伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
Akira Ifukube : Sinfonia Tapkaara
【演奏】
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団
【録音】
2017年6月1-2日 東京オペラシティ コンサートホール
1-2 June,2017 Tokyo Opera City Concert Hall
伊福部昭:ゴジラ〜交響ファンタジー「ゴジラVSキングギドラ」より
Akira Ifukube : Godzilla -Symphonic Fantasia "Godzilla vs Kingghidora"【演奏】
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団
【録音】2017年6月1-2日 東京オペラシティ コンサートホール1-2 June,2017 Tokyo Opera City Concert Hall
「阿波おどり」熱狂的な乱舞 「阿波おどりの大事さ改めて感じた」南海トラフ臨時情報の発表受け
徳島の夏の風物詩「阿波おどり」が開幕し、会場では熱狂的な乱舞が繰り広げられました。「ソレ、ソレ、ソレソレソレソレ」12日、徳島市の「阿波おどり」が屋外の演舞場など...
gooニュース
【演奏】
團伊玖磨(指揮)[第3番-第6番]
山田一雄(指揮)[第1番、第2番]
ウィーン交響楽団
アナ・プサール(ソプラノCD4)
赤尾三千子(能管、篠笛 CD4)
【録音】
1988年6月、7月
1989年1月、6月、7月
ウィーン、コンツェルトハウス
《 … 日本を代表するシンフォニスト團伊玖磨の6曲の交響曲を集めた唯一の全集。山田耕筰や諸井三郎に学びオペラ≪夕鶴≫から童謡(ぞうさん、やぎさんゆうびん、など)まで幅広い音楽を作曲した團伊玖磨(1924-2001)。1950年NHK創立25周年記念管弦楽曲募集コンクールで特選入賞(第1位)を受賞した交響曲第1番から、1985年の被爆40周年広島平和コンサートのために作曲された交響曲第6番"HIROSHIMA"まで、團伊玖磨作品の変遷をたどる、完成された6曲の交響曲を集めた唯一の全集。… 》
〘 2015/2016シーズン
オペラ「夕鶴」/團伊玖磨
Yuzuru/Dan Ikuma
全1幕〈日本語上演〉
オペラパレス
つうの哀しみが胸深く染みる...
国民的人気を誇る日本オペラの代表作
オペラ「夕鶴」は、民話に題材をとった木下順二の名作戯曲に、團伊玖磨が作曲した日本オペラ史上最高傑作のひとつです。国内外での上演は1952年の初演以来800回を超えており、今や世界的に愛され親しまれている作品です。美しい詩と抒情性あふれるメロディーは、深く心に染み透り、感動を覚えずにはいられません。栗山民也演出によるプロダクションは、能舞台を思わせる装置に、「空」をイメージする背景、その中に与ひょうの住む家が一軒というシンプルで美しい舞台が特徴。つうはそこから「自分の本当の住処」である空へと戻っていきます。…
〙
祭りがテーマのクラシック音楽作品:《動物の謝肉祭》や《ローマの祭り》をはじめとする9の名曲選
今年は、日本を含め世界中で様々な祭りや花火が3年ぶりに開催されるという明るいニュースを多く耳にする年になった。今回、そんなわれわれを惹きつけて止まない様々な祭りを...
uDiscoverMusic | 洋楽についての音楽サイト
【外山雄三:管弦楽のためのラプソディー;黛敏郎:バレエ音楽《舞楽》,他】「外山雄三」の音楽人生に見るプロフェッショナリズム - gooブログはじめました!
外山雄三:管弦楽のためのラプソディ[ナクソス・クラシック・キュレーション#ゴージャス]管弦楽のためのラプソディー外山雄三:管弦楽のためのラプソディー【演...
goo blog
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」/伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ、ゴジラ〔UHQCD〕 | ディスコグラフィ | アンドレア・バッティストーニ / 指揮者 | 日本コロムビアオフィシャルサイト
アンドレア・バッティストーニ / 指揮者のドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」/伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ、ゴジラ〔UHQCD〕の詳細ページです。CD・DVD・動...
