MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1778 電気自動車はカーボンニュートラルの救世主か?

2020年12月28日 | 科学技術


 12月3日の毎日新聞は、政府が2030年代半ばに国内の新車販売を全てハイブリッド車や電気自動車などの電動車に切り替え、ガソリン車の販売を事実上禁止する方針を固めたと報じています。

 2050年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出を実質ゼロとする政府目標の実現にはもちろん化石燃料で走る自動車を何とかせねばならず、少なくとも「ガソリン車販売ゼロ」はいずれ必要となる措置でしょう。

 実際、ガソリン車の販売を禁止する動きは既に先進各国に広がっており、(同記事によれば)英国は11月、ガソリン車の新車販売を禁止する時期を35年から30年に前倒しすると決定、米国ではカリフォルニア州が35年までに販売を禁止する方針を打ち出しているということです。

 中でも世界を驚かせたのは、中国の自動車販売団体が2035年までにEVなど「新エネルギー車」の販売を現在の5%弱から50%に高めて、ガソリン車の販売を終わらせる工程表を発表したこと。CO2排出量断トツ世界一の中国までもが大きく舵を切るというのですから、(日本経済引っ張る自動車産業の将来を占ううえでも)しばらくはその動きから目が離せません。

 しかし、ちょっと待って。先進国の(インテリの方々は)皆が皆、もろ手を挙げて「電気自動車(EV)は素晴らしい」みたいなことを言っているけれど、それは本当のことなのか?(少数ではありますが)一方には、そう疑いの声を挙げている人もいるようです。

 テレビや雑誌などで活躍するモータージャーナリストの岡崎五朗(おかざき・ごろう)氏は、12月6日のYahoo newsに「排他的EV推進論が日本を滅ぼす」と題する興味深い論用を寄せています。

 日本国内でも「世界に遅れるな」とばかりにEVシフトを後押しする声が高まっているが、性急なEVシフトは誰も幸せにしない。ユーザーの経済的負担は増し、利便性は低下し、その上、関連就業人口542万人に上る日本の基幹産業を衰退させることにすらつながる可能性があるというのが、この論考における岡崎氏の見解です。

 菅政権は、成立して間もなく「2050年のカーボンニュートラル」の実現を政策目標に掲げたが、EVは確かに「走行段階」では二酸化炭素を出さない。だからEVは(目標達成のたまには欠かせない)というのが一般的な主張だが、それは走行段階の二酸化炭素に限定した話に過ぎないと氏は言います。

 EVを走らせるためには、当然、何らかの方法で「電力」を確保しなければ話にならない。環境への負荷は、EVの動力源となる電力をどう作っているかによって大きく変わってくるのは自明と言えるでしょう。

 氏によれば、例えば中国では発電量あたりの二酸化炭素排出量がもっとも多い石炭発電(石炭を100とすると石油は80、天然ガスは60)が主力で、カナダは水力発電が半分以上を占め、フランスは70%以上が原子力発電だということです。

 一方のわが日本は、(原発の再稼働が遅れていることもあって)約80%を石油、石炭、天然ガスといった化石燃料由来の火力発電が占めている。つまり、カナダでEVに乗るのは間違いなくエコだが、フランスでは原子力の問題(つまり放射能の環境への影響の問題)などが残り、中国や日本では必ずしもエコとは言い切れないというのが岡崎氏の認識です。

 氏はここで、そういった事柄を詳細分析するLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)の考え方(手法)を紹介しています。

 車両製造時、走行時、廃棄時をあわせたトータルの二酸化炭素排出量はどうなるのか?この点については未だ手法やルールが確立していないので、EV寄りの結果やガソリン寄りの結果などポジショントークが横行しているのが現状だと氏は言います。

 しかし、そんな中、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)社が5月に発表したLCA分析結果が内外で大きな話題となったということです。

 同社は、ベストセラーの小型車「GOLF(ゴルフ)」のEV版であるeゴルフとディーゼルエンジンを積んだゴルフを20万キロ使ったときの総二酸化炭素排出量の比較資料を公開しました。ドイツ人は元来生真面目だし、EVにも巨額の投資をしているので、原料の調達から製造工程まで(その辺は)きっちり計算したことでしょう。

 結果として、まずディーゼル車では、平均すると1km走行あたりの(総合計で)140グラムの二酸化炭素を排出することが判った。一方のEV車を100%風力発電の電力で走らせると59グラムと約6割減と試算されていることから、比較すればかなりエコなことが判ると氏はしています。

 これを、EUの平均電源構成に直して計算すると119グラムで、確かにEVの方がCO2の排出量が少ない。しかし、火力発電が多いドイツとアメリカではこれが142グラムまで増え、今度はディーゼル車の方がわずかにエコになるということです。

 さらに、石炭発電の多い中国では183グラムとCO2排出量が(ディーゼル車よりも)30%も増えてしまい、(今回試算の無い)日本でも恐らくドイツやアメリカより多くなるというのがVW社の資料の示すところです。

 こうした試算からも分かるように、少なくとも現時点ではEVが必ずしも圧倒的にエコなわけではないと岡崎氏はこの論考で説明しています。

 もちろん、発電構成が風力、太陽光、水力、地熱といった再生可能エネルギー中心に変わっていけばEVのエコ度は向上していくわけなので、2050年のカーボンニュートラルを実現するためにはそうしていかなければならない。EVは間違いなくカーボンニュートラル社会実現のキーテクノロジーになるだろうと氏は言います。

 しかし電源構成の見直しは一朝一夕ではできないことであり、EVシフトはそれに歩調を合わせて進めていかなくてはならないもの。(裏を返せば)性急なEVシフトは必ずしもエコにつながらないし、高い車両価格や航続距離の問題、長い充電時間といったデメリットを自動車ユーザーに押しつけることになるというのが氏の見解です。

 「カーボンニュートラルを実現するためにEV社会を目指しましょう!」「子どもや孫により良い世の中を残さなければなりません。皆さん、排ガスを撒き散らすエンジンなどもうやっている場合ではありません!」といった誰もが反対しにくいキャッチフレーズに皆が巻き込まれ、その結果国が誤った選択をしてしまったら取り返しの付かないことになると、氏はこの論考に記しています。

 そうした観点に立ち、ミスリードを展開している大手マスコミには自動車やエネルギーのことをもう一度勉強し直せと言いたいし、読者の方々には誤った報道を鵜呑みにせず、冷静な判断をしていただきたいとこの論考を結ぶ岡崎氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


♯1761 「老いなき世界」はやって来るのか(その2)

2020年11月20日 | 科学技術


 大阪大学大学院生命機能研究科教授の仲野徹(なかの・とおる)氏が、9月28日の東洋経済ONLINEにおいて、ハーバード大学医学大学院教授で老化研究の第一人者であるデビッド・A・シンクレア氏の全米ベストセラー、『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』を紹介しています。(「科学的根拠が示す「老いなき世界」のリアル度」2020.9.28)

 「老化」は生物の宿命ではない。この著書でシンクレア氏は、体内のいくつかのたんぱく質をコントロールすることで「老い」は防げると指摘していると、仲野氏は記しています。

 内容はなかなか難しいのですが、シンクレア氏によれば、(どうやら)「サーチュイン」と「AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)」「TOR(ラパマイシン標的タンパク質)」という3種類のタンパク質をうまく制御してやれば人間の「老化」を予防することができ、健康な長寿が手に入るということのようです。

 それでは、この3つのグループの酵素をコントロールするには具体的にどのような働きかけをすればよいのか、興味の湧くところです。

 実はその方法も、既にこの著書で紹介されていると仲野氏は説明しています。

 まず、サーチュインの活性化には、NADの前駆体であるNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)や赤ワインなどに含まれるポリフェノールとして有名なレスベラトロールが効く。因みにNMNはサプリメントとして購入可能で、ネット通販で1グラム当たり2000円前後で販売されているということです。

 また、AMPKの活性化には、糖尿病の治療に使われる安価な薬剤メトホルミンが効くことが知られているほか、TOR阻害剤は副作用が強いのだが、いずれは毒性の低い化合物が作られるだろうとされています。

 さて、そうは言っても、実のところこれだけの研究成果や実際例を突きつけられても、私はいまだに半信半疑だと仲野氏はこの論考に綴っています。

 論理的には信じるべきだと指示する脳があるが、感覚的に受け入れられない。老化した私の脳が従来の「常識」を振り払えないせいかもしれないが、そこまでわかっていても「老化という疾患」なるドグマへと改宗することができないというのが仲野氏の認識です。

 さて、老化の原因がさらに明らかになったら、人間の健康寿命はどのくらい延びていくのか。

 シンクレア氏の試算では、①医療の進歩により10年、②食事などの自己管理により5年、③先に書いたような長寿遺伝子を働かせるような化合物により8年…で(控えめに見ても)計23年は固いということです。

 もしそのような時代、現時点において寿命の限界とされている120歳を上回る人がたくさん出現するような時代がやってきたらどうなるだろうか。

 完全に健康なら問題ないかもしれないが、認知能力が保たれたままであるという保証はない。少なくとも現状では、NMNを摂取するだけで年間数十万円は必要となる経費の問題も残る。

 もちろん、老化に起因する疾患のない完全な健康な日々が何年も延びるのなら十分に元はとれそうだが、それでも払える人とそうでない人、それに、老化を忌み嫌う人と老化を粛々と受け入れる人が出てくるだろうということです。

 そうした中、最終的に健康な寿命が延びれば、われわれの人生観やライフスタイルも大きな変更を余儀なくされるだろうと仲野は見ています。

 シンクレア氏が論じるように、あまりに上手くいって「人間はどうやって死ねばいいのか」というような問題が真剣に議論される日がいずれやってこないとも限らない。かくも、老化の制御はさまざまな社会的問題、倫理的問題を惹起することになると、仲野氏はこの論考に綴っています。

