物価が日本の1/3の国から来た夫との国際結婚ほどほど節約生活

豪州ワーホリ→独ワーホリ→ポーランド日本語教師1年→アメリカ2ヶ月→地元で国際結婚生活。
無理しすぎない節約が好き。

怒涛の2週間 その1

2010-01-29 12:07:53 | Weblog
こんにちは、タカエです!

タイトルの通り、この2週間は大変でした・・・。
順を追って話しますね。


1月12日、卒業論文を提出した後、私はイギリスのYouth Mobility Scheme Visa (俗にいうワーキングホリデービザ)の申請のため、東京へ行くことになっていたので、その準備を進めていました。
本当はもっと近い大阪で申請したかったのですが、1月初めの時点で申請予約(イギリスのビザは申請のためにビザセンターへ直接行かなければならず、しかも予約が必要)が大阪のビザセンターは空きがゼロ。仕方なく東京のビザセンターに出向くことに。4本の夜行バスを予約し、申請用紙や資金証明などその他もろもろの必要書類を用意しました。

1月18日、私は夜行バスでここを出発し、まず大阪に着き、近郊の伯母の家に一泊しました。
20日の夜、東京に向けて大阪を出発。
21日早朝、東京に到着。電車でビザセンターの最寄の駅に到着、コンビニでご飯を買って公園で一人で朝食。私のご飯を狙う鳩たちを目で追いやり、8時の予約時間10分前にビザセンターに到着。




そこでですよ。



ビザセンターは8時からで、それまでドアの前で待機。私のほかに数名ビザ申請の人がいて、その中の一人は私と同じビザを申請しに来ていました。

すると一人のスタッフが掲示板をドアの前に持ってきたのです。


真ん中あたりに張られた一枚の紙。


“Youth Mobility Schemeビザは、18日に発行数に達したため募集を修了いたしました。今回の応募に大変多くの人に興味を持っていただいてなんとかかんとか・・・・”

なーんてことが書かれているではありませんか。


一瞬わけの分からない私。
もう一人の方も呆然。


8時になって係の人が受付を開始。


もちろん私ともう一人の人は詳しいことを知りたい。係の人に尋ねても、

「ここではビザの発行、審査については詳しいことをお教えできませんので」

みたいなことを言われ。

まあそうだよね。ウェブサイトにも書いてあったし。
ここはビザ審査する場所じゃないし。


ビザセンターを出てすぐさま両親に電話。



「私ビザ申請できなかったよ!!!もう定員に達したから募集終了だって!」


ってね。

もちろん両親も事情がよく分からないので、一通り説明した後、私は東京の知り合いと会うため上野へ。


山手線で新橋から上野へはそんなに時間がかからないのですが、何しろ申請できずに待ち合わせの時間までかなり余裕があったので、私は山手線を逆周りで上野へ。

電車に揺られて、これからどうしようかな~なんて考えていたのです。



その2へ続く。