日本コロムビア公式サイト
〘 … カップリングの伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」は、メインの「新世界」以上に激烈な凄演です。
西洋音楽を母胎に、北海道の先住民の言葉を母国語とし、土着の音楽を身にまとって生まれた交響曲。
そこには、21世紀を生きる日本人にとっての「音の原風景」がある。大自然の中を生きる人々の、日々の営みから生まれた歌と踊りが、管弦楽の響きの中で息づき、鼓動し、たしかなかたちを得て、生命の讃歌へと燃え上がっていく。
そのさまを、バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団は、喜びと愛情をこめて、熱く、生き生きと描き出しています。
両端楽章のクライマックスを聴いていると、じっと座っていられないほどに高揚してしまいます。特に、第3楽章の後半では、腹の底から訳のわからない未分化な感興がむくむくと湧きだしてくるのを抑えられません。
激しく叩きつける強烈なビート。アイヌの舞踏に由来するリズムパターンの反復。興奮の度合いを徐々に高めていくアッチェランド。時折挟み込まれる金管の下降音型の咆哮。それらが祝祭的なグルーヴの中で渾然一体となり、熱狂のアクセルを全開にする。
自室でCDを聴いていて思わず椅子から立ち上がってふと我に返り、ああ、ディスクで良かったと胸を撫で下ろす。決して他人に見せられない瞬間を、私は何度も経験しました。
バッティストーニを、北島三郎や清原和博と並ぶ「お祭り男」と称賛したくなります。
しかし、そのホットな演奏の背後には、冷静にして緻密な設計があります。
例えば、第1楽章序奏のうつむき加減の情熱を秘めた心情告白や、第2楽章の自己の内側をじっと見つめるような歌。それらの場面で、彼らはテンポを一定に保って、地に足の着いた表現を聴かせています。
こうした地殻内の断層運動のごとき伏線のうちに、十分に力が蓄積されているからこそ、音楽がクライマックスに到達した瞬間、信じられないほどに巨大なエネルギーが放出されるのです。
私は伊福部昭の音楽をさほど多く聴いてきた訳ではありませんが、こんなに刺激的で、こんなに胸に響く「タプカーラ」を聴いたことはないように思います。
どうして、これほどまでにバッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団の「タプカーラ」に揺さぶられるのだろうかと考えました。ただ単に演奏が優れているからという以上に、もっと切実で根源的な理由があるはずだと思えたのです。
最終的に、伊福部昭が自著「音楽入門」で引用した、ゲーテの言葉にたどり着きました。
「真の教養とは、再び取り戻された純真に他ならない」
当然のことですが、バッティストーニは、プロフェッショナルな音楽家として、自らの持つ知識や経験を総動員し、伊福部のスコアを研究したことでしょう。
でも、彼の内側では、未知のもの、異質なものと出会った驚きと喜びが、激しく渦巻いていたはずです。森羅万象の不可思議に気づき、初めて宇宙の真理に触れた子供のように、彼の純真な心は昂り、震えていたに違いありません。
そして、彼の中で燃えさかる「センス・オブ・ワンダー」は、オーケストラの百戦錬磨の音楽家たちを刺激し、その心を純粋無垢な子供時代の状態に戻してしまった。
「タプカーラ」のあの果てしない熱狂は、バッティストーニを先頭とする音楽家たちの「取り戻された純真」から生まれ、私という聴き手にまで一切減衰することなく伝播してきたものなのでしょう。
伊福部は、前述の著作で、ゲーテの引用に続けてこんなことを述べています。
「真の音楽的教養とは、学びとった知識と影響を乗り越え、再び自己の肌色に立ち戻って、音楽を思考し、音楽を鑑賞し、音楽を表現することに他ならないのではないでしょうか」
バッティストーニは、自分とは異なるバックグラウンドから生まれた音楽を、表面だけそれらしく繕うことに満足しなかった。音楽をイタリア出身の音楽家の視点で捉え、自分のものとして表現することに腐心したのだと思います。