 ベストセラーとなったこの著書の面白いところは、(科学的な読み物として興味深いばかりでなく)ライフスパンが何十年も延長された状況を想像することにより、人間とは何か、人生とは何か、社会のあり方はどうあるべきかなど、いろいろな物事に思いを馳せることができるところにあるというのが仲野氏の見解です。

 もちろん、誰だってそういったことを考えることはできるとしても、老化研究の成果を踏まえリアリティーを持ちながら考えるのと、フィクションとして考えるのでは大きな違いがあると氏は言います。

 既に「人生100年時代」と言われていますが、超高齢社会の先頭を走る日本であればこそ、様々な問題が「近未来」のものとして恐ろしいまでの現実味を帯びてくるのも事実です。

 「アンチエイジング」という言葉がありますが、そのうちに「老い」や「寿命」が運命でもなんでもなくて、お金を払うことで(好きなだけ)選び取る時代がやって来るかもしれません。

 私たちの未来はどこに行くのか。健康長寿の期間がますます伸びていくのは勿論好ましいことだけれど、(人生の意味のようなものを)どこかで立ち止まって考える機会が必要なのではないかと私も改めて感じたところです。


♯1760 「老いなき世界」はやって来るのか(その1)

2020年11月17日 | 科学技術


 9月21日は「敬老の日」でした。「国民の祝日に関する法律」によれば、国を挙げて「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日だということです。

 とは言え、日本で高齢者に分類される65歳以上の人は既に3617万人を数え、総人口に占める割合も28.7%と全体の約3分の1。世代で言えば決して「希少」などではなく、むしろ国内で最も大きな存在感を示す年齢層となっています。

 男女別に見ると、男性がおよそ1573万人、女性はおよそ2044万人で、女性では(全人口の)概ね4人に1人以上が70歳以上という状況です。

 急激に進む日本社会の高齢化。国連のデータで見ると高齢化率は世界で最も高く、2位のイタリアを5ポイント以上も上回っています。

 一方で、少子化の影響を大きく受け、日本の総人口は昨年よりも約29万人も減っています。生産年齢人口の減少を受け、働く高齢者の数は892万人(2019年)、就業率は24.9%と8年連続で増加し、働く人全体に占める割合も13.3%といずれも過去最高を更新しているところです。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の高齢者の割合が最大となるのは2040年頃と見込まれており、(高齢化がピークを打って)減少に転じるのはまだまだ20年も先の話となりそうです。

 一方、その間に、医療や健康に関する研究が進み、生活習慣の見直しやサプリメントの使用によって人間の「老化」自体をコントロールできるようになるという、(ある意味、夢のある)話も聞こえてきます。

 9月28日の東洋経済ONLINEでは大阪大学大学院生命機能研究科教授の仲野徹(なかの・とおる)氏が、ハーバード大学医学大学院教授で老化研究の第一人者であるデビッド・A・シンクレア氏が著した全米ベストセラー、『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』を紹介しています。(「科学的根拠が示す「老いなき世界」のリアル度」2020.9.28)

 実のところ、「老化は正常な過程ではなく病気である」というのがシンクレアの基本的な考えだと、氏はこの論考で指摘しています。

 すべての人に訪れるからといって、病気ではなくて正常過程だと考える必要はない。老化によって生じたとされるさまざまな症状すべてをひっくるめて「老化という疾患」と捉えれば、「老化」そのものは不可避な現象から予防や治療しうる対象へと転換されると氏は説明しています。

 そして氏によれば、シンクレアのもう一つの基本概念は、「老化にはいろいろと典型的な特徴があるけれど、その上流に単一の原因がある」というものだということです。

 これは「老化とは情報の喪失にほかならない」というシンプルなセンテンスに置き換えることができる。遺伝子から読み出される情報の読み出され方がおかしくなることこそが、さまざまな老化の症状を引き起こすたった1つの原因であるというのがシンクレアの考えだと氏は話しています。

 老化とは、我々の体にある2万個の細胞の遺伝子情報の読み出され方がおかしくなってしまった状態を指している。なので、そのような間違えた状態を若い頃と同じように変えてやることができれば、老化を防げるはずだということです。

 さて、仲野氏によれば、シンクレアはこの著書で、「ウェルナー症候群」と呼ばれるヒトの病気に関する、酵母を使った研究の成果を示しているということです。

 「ウェルナー症候群」は、若年から老化が急速に進行する「早老症」と呼ばれる病気のひとつで、その原因はWRNヘリカーゼというDNAに働きかける酵素の異常であることがわかっている。

 シンクレアはそこで、(我々に身近な酵母菌を用い)WRNヘリカーゼを働かないようにすると「老化」が早まることを見いだし、それをきっかけに老化研究の新時代を切り開いたと氏はしています。

 研究の過程において、シンクレアは老化のキーとなる分子である「サーチュイン」というたんぱく質を発見した。そして結論から言えば、酵母からマウス、そして(おそらくは)ヒトに至るまで、「サーチュインの働きが衰えることが、老齢に特有の病気を発症する大きな理由の1つ」であると結論付けたということです。

 もちろん、サーチュインだけが生命に老化をもたらす唯一無二の存在だという訳ではない。しかし、だからと言って他にもたくさんあるわけではなく、「AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)」という酵素と「TOR(ラパマイシン標的タンパク質)」の2種類があるだけだと仲野氏は説明しています。

 つまり、その意味するところは、たった3つのグループのタンパク質さえうまく制御してやれば(…もう少し詳しく言うと、サーチュインとAMPKを活性化させ、TORを抑制してやれば)、「老化という疾患」を予防できて健康な長寿が手に入るということ。

 体内の酵素を細かくコントロールし細胞の変異を抑えることで、老化を病気として「治療」することができるようになる。中元を統一した秦の始皇帝をはじめとした多くの権力者が追い求めたとされる「不老不死」を、21世紀の人類はいよいよ手に入れられる可能性が高まったということでしょう。

 もっとも、長生きさえできれば「幸せな人生」かと言えば、そうとばかりも言っていられないのは自明です。

 人が皆150歳くらいまでは平気で生きるようなものすごい長寿社会が訪れたとき、その暮らし方や価値観はどのように変化しているのか。(怖いもの見たさで)見てみたくもあり、(やっぱり)見てみたくもない気もするところです。

 (→「♯1761「老いなき世界」はやって来るのか(その2)」に続く)

♯1744 PCR検査の使い方

2020年10月17日 | 科学技術


 8月29日のThe NewYork Timesは「検査で陽性でも、本当は違うかもしれない」と題する見出しの記事を掲載し、「PCR検査で陽性と判定された人のうち、最大90%の人は感染していないと推定される」と報じています。

 また、9月5日のBBCは「新型コロナ:検査は死んだウイルスも検知」というタイトルで、「PCR検査は非常に敏感なので、死んだウイルスでも陽性になる。パンデミックの規模は過大に評価されている可能性がある」と伝えています。

 海外の主要メディアで相次いだこうした指摘に対し、ジャーナリストの岡田幹治(おかだ・かんじ)氏が10月7日の「DIAMOND ONLINE」に、「新型コロナ感染者数「大幅水増し」疑惑報道は本当か」と題する興味深い論考を寄稿しています。

 まず、The NewYork Timesの記事についてです。

 感染者だけを正しく陽性と判定するにはPCR検査の増幅サイクル(「♯1743 PCR検査への誤解」参照)を30サイクル以下にする必要がある。しかし、米国ではこれが37~40サイクルと必要以上に高い感度で検査しているため、感染者数が実態の何倍にもなっているとの指摘があると岡田氏はしています。

 たとえばニューヨーク州のある検査施設で行われた今年7月のPCR検査では、40サイクルの検査で794人が陽性になったが、同じ対象者を30サイクルにすると約30%になる。また、マサチューセッツ州の検査施設の専門家によれば、40サイクルで陽性になった人の85~90%は、30サイクルでは陰性と判定されるということです。

 The NewYork Timesの同記事は、(このような適切でない検査によって)米国で「陽性」と判定された人たちのうち最大で90%は非感染者だろうとみています。また、8月27日の米国の新規感染者4万5604人のうち、感染により実際に隔離されなければならなかったのは恐らく4500人程度だとしているとのことです。

 次に、BBCの「検査は死んだウイルスも検知」という報道についてです。

 BBCはこの報道で、「新型コロナの診断に使われているPCR検査は非常に敏感なので、死んだウイルスの破片でも陽性判定が出ることがわかった。」「これは英オックスフォード大学EBM(根拠に基づく医療)センターがこの問題についての25の研究のエビデンスを調べた結果、明らかになったものだ。」と伝えていると岡田氏は記しています。

 このことはパンデミックの規模が過大に評価されている可能性を示しており、研究に参加した研究者からは、ごく少量のウイルスでは陽性判定が出ないような「サイクル数の基準(カットオフ・ポイント)」を設けるべきとの指摘もあったということです。

 こうした二つの記事の指摘を踏まえ、岡田氏は、現在の新型コロナのPCR検査の実施方法について、サイクル数が多すぎるために大量の「偽陽性」(感染していないのに陽性と判定すること)を出すという重大な欠陥がある可能性があると説明しています。

 多くの人が、実際は感染していないのに、入院・隔離・自宅待機を強いられ、なかには誹謗・中傷を受けている人もいる可能性も大きい。PCR検査がコロナ対策のコストを膨らませ、経済や真に必要な人への医療の足を引っ張っている可能性があるということです。

 一般に、検査は病気の診断や治療をするための一つの手段で、特に診断(病名)の確定に使われると氏は言います。

 例えば、発熱しせきが出るという症状の患者について普通の風邪かインフルエンザかはっきりしないとき、(体液や唾液の中に「ウイルスに特徴的なたんぱく質(抗原)」があるかどうかを調べる)抗原検査でインフルエンザウイルスが見つかれば、インフルエンザという診断を確定することになる。

