
今年は11月3日まで、横浜の都心臨海部を中心に「横浜トリエンナーレ」が開催されています。
このイベントは、横浜市で3年に1回開催されている現代アートの国際展で、2001年の第1回から、すでに今年で開催5回目を数えています。
横浜トリエンナーレは、これまで、国際的に活躍するアーティストや無名の気鋭アーティストを内外に広く紹介してきました。世界最新の現代アートの動向を国内に広く発信することで、現在では国内のアートシーンにおいても一定の影響力を持つようになっています。
特に首都圏においては、一般の人々を巻き込んだ国内最大規模の「市民参加」のアートフェスとして、都市とアートとの関係や都市におけるアートの存在価値について様々な視点を投げかけてきたイベントと言えるかもしれません。
組織委員会の公式ホームページによれば、横浜トリエンナーレの開催目的は、「アートを通して、まちにひろがり、世界とつながり、横浜のまちづくりに寄与しつつ、新しい価値を世界に発信することを目指す」こととしています。
実際、2011年に開催された前回の横浜トリエンナーレでは、約3500人の市民サポーターが広く運営を支えました。そして、83日間の開催期間中の入場者は延べ33万人余りを数え、開催に伴う経済波及効果は43億6000万円と推計されています。
国内におけるこうした(特に現代アートに焦点を当てた)アートイベントは、経済的には「失われた」と呼ばれるこの20年間の間に、全国各地で開催されるようになってきています。
横浜トリエンナーレの例のみならず、古くから北陸の中心都市であった金沢市や「大地の芸術祭」の新潟県の越後妻有地域、「直島アートプロジェクト」で知られる瀬戸内海に浮かぶ香川県直島(なおしま)町など、地域の関係者の参加・共働のもとで、アートによる地域資源の新たな活用の活用を切り口とした地域の活性化が試みられています。
こうした、アートの力を用いた市民参加型の地域活性化政策は、昭和の時代、高度成長期の日本では、地域の中になかなか受け入れられにくい存在ではなかったかと思います。
しかし、長期にわたる経済の低迷を経験する中、現代アートとアーティストの活動がこうした形で地域の中に実際に根を張り、住民ばかりでなくかなり広域的(場合によっては国際的にも)に高い評価を受けている事例がいくつも見受けられるようになったことは、日本の社会がそれだけ「成熟」しつつあることの証左であると言えるのかもしれません。
さて、先日、こうしたいわゆる「アートによるまちづくり」の試みを進めていることで知られる大分県別府市で、様々なアートイベントを仕掛け、自ら現代アートのトリエンナーレである「別府温泉混浴温泉世界」の総合プロデューサーを務めるNPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事の山出淳也(やまいで・じゅんや)氏の講演を聞く機会がありました。
別府市とは地縁、血縁のまったく無い山出氏が、ひょんなことから衰退していく温泉街のアートによる活性化を志し、市内に散在する空き店舗をギャラリーなどで活用しつつ、地元の観光協会や商工団体、行政などを巻き込みながら、地元の人が気が付かなかった様々な地域資源を活用した取り組みで周囲を驚かしていった様子を、大変興味深く伺ったところです。
さて、山出氏の経験談を聞きながら、こうした都市の活性化というシーンにおいて、「アート」が持っている力とは一体何だろうかと少し考えました。
「アートによる地域の活性化」と聞くと、私たちはつい、「街中で面白いことをやって話題性を高めお客さんを呼び込む」手法と考えがちです。しかし、アートが都市にもたらす力(影響力)は、交流人口を増やすとか、そんな小さなものではないと山出氏は考えています。
アートの本質のひとつには、「人を驚かすこと」があると山出氏は言います。質の高いアートに触れることで人々は驚き、触発され、感性が活性化される。また、(これはアートの質の問題とは直接関係ないのですが)創造性の高いアーティスト達と触れあうことで、日常生活がリフレッシュされ人々は自分でも動き出したくなるというものです。
さらに氏は、現代アートには、人に、「他人との違い」を受け入れることができるようにする力があるとしています。芸術性や優劣を競うのではなく、違いを受容し、尊重し、そして楽しむ。作品に込められた様々な視点を肯定的に捉え、人々を「前向きにする」力だということです。
こう考えてくると、都市とアートとの関係性においては、その中に飛び込み、さらには自ら創造に参加することに大変重要な意味があるように感じます。
都市の中のアートは日常的な生活空間の中に非日常的な空間を作り出し、また住民は創作活動に参加することによって日常とは違った時間を体験する。さらに、様々なアートやアーティストに接することで住民は自らの創造性を触発され、自らも創造に取り組み、またアートイベントなどの集団的な取り組みにも参加したくなる。
アートによりアクティブに活性化された住民は、アートによって繋がり、活動の拠り所となる地域に興味を持つようになる。自分たちの街をどうしようかと考えるようになる。つまり、都市(地域)にアートの要素を持ち込むことによって、住民は都市(地域)への帰属意識を高め、住民が活性化することにより都市自体が活性化することになるというものです。
山出氏は、自らを「アジテーター」(扇動者)と標榜しています。
人々に議論を吹き掛け、人々の感性を揺さぶり、行動に導く。自らが実際のアートの主体として中心的な役割を果たすのではなく、むしろ地域の多くの当事者(住民)を触発し実際の行動に移ってもらうことを目的としている。そして、住民が自ら考え、それぞれに内在する創造性を発揮することにより自らが暮らす街の活性化を実現してもらうことが、自身の役割だということになるのでしょうか。
アートには人を活性化し、人々が暮らす都市(地域)をも活性化させる力がある。(きっとそうだろう…)でも、道端に彫像を置くだけでは人々は動き出さない。そこには住民の心の導火線に火をつけ、感性を揺さぶる優秀な「アジテーター」の存在が不可欠なのだろうということを、小出氏のお話を聞きながら改めて感じたところです。