくのではないかという見解です。

 女は誰もが自らの内なる「雪の女王」を抑圧し、王子様を待つ凡庸な少女として生きることを強いられている。エルサとアナに引き裂かれた女性の人格の有り様(ありよう)を、私は「アナ雪症候群」と呼んでみたいと中森氏は言います。

 この映画は、女性達に「ありのままに生きる」ための勇気を与えることに成功している。これからの時代、世界中の女性達が、高らかに「レット・イット・ゴー」を唄うことで、自らの内なる雪の女王を「ありのまま」解放するその様子を是非見つめていきたいと期待する中森氏の論評を、今回、大変興味深く読んだところです。


♯130 rush

2014年03月02日 | 映画

 Rush


 公開中の映画「rush」を観に映画館まで足を運びました。1976年のF1グランプリ選手権における、イギリス人ドライバーのジェームス・ハントとオーストリア人ドライバーのニキ・ラウダの二人の友情とライバル関係を題材とした話題作です。

 映画自体、細部までよく作りこまれた見事なできばえで、各チームのマシンやカラーリング、ドライバーの服装や容姿、話し方に至るまで、観客を当時のサーキットにタイムスリップさせるに十分な映像を提供してくれます。特にサーキットや観衆の服装に至るまで、こまかなディテールへの気配りは作り手が楽しんでこだわっていることをしっかりと感じさせてくれます。

 また、走行中の映像も秀逸で、ドライバーの視点からのコース取りは勿論のこと、パーツの振動やマシンごとの特徴をとらえたエンジン音などを含め、現在とはまた違った当時の野性的なF1の「匂い」を直接肌で感じさせてくれるものに仕上がっています。

 映画館の暗闇にどっぷり浸かりながら、いろいろなことを思い出していました。映画のクライマックスを飾る雨の日本GPのテレビ中継を、当時病院のベッドの上で観ていたこと。レース雑誌「AUTO SPORTS」の発売日を毎月楽しみにしていたこと。折り込みで特集されていたTyrrellP34の6輪マシンにとても衝撃を受けたこと。ラウダのサインを左手で真似してみたこと。

 記憶の中の1976年の日本グランプリは、折からの雨によりスター時間が遅れたうえ、当時のテレビ映像が鮮明でなかったこともあってかスタート当初はかなり緩慢なレース運びだったという印象が残っています。それでも、昼時から一時期豪雨へと変わっていた雨も上がり、曇り空の隙間からから夕方の低い薄日が差すようになった富士スピートウェイは、日本で初めて開催されたF1レースを一目見ようと集まってきたモータースポーツファンの熱気で溢れているように感じました。

 映画のナレーションにもあるように、当時のF1グランプリは毎年25人のレーサーが15回から16回行われるコンチネンタル・サーカスレースを転戦し、その間にそのうちの2人が死ぬという、そういった極めて危険なモータースポーツでした。エンジンの進歩を支えるだけの空力やサスペンションやタイヤの技術革新が行われてない上、設計上の自由度が高かった分ドライバーの安全確保に関する認識が薄かった時代といっていいかもしれません。

 そんな危険と隣り合わせの状況で戦う若者達の間で、1971年から79年まで、そして2年間のブランクをおいて82年から85年までの12年間を現役のF1レーサーとして第一線で活躍し、75年、77年、そして84年の3度にわたってチャンピオンシップをものにするという偉業を達成したニキ・ラウダは、やはりキング・オブ・キング、まさにF1界のレジェンドと呼ぶにふさわしい人物のひとりではないかと思います。

 確かに、1949年生まれのラウダが引退を決意した85年のシーズンは、アラン・プロストが5勝と最盛期を迎えつつあり、次いで若手の代表格であるアイルトン・セナが3勝、ナイジェル・マンセルが2勝、ケケ・ロズベルグが2勝と続きます。そんな中、前シーズン優勝したニキ・ラウダは1勝と振るわず引退を決意することとなりました。

 さて、その後日本でF1が開催され、実際に自分が鈴鹿まで足を延ばせる年齢になった時分には、サーキットには既にニキ・ラウダの姿はなく、時代は既にセナとマンセル、セナとプロストのものとなっていました。

 モータースポーツというのは、縁のない人には全く縁のない存在だとは思いますが、F1の世界はいつの時代も変わらず「非日常的」で「華麗」で、かつかなり「人間臭い」人達でいっぱいです。

 3月16日には、いよいよ2016年のF1シーズンが始まります(第1戦オーストラリアGP)。今シーズンはレギュレーションの大きな変更もあり、しばらく続いたレッド・ブル&セバスチャン・ベッテルの独走態勢にもいよいよ変化がありそうです。