 ところが、新型コロナでは、症状と関係なく(症状があってもなくても)PCR検査で陽性判定が出さえすれば「感染者」とされる。しかし、(ウイルスのDNAの一部が見つかったらといって)感染していると言えるのかどうか。

 この診断法そのものに疑問を持つ医師や研究者は、決して少なくないというのが岡田氏の見解です。

 厚生労働省も東京都や大阪府などの自治体も、「PCR検査の陽性者=感染者」として(あたかも当然のように)毎日、感染者数を発表し、それを基に感染拡大防止対策を決めています。

 世界を見れば100万人を超える死者を出している新型コロナウイルス感染症ですが、その前提となる「PCR陽性者=感染者」という考え方に、現在(世界的にも)重大な疑問が生まれていることを、私たちも十分に認識しておく必要があるでしょう。

 改めてそうした観点に立ち、厚労省と自治体はこの疑問にきちんと答える必要があるとこの論考を結ぶ岡田氏の指摘を、私もこの論考から重く受け止めたところです。


♯1743 PCR検査への誤解

2020年10月15日 | 科学技術


 全国有料老人ホーム協会が「敬老の日」に発表している「シルバー川柳」の(今年の)入選作品に「耳鳴りもピーシーアールと音がする」というものがありました。

 今年に入って本格化した新型コロナウイルス対策を巡っては、これまでほとんど知られていなかった「PCR検査」が異常と言えるほど注目され、テレビのワイドショーなどでも連日のように取り上げられました。

 専門家や国会議員ばかりでなく、テレビのコメンテーターやタレントらも巻き込んで、「推進派」と「抑制派」が入り乱れた様々な論争が繰り広げられたのは記憶に新しいところです。

 メディアや国会では、現在も「国民全員への検査が必要」「不安の解消のために誰もが無料で検査を受けられる体制を」といった主張が収まらず、「誰でも、いつでも、何度でも」をうたいその具現化を目指す「世田谷モデル」にも期待が集まっているようです。

 ワクチンや抗ウイルス薬の開発が思うように進まない状況の中で、(一部の人たちに)こうして感性拡大防止の「切り札」のように扱われているPCR検査とは、一体どのような検査なのか?

 そして、(称賛される「世田谷モデル」のように)検査対象を無症状の人にまで広げることは、本当に感染拡大の抑制に効果があるのか?

 10月7日の経済情報サイト「DIAMOND ONLINE」に、ジャーナリストの岡田幹治(おかだ・かんじ)氏が「新型コロナ感染者数「大幅水増し」疑惑報道は本当か」と題する興味深い論考を寄せています。

 岡田氏はこの論考に、先ごろ米英の主要なメディアに(相次いで)「新型コロナウイルスの感染者数が大幅に水増しされている」との記事が掲載されたと記しています。

 8月29日のThe NewYork Timesは「PCR検査で陽性と判定された人のうち、最大90%の人は感染していないと推定される」と伝え、9月5日のBBCは「PCR検査は非常に敏感なので、死んだウイルスでも陽性になる。パンデミックの規模は過大に評価されている可能性がある」と報じた。

 2つの記事はともに、一部の研究者が早くから指摘していた「PCR検査で新型コロナの感染者を判定することの問題点」を指摘しており、米国や英国と同じことが日本でも起きている可能性があるというのが、この論考における岡田氏の論点です。

 今回二つのメディアが報じたこの問題を理解するには、まず「PCR検査」とはどんなものか知る必要があると氏は言います。

 「PCR(ポリメラーゼ・チェーン・リアクション=ポリメラーゼ連鎖反応)」は、ウイルスのDNAを増幅する技術(ポリメラーゼはDNAを合成する酵素、連鎖反応は連続した反応の意味)の頭文字。

 PCR検査は、ウイルス感染症の検査やDNA型の鑑定などに幅広く使われており、この技術を使うとDNAを無限に増やすことができることから、ほんのわずかのサンプルでもそこから遺伝情報を読み取れるようになるのだそうです。

 具体的な方法としては、「ウイルスの遺伝子を含んだ可能性のあるサンプル」と「遺伝子を合成する酵素」と「2本のプライマー(人工的に合成した遺伝子の断片)」の混合液を、100度近くまで温め、60度くらいまで冷まし、また70度くらいまで温めるというシンプルなものだと、氏はこの論考で説明しています。

 この作業は1回がほんの数分で済むが、この1サイクルで、1本の遺伝子が2本になる。自動的に温度を上下させる機械を使ってこの作業を繰り返せば、2サイクルで4本、3サイクルで8本という具合に遺伝子が増え、30サイクルでは約10億本、40サイクルでは約1兆本になるのだということです。

 一方、こうしたPCR検査では、「わかること」と「わからないこと」があるというのが氏の指摘するところです。

 わかるのは、サンプル(咽喉で採取した体液や唾液)の中にウイルスの遺伝子(RNA)の断片が存在しているかどうかということ。存在していれば陽性、存在が認められなければ陰性になると氏は言います。

 しかし、「そのウイルスが生きているか、死んでいるか」「ウイルスの量はごく少ないか、それとも大量か」、さらに言えば「そのウイルスは咽頭に付着しているだけか、それとも細胞膜を突き破って細胞内に入り、増殖している(感染している)か」などについては、PCR検査ではわからないということです。

 PCR検査では、原理上(遺伝子増幅のための)サイクル数を増やすごとに、より少ないウイルスでも陽性反応が出る。理論的には、10サイクルだと、ウイルスが1000万個以上ないと陽性にならないが、20サイクルにすれば10万個以上で陽性になる。30サイクルでは1000個以上で陽性になり、40サイクルになると、わずか10個以上でも陽性になると岡田氏は説明しています。

 新型コロナの場合、感染して発熱などの症状が出るには少なくとも10万個程度のウイルスが必要だから、感染しているかどうかの判定は20~25サイクルで検査するのが適切な水準といえる。しかし、日本の国立感染症研究所のマニュアルでは45サイクルとされており、国内メーカーの3つの検査キットでも40~45サイクルを標準としているということです。

 つまり、国内の標準的なPCR検査では、ウイルスが10個程度存在すれば陽性となる。さらにPCR検査では遺伝子配列の類似性で判定するので、ここまでサイクル数を増やすと、新型コロナの遺伝子配列に部分的に類似した、病原性のない常在ウイルスが存在していても陽性になる可能性があると、岡田氏はこのレポートで指摘しています。

 一方、国内でPCR陽性者とされた人のほとんどは、咽頭に10~1000個程度の何らかの遺伝子が付着している状態であり、新型コロナ感染とは断定できるだけの科学的根拠は認められない。陽性者の多くが無症状であることも、こうした理由から説明できるということです。

 毎日、厚生労働省や自治体で発表されている感染者数も、実数をかなり上回った数字である可能性が十分に考えられると、この論考で岡田氏は考えています。

 そういう目で捉えなおせば、確かにPCR検査の結果と抗体検査の結果に差が出るのも、PCR検査陽性者から抗体が見つかりにくいのも、それなりに理解できるというものです。

 PCR検査至上主義ともいうべき議論が進む我が国ですが、そうした実態を踏まえ、新型コロナウイルス対策についてはPCR検査の結果に頼るのではなく、本当に必要な対策をとるには正確な感染者数の把握が欠かせないとするこの論考における岡田氏の指摘を、私なりに興味深く読みました。


♯1678 大切なのは「重症化対策」という話

2020年07月19日 | 科学技術



 なぜ、日本では新型コロナウイルスに感染しても、重症化したり死に至ったりする人の割合が少ないのか。

 7月17日の東洋経済オンラインに掲載されていた、国際医療福祉大学教授の高橋泰氏による仮説を(備忘の意味で)引き続き整理しておきたいと思います。(「新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ」)

 高橋氏はこの記事のインタビューにおいて、新型コロナウイルス感染症による日本の死者数(対人口比)が欧米の概ね100分の1に過ぎないことに関し、大きく3つの要因が考えられるとしています。

 その一つ目は、「暴露率」の差です。

 日本の場合、重症化しやすい「高齢者の暴露率」が(欧米などに比べ)低かったのが効いたのではないかと氏は話しています。

 例えば日本の特別養護老人ホームではインフルエンザやノロウイルスの流行する季節は家族の面会も禁じているし、今回も、高齢者の外出自粛などウイルスに対する対策も自発的になされてきた。

 一方、海外では介護施設や老人ホームのクラスター化による死者数が多く、(死者数から見て)高齢者の暴露率としては日本が10%ならば、欧米は40%程度ではないかというのが氏の想定するところです。

 二つ目の原因として、高橋氏は(日本人と欧米人の)自然免疫力の違いを挙げています。

 自然免疫で治る人の比率が欧米より日本人(アジア人)のほうが高ければ、その結果として「軽症以上の発症比率」が低くなるが、抗体陽性率も低くなるはず。

 そうした視点からシミュレーションすると、自然免疫で処理できる率が日本人は98%で、対応できないのは2%程度ではないかというのが、この記事における高橋氏の見解です。

 このため、日本では新型コロナにかかった人が次の人にうつしても、その大半が自然免疫で処理され、次の人への感染につながらない。すなわち新型コロナ感染のチェーンが切れやすいことを示唆していると氏は言います。

 そうであれば、日本ではよほど多くの人に暴露を行わないと、そこで感染が途切れる可能性が高い。一方、抗体陽性率から考えると欧米では自然免疫で対応できずしっかり発症する人が、例えば日本より5倍程度多い(つまり2%×5=10%程度)と考えてもおかしくないということです。

 因みに氏は、こうした自然免疫力、特に細胞性免疫の強化にBCGの日本株とロシア株が関与した可能性は十分にあると見ているということです。

 BCGと新型コロナウイルス感染症の発症との関係は、これまでもしばしば取りざたされてきましたが、一定の有意な相関がある事はデータ上からも十分読み取れるということでしょう。