そのことは、バッティストーニの個性が深く刻印されたユニークな表現と、完全に血肉化した響きとリズムが何よりも証明しています。
「新世界」でもまったく同じことが言えます。太古のアイヌ音楽に触れ、「日本」に立ち戻った伊福部と同様、アメリカの黒人音楽に出会い、自らのルーツである「スラヴ」を再発見したドヴォルザークのピュアな喜びを、バッティストーニはリアルに追体験し、そのまま演奏に反映したのではないでしょうか。
バッティストーニという音楽家は、純真な心をもった真の教養人である。そう認識すると、彼の言動、文章、演奏、すべてが私の中で自然に結びつき、その魅力がきれいに因数分解できたみたいで、すとんと腑に落ちました。
伊福部の言葉からキーワードを得て、このアルバムを新たな視点から聴き直してみました。
そして、当盤に収められた二つの交響曲は、土俗的、民族音楽的である以上に、人類の共有財産であるということに思い至りました。特定の人や団体だけが独占するのではなく、誰もが、それぞれの属性や文化的背景を強く自覚しながら、その固有の美しさや楽しさを味わえる音楽。
当盤で聴くことのできる「新世界」は、チェコ的でもアメリカ的でもありません。「タプカーラ」には、イタリア人指揮者とか東京のオーケストラとかいうラベルは貼付されてはいない。彼らの演奏には、二曲が持つローカルな要素は、そのまま素直に鳴らすだけで十分とでも言いたげな距離感があり、従来的な意味での「らしさ」は影を潜めている。
その代わりに、作曲家と演奏者が、自らのアイデンティティを意識しながら、未知の文化と出会って感じた驚きと喜びが音楽の中にみなぎり、全体を支配しているのです。
互いに異質なもの同士が、音楽という大河に合流し、新たな流れを生み出していく。多様な成分を含んだ水が、自然に豊かな恵みをもたらし、肥沃な大地を育んでいく。二人の作曲家が残した音楽のそんなありようが、バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団の演奏から、はっきりと見えてきます。
それは、“BEYOND THE STANDARD”というプロジェクトが目指すものと、重なるところが大きいのではないかという気がします。
異質な音楽が相互に影響し合いながら、これまでに見たことも聴いたこともない未知の地平を切り開いていく。その先に、私たちの時代の新しい「スタンダード」が姿を現す。
そんな理念を、純真な心をもって音楽として表現したドヴォルザークと伊福部昭の曲が、新プロジェクトの最初の一枚に選ばれたことは非常に象徴的で、大きな意義があるように思えてなりません。
アルバムの最後には、伊福部の最大のヒット曲、映画「ゴジラ」の主題曲が収録されています。初代ゴジラが、モノクロ画面から飛び出て、高精細なカラー映像の中で暴れまわる姿が思い浮かぶような、躍動と色彩にあふれた演奏です。
バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団が描くゴジラは、響きの明るさもあって、ちっともおどろおどろしくありません。優しい表情を浮かべているように感じるほどです。
しかし、そのまなざしには哀しみと怒りが灯っていて、こちらに何かを語りかけています。私には、「人間よ、ゴジラという怪獣を生んだ原爆の悲劇の前では純真たれ」という声が聞こえてならないのですが、空耳でしょうか。
このアルバムのライナーノートの文章には、英訳が並べて印刷されています。日本だけでなく、世界のリスナーが手にすることを想定しているのでしょう。
どうか、東京の地で生命を得て美しく鳴り響いた「純真」が、音楽を愛し、音楽を必要とする世界中の人たちに届きますように。そして、日本から発信される音楽のまわりに人が集まり、誰もが微笑み合いながら手を結び、あたたかい共感の輪が広がっていきますように。
そう、ゴジラも一緒に。〙