 90°V型6気筒直噴シングルターボエンジン、エネルギー回生システム(ERS)では熱エネルギーの改正も認められるようになり、その出力もこれまでの倍の161馬力まで引き上げられるなど、重量や出力の点から見てもその運動性には大きな改善がみられるものと思います。

 昨シーズン、ドライバーズシートを失っていた小林可夢偉もいよいよケーターハムでF1サーカスに戻ってくるようです。また、とんでもないニューフェイスも参戦してくるかもしれません。F1の世界に生きるドライバーたちの人間模様も含めて、様々な視点から今年のF1を楽しんでいきたいと思います。

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♯73 ハンナ・アーレント

2013年10月21日 | 映画

 10月21日の読売新聞(朝刊)に、作家で明治学院大学準教授の小野正嗣さんが「映画『ハンナ・アーレント』に寄せて」と題し、10月26日から公開されるマルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品の映画「ハンナ・アーレント」の紹介文を寄稿しています。

 ハンナ・アーレント(1906-1975)はドイツ出身のユダヤ人女性哲学者で、第二次大戦中、ホロコーストから逃れアメリカに亡命し、以降は主にアメリカにおいて活動していました。主著「全体主義の起源」などにおいて、ドイツ、イタリアなどを席巻したヨーロッパの全体主義やそれを生み出すにいたった政治思想などを初めて分析、考察したことで知られています。

 このハンナ・アーレントの名前を世界的に一躍有名にしたのは、60年代の初頭、イスラエルにおいて行われた元ナチス高官のアドルフ・アイヒマンに対しホロコーストの責任を問ういわゆる「アイヒマン裁判」でした。アーレントは裁判をジャーナリストとして傍聴、取材し、裁判の詳細な経緯と政治哲学者としての考察をアメリカの雑誌「ニューヨーカー」に発表して大きな反響を呼びました。

 後に「イェルサレムのアイヒマン」というタイトルで刊行されるこのレポートは、当時の特にユダヤ人社会に激しい論争を巻き起こし、アーレントは「アイヒマンに同情的な反ユダヤ主義者」として多くのユダヤ人から厳しいバッシングを受けることになります。

 ホロコーストの実行に当たってナチスの親衛隊中佐としてユダヤ人の移送に指揮的な役割を示したアドルフ・アイヒマンは、戦後の混乱に乗じて中立国であったアルゼンチンに逃がれ、名前を変え別人として逃亡生活を送っていました。

 しかし、1960年、当時、全世界で「ナチス狩り」を進めていたイスラエルの諜報組織「モサド」により拉致され、イスラエルに連行されたうえで1961年から「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する犯罪」などを問われイェルサレムにおいて裁判にかけられました。

 この一連の裁判は、アイヒマン逮捕に至る「逃亡者を追い詰め」「発見し」「拉致する」といったイスラエルの強硬な姿勢とも相まって世界中の注目を集め、ナチス・ドイツによるホロコーストの残虐行為やナチス支配の非人道性を直視することをイスラエル国内のみならず全世界に強いる結果となりました。そして、後にいわゆる「選ばれた民」としてのユダヤ人の受難者としての立ち位置をユダヤの歴史に強く位置づけ、アラブと対立するシオニズムのうねりを加速するための大きな役割を担うことにもなりました。

 一方、裁判の場に現れた現実のアイヒマンは、神経質で、部屋やトイレをまめに掃除する「普通の、どこにでもいるような人物」であったとされており、その小役人的な凡人たる人物像は、「ふてぶてしい大悪党」を予想していた(求めていた)大方の予想を裏切り、戸惑わせたと言われています。実際、裁判を通じてアイヒマンはユダヤ人迫害を「大変遺憾に思う」と繰り返し、自身の行為については「自分は命令に従っただけ」だと主張し続けていました。

 裁判を経て、結局、アイヒマンは1961年12月に死刑判決を受け、翌年6月に絞首刑となるのですが、こうしたアイヒマン裁判とその意味についてアーレントはそのレポートにおいていくつもの疑問を投げかけます。

 そもそもイスラエルはアイヒマンに対する裁判権を持っているのか。アルゼンチンの主権を無視してアイヒマンを連行したのは正当な行為だったのか。裁判そのものにも正当性はあったのか。アイヒマンは命令に忠実な小役人(実行者)にすぎなかったのではないか。