 さらに3つ目の原因として高橋氏が注目しているのが、日本人の「発症者死亡率」の低さです。

 日本では、発症しサイトカイン・ストームが起きも、死亡に至る割合が欧米に比べて低いと考えられる。そして、その理由としては、欧米人に比べて血栓ができにくいことがあるのではないかと高橋氏は考えています。

 「発症者死亡率」は、日本では0~69歳で0.01%、70歳以上では40倍の0.4%だが、欧州は0~69歳で0.05%で70歳以上が2%程度と想定される。他の条件は変わらないという前提に立てば、10万人当たり日本の死亡者は0.9人でベルギーの死亡者は82人となり、現在の実態とほぼ一致するということです。

 ここで設定した暴露率、軽症以上の発症比率、発症者死亡率などの数字はあくまで仮説的なものにすぎない。しかし、日本の死亡率が欧米の死亡率の100分の1程度という現実を考えれば、こうした3要因のいずれか、またはすべてにおいて、日本が欧米に大きく勝っていることは間違いないというのがこの記事における高橋氏の見解です。

 さて、これまでのところの数字で、人口10万人に対し0.8人しか亡くなっていないという日本の現状を考えれば、シミュレーションでは「新型コロナウイルスが現状の性格を維持する限り、どんなに広がっても10万人中3人以上、つまり全国で3800人以上死ぬことはなさそうだというのが結論」だと、氏はこの記事で語っています。

 例えば、現在の日本では全国で年間2万人、人口10万人に対して16人が自殺で亡くなっている。過去に景気が悪化した際は3万人を超えており、10万人当たり24人に亡くなっていたと氏は言います。

 もしもそうであれば、10万人対比で見て、新型コロナによって2人亡くなるのを防ぐために、景気悪化で8人の死者を増やすのかということになる。(極端な例ではあるが)対策のメリットとデメリットのバランスを考えないといけないのではないかというのが高橋氏の指摘するところです。

 また、ステイホームによって肥満の人が増えると、ACE2受容体が増加し、新型コロナの感染リスクも血栓形成のリスクも高まる。社会活動の停止で暴露率は下がっても、感染率や重症化率が上がる。そうしたバランスも考える必要があると、氏は懸念を示しています。

 今回の氏のシミュレーションは、あくまで仮説に基づくシミュレーションであることを前提とする必要がある事は言うまでもありません。

 しかしその一方で、未知の感染症に対峙するにはそうした多角的な視点も必要であることを私たちに問いかけていると、私も大変興味深く受け止めたところです。


♯1677 日本人の重症化率が低いワケ

2020年07月18日 | 科学技術


 7月に入り、東京都を中心に新型コロナウイルスの検査で陽性と判明する人が再び増加傾向に転じています。

 東京都は7月15日に、警戒レベルを4段階のうちの最も深刻な状況を示す「感染が拡大していると思われる」に引き上げました。しかし、PCR検査で「陽性」と判定された感染者の中には無症状者や軽症者も多く、専門家の間でもレベルを引き上げる必要があるのかどうかで意見が割れたということです。

 日本は、強権的な都市封鎖(ロックダウン)などの施策を行うことなく、(あくまで「自粛の要請」によって)米国や欧州諸国のような爆発的な感染拡大を防いだとして世界的に知られることとなりました。

 実際、7月3日現在の感染者数は1万8950人で死者数は976人と、例年のインフルエンザ死亡の概ね3分の1にとどまっています。また、人口10万人当たりの死者数は0.8人に過ぎず、欧米諸国に比べると圧倒的に少ないのもどうやら事実のようです。

 なぜ、日本(を含む東アジア諸国)では、新型コロナウイルス感染症で亡くなる人の数が(欧米の100分の1レベルと)異様なまでに低いのか。

 7月17日の東洋経済オンラインでは同社解説部の大崎明子氏が、国際医療福祉大学大学院教授の高橋泰(たかはし・たい)氏へのインタビューを踏まえ、「新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ」と題する大変興味深いレポートを掲載しています。

 そもそも新型コロナウイルスは、初期から中盤までは暴露力(体内に入り込む力)が強いが、伝染力と毒性は弱くかかっても多くの場合は無症状か風邪の症状程度で終わるおとなしいウイルスだと、高橋氏はインタビューで話しています。

 しかし、このウイルスは、1万~2.5万人に1人という非常に低い確率でサイトカイン・ストームや血栓形成という状況を引き起こすことがある。条件によっては、肺を中心に多臓器の重篤な障害により高齢者を中心に死に至らせてしまうということです。

 このウイルスの特徴は、自身が繁殖するため人体に発見されないように毒性が弱くなっていること。なので、体内にウイルスが一定量増殖しないと人体の側も対抗するための「抗体」ができにくいと氏は説明しています。

 日本も含めた各国は、当初それぞれ数十万人死亡するというような予想を立てていたが、それは(より攻撃力の強い)インフルエンザウイルスをベースとしたモデルを使っているためだというのが高橋氏の見解です。

 ここで氏は、人の体内において病原体に対抗する「免疫」の働きについて解説しています。

 病原体が体内に入ると、まずは貪食細胞(マクロファージ)などを中心とする自然免疫が働きだす。そして次のプロセスとして(数日かかって)獲得免疫が動き出し、1種類の外敵にしか対応しないが殺傷能力の高い「抗体」ができるということです。

 インフルエンザの場合は、ウイルス自体の毒性が強く、すぐに、鼻汁、咳、筋肉痛、熱と明らかな症状が出る。暴れまくるので、生体(人の体)はすぐに抗体、いわば軍隊の発動を命令し、発症後2日~1週間で獲得免疫が立ち上がり、抗体ができてくると氏は説明しています。

 多くのケースでは生体側が獲得免疫でインフルエンザウイルスを抑え込み、1週間~10日の短期で治癒する。しかし、抑え込みに失敗したケースでは肺炎が広がり、そうした場合は死に至ることもあるということです。

 一方、新型コロナはどうかと言えば、ウイルス自体の毒性が弱い故に、抗体の発動が非常に遅いことが報告されていると氏は話しています。

 勿論、そうした間に自然免疫が新型コロナを処理してしまい、無症状または風邪のような症状のもと「新型コロナに感染した」という自覚がないうちに治ってしまうことも多い。

 抗体ができる前に治っているので抗体陽性者自体は少いが、日本人の場合何某かの理由で自然免疫の力が強く、それが強い助けとなって欧米より被害が軽く出ているというのが現在の状況に対する高橋氏の見解です。

 そして、(細かい説明はここでは省きますが)氏らのグループがシミュレーションを行った結果では、日本では既に、国民の少なくとも3割程度が既に新型コロナの暴露を経験したとみられると高橋氏は指摘しています。

 暴露率は概ね30~45%程度。そして、暴露した人の98%が無症状か風邪の症状で済んでおり、自然免疫の力で治癒しているというのが高橋氏の認識です。

 一方、獲得免疫が出動(つまり抗体が陽性になる)するステージまで進んだ人は暴露者の2%程度。さらに、氏らの分析では、そのうちサイトカイン・ストームが発生して重症化するステージに進んだのは20代では暴露した人10万人中5人、30~59歳では同1万人中3人、60~69歳では同1000人中1.5人、70歳以上では同1000人中3人程度だろうというのが氏の考えるところです。

 これはあくまでもデータが限られる中での大ざっぱなシミュレーションだが、今後、データがもっと明らかになれば精緻化できるだろうと、高橋氏はこのインタビューで答えています。

 さて、もしも高橋氏が指摘しているように、日本人の生活習慣や遺伝的な要素の中に新型コロナウイルス感染症が重症化しにくい理由が隠されているとすれば、さらに細かな分析を重ねていく中でウィズ・コロナの未来への明かりが見えてくるかもしれません。

 この際、専門家の皆さんには是非、社会生活や経済活動に支障を来す行動変容を無理強いせずとも、普通の暮らしの中で「コロナと共に生きていく」ための手がかりを掴んでほしいと、氏の説明から改めて感じたところです。


♯1615 新型コロナウイルスって何?

2020年05月12日 | 科学技術


 急激な感染拡大により、もはや世界中で知らない人はいないと考えられる新型コロナウイルスですが、(報じられている電子顕微鏡の写真以外に)実際にその姿を肉眼で見た人はほとんどいないでしょう。

 多くの人々は、メディアに数多く露出している米国CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が公表したカラーのイメージ映像を見て、その(機雷のようなトゲトゲの付いた)独特な姿にさらに恐怖感を募らせているようです。

 実際、コロナウイルスは表面に他のウイルスとは異なる「王冠(コロナ)」のような突起(スパイク)を持っているためその名が付いたとされています。この突起はスパイクタンパク質から成り、標的となる細胞表面の受容体(レセプター)結合と細胞侵入の中心的な役割を果たしているということです。

 私たちの社会生活に大きな行動変容を迫っているこの新型コロナウイルスとは、実際のところどういうものなのか。これまでのインフルエンザウイルスなどとどこが違うのか。

 東京慈恵医科大学Team Covid-19 PCRセンターのホームページでは、同大学ウイルス学講座の教授の近藤一博氏が「新型コロナのウイルス学」と題するコーナーを設け、その特徴を簡単に解説しています。

 氏によれば、ヒトに感染する「コロナウイルス」には、①風邪の原因となる4種類のコロナウイルス、②重症急性呼吸器症候群を起こすSARSウイルス、③中東呼吸器症候群を起こすMERSウイルス、④そして今回問題となっている新型コロナウイルスの、大きく分けて4つの種類があるそうです。