〘 今から36年前、新響が本日の「改訂版」を初演したプログラム冊子に、当時65歳であった作曲家自身が次のような言葉を寄せている。
作者は、アイヌ語でシャアンルルーと呼ぶ高原の一寒村に少年期を過しました。そこには、未だ多くのアイヌの人達が住んでいて、古い行事や古謡が傳〔伝〕承されていました。
タプカーラとは、彼等の言葉で『立って踊る』と云うような意をもち、興がのると、喜びは勿論、悲しい時でも、その心情の赴くまま、即興の詩を歌い延々と踊るのでした。
それは、今なお、感動を押え得ぬ思い出なのです。
その彼等への共感と、ノスタルヂアがこの作品の動機となっています。(以下略)…
…伊福部昭は大正3年(1914)に北海道釧路町(現釧路市)で父伊福部利三・母キワの三男として生まれた。伊福部家は因幡国一宮たる宇倍神社(現鳥取市国府町宮下)の神官を代々つとめた家で、昭が67世(代目)というから、古代からの話である。伊福部氏は鑪(たたら)製鉄の特殊技術を持った一族であった。
父の利三は官吏で、大正12年(1923)には十勝・音更村の官選村長となった。当時の明治政府は先住民族アイヌに対して日本型の営農指導などを通じた同化政策を進めており、明治32年(1899)施行の旧土人保護法成立でその態勢は確固たるものとなっていく。伝統的な生活から無理に引き離され、深刻な差別も生まれていくのだが、同39年にはこの音更にもアイヌ子弟の教育を目的とした庁立音更尋常小学校が置かれている。9歳で釧路の町からここに移った伊福部昭がアイヌの歌や踊りを目の当たりにし、その肉声や音調、リズムの感覚などに大きな影響を受けたことは想像に難くない。
その後は札幌第二中学校(現札幌西高)を経て北海道帝国大学農学部林学実科に入学、卒業後は帝室林野管理局の林務官として厚岸森林事務所に奉職した。独学で作曲を始めていた伊福部が本格的にデビューしたのがチェレプニン賞(モーリス・ラヴェルも審査員であった)で第1位入賞した「日本狂詩曲」であるが、国内の作品を東京でまとめて送る手続の中で、当時第一線の楽壇の面々から「あまりに西洋音楽の作法から外れ、日本の恥」として応募から外されそうになったエピソードは、その作風の強い独自性を物語る。
さて、根室本線の旧狩勝トンネルを抜けた東側は、広大な十勝平野を俯瞰する絶景として「日本三大車窓」にも数えられていた。その風景はまさに石狩アイヌが見たシャアンルルーであろう。原生林で覆われていた大地は碁盤目に道路が走り、今では見渡す限りの畑に変貌したが、その昔─100年近く前に存在した音楽と即興の詩と踊りとは、どんなものであっただろうか。…
…最後に作曲家が自著『音楽入門』で記した「現代生活と音楽」と題する一文の冒頭を掲げておこう。
私たちはかっては、農耕には農耕の歌を、漁(すなど)りには漁りの歌を、馬を追うには馬子唄を、また少年時代にはさまざまな遊びに伴った童べ唄を、冠婚葬祭や年中行事にはそれに伴った多くの唄や音楽を持っていたのでありますが、近代の機械文明は、この私たちから、そのようなもののすべてを取り上げてしまったのであります。
初演:原典版:昭和30年(1955)1月26日、米国インディアナポリスにてフェビアン・セヴィツキー指揮 インディアナポリス交響楽団、翌31年3月16日に上田仁指揮東京交響楽団で国内初演
改訂版初演:昭和55年(1980)4月6日、東京文化会館大ホールにて芥川也寸志指揮、新交響楽団(第87回演奏会-日本の交響作品展4)
楽器編成: フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トムトム、小太鼓、ティンバレス、ギロ、ハープ、弦五部
参考文献
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター 1956年
伊福部昭『音楽入門』(1985年改訂版)
現代文化振興會 1985年
新交響楽団第87回演奏会プログラム 1980年4月6日
伊福部昭公式ホームページ(暫定版)