 そして、「平和に対する罪」には明確な定義がなく、例えばアメリカによる広島・長崎への原爆投下が裁かれないのはなぜか…など、その矛先がユダヤ人の心の有り方そのものに向っている(その口調がユダヤ人の気持ちを逆なでする)ものが多かったのです。

 小野さんは、こうしたアーレントの考察を時代の「空気を読む」ことを拒絶し「地雷を踏む」行為であったとしています。

 当時の世論にとってユダヤ人はひたすら同情すべき犠牲者であり、一方のアイヒマンは「根源悪」の権化でなければならなかった。それでもアーレントがこのレポートを書かずにはいられなかったのは、アーレントにとって歴史の現実はそのような単純なものではなかったから。極言すれば、「思考の努力を放棄し周囲の支配的な空気に無批判に同調するとき、誰もがアイヒマンになり得る」という認識に突き動かされたからだ…と小野さんは言います。

 さまざまな予断から自らを解き放ち、小野さんも言うように「自分の頭で思考する」ことを貫くのはなかなか難しいことです。孤立を恐れず、時に世界全体を敵に回すこともいとわないハンナ・アーレントの孤高の生き方に敬意を表し、私も是非映画館に足を運んでみたいと思います。


♯47 風立ちぬ

2013年08月19日 | 映画

 話題の宮崎アニメ「風立ちぬ」を観ました。

 封切り後すぐに映画館に足を運んだのですが、ぼんやりとした印象の中で上手く感想がまとまらなかったので「もうちょっと時間をおこうか」と、まとめるのもそのままにしていました。…何と言ったらよいか、そういった「さわさわっとした」いろんな感情がわき立つ「いい映画」でした。

 印象的なファンタジックなカットのそれぞれは、極めて主観的な世界観の中に置かれています。しかし実はそこには、時代を生きる人たちのどうしようもない「リアル」な現実や感情が存在している…。

 「風立ちぬ」は「秋」の季語です。風が強く吹いてきた。これからどうなるんだろう。でも生きていかなければならない…。いろいろな見方ができるとは思いましたが、スクリーンに溢れる美しい映像を、私は大正から昭和に生きた人々へ「鎮魂歌(レクイエム)」としてのそのように受け止めました。

 制作に携わった人たちのメイキング映像をテレビで見る機会がありました。絵コンテの一つ一つに、効果音の端々に、作り手たちの思いがしっかり入っている。丁寧に、大切に作られたシーンの積み重ねのみが人々の心を打つという、映画づくりを知りぬいている作り手たちの「苦しみ」のようなものを、そこに感じることができました。

 大正から昭和にかけての日本の田園の美しい風景。ゆったりとした時間の流れと登場人物の語り口。戦後の高度成長の中で失われてしまった「戦前の日本」と「日本人の記憶」について、当時生きていた人々の思いとともに記録しておく最後のチャンスだと、宮崎監督は(団塊の世代の代表として)このアニメーション作品を世に送り出したのではないかと感じました。

 作品の中には様々なエピソードの断片がちりばめられています。それぞれの独立したエピソードが持つシチュエーションや空気感が連続しているようで、していないようで、それでも時代は動いていきます。 ある日風が立って動きが起こり、季節が移り変わるようにつながっていく。こうした季節の流れ、時代の流れを淡々と受け入れる登場人物の姿。そこには、自らの夢と、未来への希望と、現実を生きるものとしての少しの諦念が錯綜しています。

 「風立ちぬ」は、これまでの宮崎アニメとは一線を画す基本的に大人向けのストーリーであることに加え、あえてわかりやすい説明を廃し、様々な受け取り方を許容する構成となっています。

 宮崎監督自身、「子供の観客がおいて行かれるのではないかと心配した」と新聞のインタビューにありました。一方で監督は「子供の頃、小津や成瀬の映画を見て『なんでこんな暗い映画を見なきゃいかんのか』と思っていた。でもこうした作品が今も自分の中に残っている。分かりにくいものに接する体験には意味がある。」とその思いを語っています。

 子供向けにしつらえられた「お子様ランチ」だけを食べさせることは子供の成長を妨げる、というわけでしょうか。どきどきしたり、わくわくしたり、悲しい気持ちになったり、人はその時代の矛盾を抱え込んだりする。そういうことをきちんと感じる機会が必要だということでした。

 戦前の人達が生きた時代は、決して悲しいものでも苦しいばかりのものでもありませんでした。そこには伝統や文化を愛する理性的な人々が住み、豊かな自然があり、若者の前には未来や希望も広がっていた。ともすれば忘れ去られ、誤解されがちな先人たちの暮らしを思い出す、そんな稀有な機会を持つことができたことに感謝したいと思います。