 そして、新型コロナウイルスに関するウイルス学的な知見は未だ乏しいものの、SARSウイルスと良く似た性質を持っていると考えられているということです。

 それぞれのウイルスの構造は、(結果として)消毒法と密接な関係を持つと氏はこの論考で指摘しています。

 コロナウイルスは、教科書的には粒子の外側に脂質でできた膜(エンベロープ)を持つウイルス(エンベロープウイルス)に分類されるが、その性状はインフルエンザウイルスやヘルペスウイルスなどの他のエンベロープウイルスとはかなり異なっていると氏は言います。

 一般に、エンベロープウイルスは、エンベロープ上にあるタンパク質を使って細胞に侵入する。そのエンベロープは脂質二重膜からできているので、低濃度のアルコールや界面活性剤(洗剤)で簡単に破壊され感染性を失うということです。

 一方、新型コロナウイルスの場合は、(例のトゲトゲにある)スパイク蛋白を使って細胞に侵入するのが特徴です。スパイク蛋白はウイルスの構造に深く突き刺さっているので、エンベロープを破壊しても取り去ることができず、完全には感染性を失わない。腸管内でも感染性を保っているのがその証拠だと氏は説明しています。

 このため、新型コロナウイルスの消毒には、スパイク蛋白を変成することができる70%以上のエタノールや次亜塩素酸ナトリウムを使用する必要がある。一般的に使用されている消毒液には、エンベロープの破壊を目的に、低濃度のアルコールと界面活性剤を配合したものもあるが、それでは新型コロナウイルスの場合は感染性を完全に無くすことはできない可能性があるということです。

 ちなみに、消毒薬に抵抗性のあるウイルスに対して最も有効な手段は洗浄だというのが氏の認識です。ただし、皮膚の表面にあるウイルスを石鹸で浮かせ、水やお湯でしっかりとウイルスを洗い流すことが必要だということです。

 さて、次は、ウイルスとの関係で私たちが最も気を付けなければいけない感染経路についてです。

 新型コロナウイルスの感染経路は、喀痰や飛沫によって体外に出てきたウイルスによると言われているが、この2つはかなり性質が違うものだと近藤氏はしています。

 喀痰は、肺で増殖したウイルスを運ぶもので、体外に出た後の飛行距離が短いという性質がある。これに対して、飛沫やエアロゾルは、鼻や喉といった上気道で増殖したウイルスを運ぶもので、飛行距離や長いという特徴があるということです。

  2009年にパンデミックを起こした新型インフルエンザは、もともとブタのインフルエンザウイルスがヒト社会に入りこんだもの。流行当初は、ヒトの肺で増殖して致死率も高かったが次第に上気道で増殖するようになり、病原性も低くなったと氏はここで説明しています。

 この現象は、ウイルスの適応や進化によるものと考えられると氏は指摘しています。
もともとウイルスは、感染先を殺すことを目的としているわけではなく子孫をいかに多く増やすかを生存戦略としている。

 2009年の新型インフルエンザでは、もともとブタに適応していたウイルスが急にヒト社会にやって来て、訳も判らず肺で増えたり強い免疫反応を起こしたりしてヒトを次々と殺してしまったということです。

 しかし、ヒト社会に適応して生存するためには、宿主であるヒトを殺すことは不利な性質となる。そこで、ウイルスは急速に適応・進化を起こし、上気道で増えて、ヒトを殺さないウイルスに変わって行ったと、多くの専門家が考えているということです。

 肺で増殖するウイルスが拡散する手段である喀痰の飛行距離が短く、上気道で増殖するウイルスを広げる飛沫やエアロゾルの飛行距離が長いという性質もこれに力を貸した。つまり、ウイルスが広く人類と共生していくための進化だったと氏は言います。

 そうした経緯を考えれば、新型コロナウイルスにおいても現在、2009年の新型インフルエンザと同じ様なことが生じているように見受けられるというのが氏の見解です。

 これは、肺炎を起こす致死率の高いウイルスから、上気道で増殖する病原性の低いウイルス(すなわち普通の風邪のコロナウイルス)への変化として現れる。

 なので、この際、濃厚接触を避けることやマスクを着用することは、肺で増殖して喀痰で媒介されるウイルスの広がりを抑え上気道で増殖するウイルスへの進化を加速する働きがあると考えられると氏は指摘しています。

 そうしたことも踏まえ、現状で感染を予防する方法としては、集団免疫しか方法がないように思われるというのがウイルス研究の専門家としての近藤氏の見解です。

 一旦、完全な隔離を行っても、免疫を獲得していないと第2波、第3波の流行は防げない。しかし、スウェーデンで行われているような野放しの感染拡大による集団免疫獲得作戦では、感染による死者が増えてしまうことになると氏はしています。

 一方、これに対し、日本で行われているマスクと濃厚接触防止を絡めた集団免疫獲得戦術(のように見えるもの)は、スウェーデンのものよりも理にかなったものに思えるということです。

 もう一つ重要なポイントとして、ウイルスは一般的に「感染したウイルスの量と疾患の発症や重症度が相関する」という性質があることを氏は指摘しています。

 人と人との距離をとることは、感染時のウイルス量を減らす効果がある。同じ感染するなら、距離を開けて少ないウイルスに感染し、あまり強い症状を出さずに免疫だけを獲得することができればそれにこしたことはない。

 そういう意味で言えば、現在日本で行われている緩い外出制限は、(専門家の目にも)理にかなっているように見えるということです。

 ウイルス学者の目から見れば、感染を極端に恐れることなく、ウイルスに慣れ、ウイルスの進化を待つというのも、(経験則上)考慮すべきに足る基本方針のひとつだということかもしれません。

 新型コロナウイルスの性質に関する情報は未だ不足しており、今後の学問的進展によっては何とも言えない部分があるのは当然でしょう。

 そうしたことも含め、現状として大きな流れをこうして(ある意味おだやかに)解説するこの論考における(ウイルス研究者としての)近藤氏の意見を、私も大変興味深く受け止めたところです。


♯1575 遺伝と偶然がもたらす現実を生きる(その2)

2020年03月25日 | 科学技術


 行動遺伝学者で慶應義塾大学教授の安藤寿康(あんどう・じゅこう)氏は、1月10日の「現代ビジネス」に寄せた「男性の収入は遺伝でこれだけ決まるという『冷酷すぎる現実』」と題する論考において、人の知能や学力、パーソナリティや精神疾患はその50~60%が遺伝による強い影響を受けていると説明しています。

 人間の行動のあらゆる側面には遺伝の影響があり、瞬間の行動や判断、心の動きにも何らかの形でその人物の遺伝的な個性が表れるということです。

 しかし、だからといってあからさまに悲観的になる必要はない。それは別の見方をすれば、(その人がいかに経済的成功していようとも)実力とは別にたまたま儲かる仕事の機会にありつけたとか、そうした「偶然」の影響が30~40%近くに達していることも意味しているというのがこの論考における氏の見解です。

 特に男性の収入は、①その人が遺伝的素質をどれだけ伸ばしつづけたか、②そのときたまたまどんな仕事に恵まれていたか…の二つでほぼ説明がつき、学生時代や就職した当初の親や親族のコネの影響など雲散霧消してしまうと安藤氏は指摘しています。

 遺伝的な要素もさることながら、「偶然」という変数が(少なくとも「収入」という)結果には大きな影響を与えるということです。

 そもそも、収入の個人差に及ぼす遺伝の影響には一体どんなものがあるのか。

 そこには、どんな職業を選ぶか、就いた仕事の中でどれだけ必要な知識を学んだりスキルアップしたりできるか、日々勤勉に働き続けることができるか、その仕事ぶりが同僚や顧客などに評価され仕事のチャンスが飛び込んでくるような良好な人間関係を築くことができるかなど、いくつかのベーシックな能力を持ちあわせているかどうかがある。

 また、さらにその上には、学んだ知識やスキルや人脈を使って他の人が気づかないような新しい事業をひらめく先見の明とチャレンジ精神があるか、仕事がうまく行かなくなったときにもよい打開策が思いつけるか、なによりその仕事に魅力を感じ続けることが出来るかなどの能力があり、遺伝の影響は枚挙に暇がないと氏は言います。

 そして、そこに(自らが持つ遺伝的素質に基づく)個人の能力を支えてくれる(あるいは逆らってくる)特定の環境要因や偶然の出会いが関わってくるというのが氏の認識です。

 こうした要素のうち、実は、自らの「遺伝的素質」というのが最も気づきにくいと氏はこの論考に記しています。何と言っても、自分の遺伝的素質は自分の意思で変えることができない。変わらないものは気づきにくいということです。

 一方、自分でよくわかるのは環境の変化に伴って変わる部分だけだと氏は言います。
配置換えや転職で仕事環境が変わったおかげでいい仕事が出来るようになった。クズみたいな上司が飛ばされ、代わってすばらしい上司が来てくれた。突然理不尽なリストラにあい、路頭に迷うことになった…人生はかくのごとく環境の変化に翻弄されるということです。

 とはいえ、あなたの遺伝的な素質を見極めるヒントも、これまでのあなたの人生経験の中に折に触れて顔をのぞかせていたはずだと氏はここで指摘しています。

 昔からつい気になってしまうこと、なぜか好きで好きでたまらないこと(あるいはいつも嫌悪感を抱いてしまうこと)、たいした努力や経験を積んだこともないのに、なぜか人並み以上に出来てしまうこと(あるいは人並み以上に努力しても成果が得られないこと)など、もし自分で気がつかなくとも知人や上司から指摘されることがあったかもしれない。

 遺伝的才能というのは、日常のありきたりな場面の中で、どの瞬間にも発現しており、そして多くの場合、自分でも、他人からも見過ごされているのではないかというのが氏の説明するところです。

 肝心なのはそうした資質に「気づくこと」と「育てること」だが、もちろん皆が皆、秀でた遺伝的素質があるわけでもなく、また十全に開花できているわけでもないと氏は言います。

 その結果、その成果に見合った収入の個人差が生まれる。誰でも遺伝的に何かの才能を持っているなどと保証できるほど世の中は甘くないということです。

 しかし、その一方で氏は、こうした現実をあまり悲観的に捉えるのは適切ではないと言います。

 2万なにがしの遺伝子の組み合わせからなるヒトの遺伝的多様性と、一人の人間が一生を通じて出会う環境の多様性は、ともに想像を絶するほど大きい。

 今この時にも、誰かがどこかで遺伝的才能が発現されているはずで、それがきちんと一人ひとりの収入に結びつくような仕組みを、(これもまた才能ある人たちの創意工夫によって)作りあげられることを切に願うと氏はこの論考を結んでいます。

 両親から得た遺伝子によって組み上げられた「天賦の才」は、(その多寡や内容はそれぞれ違っても)個人の体や心を形作り様々な個性を作り出している。

 問題なのは人の能力や個性を画一的に評価・判断することではなく、様々な才能が見いだされ、発揮され、収入に結び付けられるような多様性を認める社会の創造ではないかと、私も安藤氏の論考から改めて感じたところです。

♯1574 遺伝と偶然がもたらす現実を生きる(その1)

2020年03月24日 | 科学技術


 現在、日本人2人に1人ががんに罹患するとされており、生涯のうちで何らかのがんに罹患するリスクは男性で60.0%、女性で44.9%とされています(「がんの統計2014年度版」)。

 このうち家族に集積して発生するがんは「家族性腫瘍」と呼ばれ、その中でも特に遺伝子の変異が親から子へ伝わることにより発症するものを「遺伝性腫瘍症候群」と呼ぶということです。

 例えば大腸がんの場合は約25%が家族集積性のがんであり、遺伝性と考えられるがんはそのうちの5%程度とされているということです。(公益財団法人 がん研究会HP)

 こうした現実を踏まえ、(家族をがんで亡くした人の中には)もしかしたら我が家は「がん家系」ではないかと心配している人も多いかもしれません。

 1月13日の毎日新聞は、そうした不安を抱える人を対象に、遺伝性の乳がん・卵巣がんの発症リスクを確かめる遺伝子検査をインターネットで依頼でき、結果の通知やカウンセリングもネットを介して行える有料サービスの提供を、千葉市内の企業が年内にも始めることになったと報じています。

 身長・体重、疾患のかかりやすさ、心身の健康度、発達障害や精神疾患、知能やパーソナリティなどほぼあらゆる「個人差」に関係していると言われるこのような「遺伝」の影響についての話題は、人権の問題などもあってこれまでタブーとされることが多かったような気がします。

 しかし、人間の体質や寿命、さらには気質や能力などを語るうえで、「遺伝」の影響が避けて通れないことは既に科学的に証明されていると言っても良いでしょう。

 1月10日の「現代ビジネス」では、人の持つ遺伝的な資質と収入の関係性について、行動遺伝学者で慶應義塾大学教授の安藤寿康(あんどう・じゅこう)氏による、「男性の収入は遺伝でこれだけ決まるという『冷酷すぎる現実』」と題する興味深い論考を掲載しています。

 一般に「無視できない遺伝の影響」とは概ね30%~60%程度とされ、(これまでの研究によって)特に知能や学力、精神疾患は遺伝率の高いほう(50~60%)に位置けられ、パーソナリティや社会的態度でも30~40%程度は遺伝の影響が認められると安藤氏はこの論考に記しています。

 「行動のあらゆる側面には遺伝の影響がある」―これが行動遺伝学の第一原則であり、瞬間の行動や心の動きにも何らかの形でその人物の遺伝的な個性が表れると氏は指摘しています。

 例えば、知能や学力の遺伝率が50%以上というのは多くの人にとって受け入れにくい数値であり、学校さえ卒業してしまえばあからさまにテストで比較されることもないので敢えて気にする人は少ないということです。

 実際、学校を卒業したてのころ、収入の個人差を一番説明するものは「共有環境」でおよそおよそ60%がこれで説明され、遺伝の影響はわずかに20%に過ぎないと氏はしています。

 「共有環境」とは家族が共有することでお互いに類似性を作り出す環境の効果のことを指す言葉。つまり、初めて職業に就くときは、親の意向や親族の人脈が(直接にせよ間接にせよ)影響力を及ぼして、初任給のよい会社、儲かる仕事にありつくことが出来る人もいれば、そんな境遇に恵まれずにぱっとしない仕事に甘んじてキャリアをスタートさせる人も多いことを意味するということです。

 ところが、そんな親の七光りや(逆に)出世の役に立たない(親族のおかげで与えられた)共有環境による貧富の差はその後20年余りをかけて仕事をこなし一人前になるに従って薄れ、徐々にその人自身の遺伝的実力が顕わになってくる。

 そして、(多くの場合)働き盛りの40代半ばに向かって共有環境の影響はどんどん減少し、逆に遺伝の影響が60%を説明するほどまで増加すると氏は説明しています。

 若くしてがんにかかってしまったのも、中年を過ぎた自分がいまだにうだつが上がらないのも、そもそも(運が悪かったり個人の努力が足りなかったのではなくて)親からもらった遺伝子のせいと考えれば、それはそれなりに諦めがつくものなのかもしれません。

 しかしそれは一方で、自分が上手くいかないのを誰かのせいにもできず、ただひたすらに優れた遺伝子を授からなかった己の不運を恨まなくてはならない辛い人生といえなくもありません。

 検査薬で遺伝子を調べることで自分の能力のあらましがわかってしまう時代とは、誰も努力したり期待したりすることのない、(それだけ見れば)至極残念な時代だといえるかもしれません。

♯1536 がん検診と過剰診断

2020年01月27日 | 科学技術


 人間ドックのオプションとして設定されているがん検診は、実はいろいろなものをやればやるほど良いというものでもないと、消化器外科専門医の山本健人氏が12月12日のYahoo newsに綴っています。(「がん検診の本当の目的とは?知っておくべき過剰診断という弱点」)

 それでは、(最近の報道にあった「血液一滴で全てのがんの有無が判る」というような)最新のがん検診はどう位置付ければよいのでしょうか。

 一般に、人間ドックのような任意型検診は、任意で自費で受ける検査で、そこには死亡率の低下が(現時点では)証明されていない検査も多く含まれているというのがこの論考における山本氏の見解です。

 検診でがんが判っても、それ自体が余命の延長に繋がるとは限らない。ましてや過剰診断により見つけても仕方のないがんまで見つけてしまって、心身に負担をかけることにもなりかねないということです。

 なので、任意型検診を受けたい人は、こうしたデメリットも十分に理解しておく必要がある。検診とは、全く無症状の人(現状では何も困っていない人)が受けるものなので、何の不自由もなく暮らしている人に「病気」のレッテルを張り、(効果の有無にかかわらず)不要な治療を受けさせる可能性があると山本氏はしています。

 そしてさらに検診には、もう一つ重要な「偽陽性」「偽陰性」という弱点もあるというのが氏の認識です。

 検診で行われる検査の精度は100%正確な訳でないことは自明です。ここで言う「偽陽性」とは、検診で「がんの疑いがある」と判定されて精密検査を行っても、がんが発見されない可能性を指す言葉です。

 精密検査には、がんの疑いを除外するためと、がんであることを確かめるための2つの意味がありますが、実際には一般的な検診で「要精密検査」とされた場合でも、本当にがんと判断される(陽性反応適中度)のは、胃がん検診では1.24%、最も可能性のある乳がん検診でも3.73%に過ぎないと氏は言います。

 一方、検診により「陽性」の結果を受けた人は、精密検査の結果が出るまで精神的な負担を抱えることになるし、検診で偽陽性が多ければ検査を受ける人の負荷は経済的に大きく手間としても大変になるのは自明です。

 一方、「偽陰性」とはその逆で、本当はがんにかかっているのに(検査の精度や部位の状況など、何らかの理由で)検診では見つけられない可能性を指す言葉です。

 検診を受けたにも関わらず病気が判明しない場合、(多少体調が悪くても)何も治療が開始されないケースが多い。そして、後日症状が表面化するなど診断や治療が後手に回った結果、生命の危険にさらされる場合もあるというのが氏の見解です。

 一般に「偽陽性」と「偽陰性」は、(一方を低下させようとするともう一方が上昇してしまうという)トレードオフの関係にあると山本氏はしています。

 例えば、偽陰性を低下させようとして検診の感度を高め、少しでも疑いがあれば「要精検」とすると偽陽性の出現頻度が大きく上昇してしまう。検診結果の判断には、我々一般人が思っている以上に経験値に基づいた非常に繊細で適切な取り扱いが求められるということです。

 さて、山本氏のこの話を聞いて私が思い出したのは、原発への津波被害による放射能漏れに見舞われた福島県が、子供たちを対象とした甲状腺がんのスクリーニング検査を続けている問題です。

 福島県では、東京電力福島第一原発事故当時18歳以下だった子ども約38万人を対象に甲状腺を継続的に高精度エコーで調べるという世界でも前例のない大調査を行っており、現在4巡目を迎えています。

 そしてその結果、これまでに231人の子供が「悪性の疑い」と判定され、168人が手術を受けたという事実があります。

 一般に小児甲状腺がんの発生率は100万人あたり年間数人と言われています。このため、福島県で甲状腺に異常があるとされる子供が極めて高頻度で見つかっている現状に対し、「事故の際に漏出した放射能の影響」として政府及び東電の責任を問う声もあるようです。

 しかし、冷静に考えれば、この結果を「過剰診断によるもの」と考えることにもかなりの合理性が感じられるところです。

 実際、検査を行っている福島県県民健康調査検討委員会の甲状腺検査評価部会の委員らからは「検査の不利益を強く打ち出すべき」との声も強く上がっており、今年6月に発表された中間報告では、「現時点では甲状腺がんと被ばくとの関連は認められない」との判断が示されているようです。

 症状のない子どもたちの甲状腺を次々と高精度の超音波で調べたことで、発見しなくてもよかったがんを次々と発見してしまったのではないか…そう懸念する専門家も多いということでしょう。

 見つかった変異についての治療を勧められ実際に甲状腺の切除などを行えば、当然、その子の(その後の)長い人生のQOLを大きく下げてしまうことに繋がります。

 例え、良かれと思って行った検査でも、もしもその結果として小さな子供に不要な手術を強いてしまっていたとすれば、それは不幸なことと言わざるを得ません。

 こうしたことからも判るように、(医療や保健への意識が高まる中)私たちは清潔や栄養などに細かく気を使い「完全な健康」を求めがちですが、人間の体はどうやら「きれい」であればあるほど良いというものではないようです。

 特にがん検診に関しては、腫瘍マーカーによる検査から遺伝子のチェックに至るまで様々な技術開発が進む昨今ですが、あんまり神経質になってストレスをため込むことは、(それ自体)健康を害する原因になるかもしれないと私も改めて感じたところです。


♯1500 時間と空間

2019年11月28日 | 科学技術


 9月15日の日経新聞(日曜版)に、作曲家で文化功労者の池辺晋一郎氏が「埒もないことを…」と題する一文を寄せています。

 池辺氏は最近、(時折ではあるが)妙なことが気になるとこのエッセイに記しています。よく考えればどうでもいいことかもしれないし、考えたとしてもしょせんは門外漢。何かが分かるはずもないのだが、(歳のせいか)つい思いを馳せてしまうということです。

 例えば、それは「距離」と「時間」の関係について。

 私たちは距離の大きさを示すのに「長い、短い」という表現を用いるが、時間についても「長い、短い」を使う。僕の知る限り外国語でも、英語ならば距離も時間も「ロング、ショート」と言うがこれはなぜなのだろう…そう氏は疑問を呈しています。

 長い距離を歩くにはそれなりの長い時間を要するから、と言ったところで、どこか納得がいかない。だって、距離と時間はまったく違うものではないかというのが氏の感覚です。

 「宇宙は刻々と膨張している」とどこかで読んだが、それでは宇宙はどこへ膨張しているのか?そのためのいわば「余地」が、宇宙の外側にあるのだろうか。であれば、そこは宇宙ではなくて何なのか?疑問は尽きないと氏はしています。

 科学者なら明快な答えを持ちうるのだと思うが、その方面にまるきり弱い人間としては、疑問が広がるばかり。広がるのは宇宙ではなく、僕の裡(なか)にある疑問の余地だというのが氏の見解です。

 ところが、ある時はっと気がついたことがあると、氏はこのエッセイに綴っています。

 空間ばかりでなく時間も、実は刻々と広がっているではないか。それなのに、時間がどんな「余地」を膨張しているかなどと誰も考えない。そう考えれば、時間と距離には共通点があると言えるのかもしれないというのが池辺氏の指摘するところです。

 言葉というものが生成された時代、太古の人類はそのことを知っていた。だから、「長い、短い」と同じ表現を用いた…そういうことなのだろうか。いずれにしても僕が考えるのはここまでで、いずれ科学者ならびに言語学者にこのことを尋ねてみたいと氏はこの一文を結んでいます。

 さて、古来よりそもそも「空間」は、世界や宇宙の前提となる構成要素(つまり物理学の所与の条件)として考えられてきたと言えるでしょう。空間とはつまりは空っぽの入れ物で、ものが物理的に「存在」するために欠かせない背景だということです。

 一方、(そういう意味で言えば)絶対的に経過していく「時間」も同様に、「存在」が運動や変化を生むための前提として与えられている条件だととらえられてきたと言えるでしょう。

 ニュートン力学では、こうした私たちの暮らす「宇宙」に与えられた時間と空間(時空)を絶対的なもの(「絶対時間と絶対空間」)としてとらえ、空間は物理現象が起きる入れ物である(何物にも規制されない)3次元ユークリッド空間で、時間はそれとは独立した宇宙のどこでも一様に刻まれるものだと定義づけられました。

 しかし、その後の物理学者は(数々の理論の統合を目指す中で)こうした時間と空間が実は複雑な系を形成している可能性を発見し、私たちの宇宙がこうしたひとつの系として「存在」していると考えるようになってきています。

 中でも、相対性理論で有名なアインシュタイン(Albert Einstein)は1905年、特殊相対性理論により時間と空間が互いに関連し合って1つの四次元時空間を形成すると説明しました。

 動いている物体の長さや進み方が静止しているときに比べて縮んだり遅れたりする「特殊相対論的効果」は、時間と空間が互いにその一部を交換して生じるからこそ生じる。空高く投げ上げたボールが弧を描いて地面に戻ってくるのは地球が周囲の時空をゆがめているためで、それによってボールの軌跡が地面と再び交わることになるということです。

 また、その後の量子力学理論の発達やブラックホールの研究などによって、宇宙には(少なくとも人間の感覚では)これまで想像もできなかったような空間や運動の存在の可能性が次々と導き出され、私たちが認知できる時空を前提とした「存在」の在り方自体が議論される時代を迎えているようです。

 宇宙が膨張しているとすればどこに膨張しているのか。宇宙に(「ビッグバン」と言われるような)始まりがあるとすれば、その前には何があったのか。

 もとよりそうした疑問は尽きませんが、(恐らく)物理学者の言う「宇宙」とは、夜空に広がる「宇宙空間」そのものでは既になく、現在の私たちが暮らす(整理された時間と空間、エネルギーなどで織りなされる)一つの「秩序」のようなものを指すのではないかと思うところです。

 従って、その外側にはまた違った秩序があるかもしれないし、ないかもしれない。いずれにしても、それはすでに「ある」とか「ない」とかといった人間の認知を超えるとしか言いようがありません。

 そういう意味では、時間にはやはり「始まり」があるし、空間(宇宙)にもきっと「果て」があるということになるのでしょう。



♯1496 お月様はどうやってできたのか?

2019年11月21日 | 科学技術


 アメリカの月探査ロケット「アポロ11号」が世界で初めて月着陸船「イーグル」を月面に着陸させたのは、1969年7月20日のこと。アームストロング船長が月面に降り立つ姿は全世界に生中継され、当時小学生だった私も(家族そろって)茶の間の白黒テレビで見たのをしっかりと覚えています。

 それからちょうど半世紀、中国や日本に先駆けて火星探査船を打ち上げるなど急ピッチで宇宙開発を進めるインドが、7月22日に月面への着陸を目指す月探査船「チャンドラヤーン2号」の打ち上げに成功し地球の周回軌道に乗せたとの報道がありました。今後は数度にわたって徐々に高度を上げて月へと進路変更し、約38万4000kmの距離を48日間かけて月面に向かうということです。

 インドが月着陸に挑戦するのは今回が初めて。もしも成功すれば、米国、ソ連、中国に続き世界で4番目に月着陸を成功させた国になる見込みです。

 報道によれば、チャンドラヤーン2には、①月の地形や鉱物学、表面の化学組成、熱物理的特性、大気の研究などを行う、②将来の月面でのミッションに向け、月着陸や探査車の走行といった技術の実証を行う、という2つのミッションが課せられているということです。

 また、特に注目されているのが月における「水」の存在をめぐる探査で、その有無や、埋蔵量、資源として利用できるか否かなどについてデータを集めることとさています。

 水は、生物が生きていくうえで必要不可欠なもので、もしも月に水があり現地調達が可能であれば人類の月探査や移住が大きく進むことから、その成果が期待されているところです。

 さて、地球に暮らす人類にとって、最も身近な天体が月であることは間違いありません。夜空にぽっかり浮かんだお月様を見ると、なんであんな大きくて丸いものが空にあるのか、そして、これほど身近な存在なのにその詳細がよくわかっていないことに改めて驚かされます。

 お月様はどうやってできたのか?なぜ、ぐるぐると地球の周りをまわっているのか?

 7月21日の日本経済新聞では、月に関するこうした基本的な疑問に対し「月の起源は地球のマグマ? 日米グループの新説に注目」と題する興味深い記事を掲載しています。

 記事によれば、天文学者を長く悩ませてきた「月の誕生」のプロセスについて、最近、日米の研究グループが新説を打ち出し「有望な提案だ」と注目されているということです。

 海洋研究開発機構の細野七月特任技術研究員や米エール大学の唐戸俊一郎教授らが英科学誌「ネイチャー・ジオサイエンス」に発表した研究論文によると、原始の地球の表面は岩石が溶けたマグマで覆われており、月は主にこの「マグマオーシャン」から造られた可能性があるということです。

 現在、月の誕生を説明する最も有力な学説は「巨大衝突説」というものだそうです。

① 約46億年前、誕生して間もない地球に「火星サイズ」の天体がぶつかった。
② 衝突で天体は粉々になり、地球の表層は超高温のため岩石が蒸発して地球を円盤状に取り巻くガスやちりになった。
③ 円盤は徐々に冷えて固まり、一部が伸びてちぎれて月になった。
というのが「巨大衝突説」が描くシナリオです。

 研究グループでは、この「巨大衝突説」をベースに理化学研究所のスーパーコンピューター「京」で模擬実験を繰り返し、マグマオーシャンという新たな視点を加えることで従来とは違うシナリオにたどり着いたと記事は説明しています。

 そもそも、巨大衝突説が定着した背景には、アポロ計画による月の探査があると記事はしています。

 それ(アポロ11号)以前、月の起源には、
① 原始太陽を取り巻くガスとちりの円盤の中から地球と月が兄弟のような天体として形成されたという「共成長説」
② 高速で自転していた原始地球の一部が飛び出して月になったとする「分裂説」
③ たまたま通りかかった天体が地球の重力で捕らえられたという「捕獲説」
の3つの仮説があったということです。

 ところがアポロ11号が地球に持ち帰った「月の石」の組成を分析してみると、地球の岩石に酷似していることが判り、捕獲説は否定されたと記事は言います。

 また、また月の深部にある中心核の大きさが地球よりはるかに小さい事実や、月の表層部に揮発性の物質が乏しいという観測結果などから、共成長説と分裂説も矛盾点が多いと支持されなくなったということです。

 その点、巨大衝突説はアポロ計画が明らかにした結果と整合性が良かった。しかし、従来の巨大衝突説ではうまく説明できなかったのが、月の石が地球の岩石と似すぎていたことだと記事は説明しています。

 巨大衝突を起こした原始の地球と火星サイズの天体は、原始太陽系の別の場所で誕生したと考えられ地球とは組成が違うはず。つまり、月の岩石は衝突相手の天体の物質が主成分となり地球の岩石の組成とは異るはずだということです。

 一方、細野特任技術研究員らが唱える新説では、原始の地球は微小な天体が衝突し合体を繰り返してできたため、(巨大衝突が起きた当時は)地表にはマグマオーシャンがあったとされています。

 そして、質量が地球の10分の1程度の天体がマグマオーシャンが広がる原始の地球に衝突する「巨大衝突」したとすると、スパコンのシミュレーションからは、原始地球を取り巻くガスとちりの円盤の主成分は地球のマグマオーシャン由来の物質になるということです。

 なお、記事によれば、米国のグループがより激しい巨大衝突を想定してシミュレーションしたところ、原始の地球の岩石はほぼ完全に蒸発してしまい、地球を取り巻くガスとちりの円盤の中で地球の岩石層と月がその中から新たに造り出されたということです。もちろんこの場合も、月の岩石と地球の岩石の組成はほぼ同じになることに変わりはありません。

 思えば、1970年の大阪万国博覧会のアメリカ館の目玉展示として会場の中心近くに最も目立つ形で飾られ、多くの人が何時間も行列したうえで見上げた「月の石」が、こうした形で現在も注目されているのは不思議な感覚です。

 現在、インドばかりでなく、米国の民間企業や中国、ロシア、欧州、そして日本と、世界が、半世紀の歳月を経て再び月を目指し探査を計画しているということです。

 探査や研究の先に何が待っているかはまだわかりませんが、未来の人類の可能性が広がる何か面白いことが始まりそうな、そんな予感がしないでもありません。

♯1411 地熱発電の可能性

2019年07月24日 | 科学技術


 政府は昨年7月、日本のエネルギー政策の中長期的な方向性を示す「第5次エネルギー基本計画」を閣議決定しました。地球温暖化対策のパリ協定発効を受け、再生可能エネルギーを「主力電源化」をめざす方針を初めて打ち出したところにその特徴があるとされています。

 一方、新計画では、新たなエネルギー技術の開発が世界的に進んでいない現状を背景に、2030年までに達成する電源構成を「再生可能エネルギー」で22~24%、「原子力発電」で20~22%、「火力発電」で56%とする従来目標を踏襲しています。

 こうした政府の方針に対し、(東日本大震災における福島の原発事故以降その危険性が大きくクローズアップされている)原子力発電推進の姿勢が維持されているとして世論からは批判の声も上がっています。

 福島第一原子力発電所の事故発生後、電力各社の原発は長期間止まっています。事故後にできた新規制基準のもとで再稼働した原発は伊方原発などのわずか9基で、全電源の3%程度に過ぎません。

 政府目標の「原発比率20~22%」を達成するにはおよそ30基程度の再稼働が必要となるということですが、2030年時点で寿命前の原発をフルで稼動させても発電量は全体の15%程度だということです。

 日本原子力産業協会が原子力関連企業を対象にした調査でも、2030年度までに総発電量中の原発比率を2割台に引き上げる政府の目標を「達成できる」とする回答は全体の1割にとどまったとのことです。

 そこで、期待されているのが再生可能エネルギー増産への方針転換です。しかし、主力電源化を目指す再生可能エネルギーに関しては技術的な課題も数多く指摘されています。

 太陽光を中心とする固定価格買い取り制度により、利用者が支払う賦課金は(現在でも)年間2兆円に達しています。これは、標準家庭に割り戻すと1世帯当たり(年間)1万円に近い水準であり、国民負担を抑えるためにも割高な価格水準の是正は急務となっています。

 こうした中、未利用エネルギーとして新たに注目されているのが「地熱発電」と言われています。広く知られているように日本は世界でも屈指の火山国であり、その埋蔵量自体は無尽蔵と言ってもよいでしょう。

 そうした意味で言えば、地熱発電は日本にとってまさに「うってつけ」の発電方法のようにも思えますが、現在、地熱発電の電力供給量が54万kWと総発電量の0.2%にすぎないのはなぜなのでしょうか。

 5月14日の総合情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」では、地熱発電の歴史と現状などについて九州大学名誉教授で地熱情報研究所代表の江原幸雄氏に話を聞いています。

 江原氏によれば、地熱発電が扱う地熱エネルギーとは、「地球内部の熱(中心部約6370kmの深さでおよそ5000~6000℃)のうち、地表から数km以内に存在する利用可能な熱エネルギー」のことを指すということです。

 その地熱エネルギーでつくられた蒸気や熱水がたまっているところを「地熱貯留層」といい、この地熱貯留層に井戸を掘りって吹き出した蒸気の力で直接タービンを回し、発電機を動かすのが(いわゆる)地熱発電だということです。

 あまり知られていませんが、日本では1966年に岩手県松川地熱発電所が日本で初めて建設されて以降、1999年までに日本全国で18ヵ所、総設備量54万kWの地熱発電所が稼働していると、この記事で江原氏は説明しています。

 しかし、今年の1月に約22年ぶりに岩手県で出力7000kWを超える地熱発電所が本格的に稼働するまで、地熱発電所の建設は遅々として進んでこなかった。日本には2347万kW(発電量換算)の地熱資源があり、アメリカ、インドネシアに次いで世界3位の「資源大国」なのに地熱発電に対する関心は低かったということです。

 なぜこれまで地熱発電が普及しなかったのか。江原氏によれば、1970年代のオイルショックに当たり石炭や石油に代わる資源として候補に挙がったものの、石油供給事情が好転する中で、地熱を含めた再生可能エネルギーよりも(主にコストの面から)原子力および石炭が選択されたということです。

 ところが、2011年の東日本大震災による福島第一原発事故後は事情が変わった。原子力は安全性に問題があり、さらに世界的に高まるCO2削減対策から太陽光や風力、地熱発電などの再生可能エネルギーに注目が集まったと氏はしています。

 地熱発電は、太陽光や風力のように発電量が昼夜、年間で変動することもなく、1年365日、朝から晩まで24時間、発電し続けられる。その上、地球内部の莫大な熱を利用するため、エネルギー源が枯渇する心配がないのもメリットだということです。

 さて(ここからが本題なのですが)、にもかかわらず東日本大震災以前、地熱発電の普及には特有の問題が立ちはだかっていたと江原氏はこの記事で指摘しています。

 その一つは、「国立公園問題」と呼ばれるものです。日本の場合、約100ある活火山の多くは国立公園(および国定公園)内にあり、地熱資源量2347万kWのうち81.9%がその国立公園内特別地域内にある。こうしたことから、1972年には旧通産省と旧環境庁との間で覚書が結ばれ、環境保護が必要な国立公園内特別地域では新たに地熱発電所は建設しないという方針が示されたということです。

 しかし、東日本大震災以降はこの規制も徐々に緩くなっていると江原氏は言います。これまで国立公園の約2割の場所でしか調査、建設できなかったものが環境や生態系に影響を与えないとされる地域にまで対象が広がり、地元の同意を得られれば国立公園内の約7割にあたる場所で地熱発電所が新設できるようになったということです。

 原子力へのプレッシャーを背景に、地熱エネルギーの活用について日本もようやくスタートラインに着いたということでしょう。

 そして、地熱発電所建設の前に立ちはだかるもうひとつの(大きな)「壁」が、温泉地の問題。具体的に言えば、「温泉地周辺で地熱発電所が建設されると、温泉が枯れてしまうのではないか」といった理由で(地元地域から)反対の声が上がるというものです。

 実際のところ、日本の場合、温泉が枯れる心配はない。日本の地熱発電所の歴史は50年を超えるが、温泉が枯れた例もないと氏はこの論考で説明しています。

 温泉の多くは地表から100~200mの浅い温泉帯水層から温まった地下水を採取しているが、地熱発電は、地表から1~3kmにある地熱貯留層から熱を取り出すもの。温泉帯水層の下に地熱貯留層があり、地熱貯留層から熱を取っても温泉帯水層には構造的に影響しないというのが江原氏の見解です。

 江原氏によると、日本が地熱発電を始めて50年以上がたっているものの温泉に悪影響を与えた例は1つもなく、むしろ近隣で温泉を掘り合うことの影響の方が大きいということです。とはいえ、温泉事業者にこうした話をしても、最終的には了承を得られないことがまだ多く、既得権に対する配慮が今後の一つのハードルになるだろうと氏は指摘しています。

 さて、このような課題はあるものの、国では2030年度までに、地熱発電で現在の3倍にあたる150万kWを発電することを目標としていて、既に全国100ヵ所ほどで調査・発電所建設が始まっているとされています。

 大規模な地熱発電(万kW級)は発電設備をつくるための調査や開発に少なくとも10年はかかってしまうが、それでもこの5月中には、秋田県湯沢市山葵沢(わさびざわ)に4万2000kWの地熱発電所が稼働することが決まっているという説明もあります。

 こうして(徐々にではあるが)、日本でも地熱発電所を推進していくための土壌はでき始めているということです。将来、地熱発電のシェアが増えていくのは間違いないとする記事の指摘は、エネルギー問題に直面している私たち日本人にとっても大きな朗報と言えるのではないでしょうか。